足を運んでくださりありがとうございます(#^^#)!
サイト運営者、こころのプロフィールです☆
このサイトについて
このサイトは、生き苦しさを感じながら生きてきた私が、20代で「適応障害」の診断を受けた経緯や、闘病中に感じたこと、学んだこと、そしてどのように治療されてきているのかを綴るサイトです。
同じように適応障害だったり、似たような思考回路で苦しんでいたり。
生き苦しさを感じている<あなた>にとって、「少しでも参考になればいいな」という思いで運営し始めました( ..)φカキカキ
「機能性ディスペプシア」という機能性疾患も患っており、こちらとも格闘中です。
たまに関連記事書こうと思います(‘ω’)ノ
カフェやら食べ物やらディズニーやら、好きなことについても記事書きますので、気軽に足を運んでください、ぜひ(笑)。
人生について、人間について、聖書を通して学んできた私が、何か少しでも伝えられたら。
願いを込めて、運営していきます(^^)☆
こころのプロフィール
闘病の経緯
私は2015年8月に「適応障害」の診断を受け、それからずっと闘病生活を送っています。
「適応障害」とは、学校や友人関係、および環境にうまく適応できず、その結果生活に支障をきたす心の病の一つです。学校や職場に行けない、めまい、動機など人により体に出る症状が異なる障害ですが、私の場合は<抑うつ状態(になる)>という形で症状が出ました。
病院では、うつ病の検査で症状の重さを図ることになりました。
うつ病の検査では、60点満点中43点という数字が出ました。
この点数は、うつ病の上中下の中で中程度に該当し、中程度の段階ではかなり高い状況でした(;^ω^)
その後、医師の治療と共に、自分との戦いが始まりましたが
幸い、心療内科への通院、カウンセリング、認知行動療法の実施や周りの方のサポート、そして一番は、今も学び続けている<神様の愛>を知ることで
少しづつ、少しづつ、病状が良くなってきています。
発症した経緯
当時大学院生で、修論の執筆に追われていた時期でした。
幼いころの家庭環境や学校でのいじめ、友人関係、中学での学級崩壊など
じわじわと蓄積されたストレスと考え方の問題の上に
担当教授との関係性や就活、修論のプレッシャーが加わったためか
ストレス蓄膿器(勝手に名前つけた)が限界値を超え
私の心は壊れてしまいました。
それまで、時折「私って頭おかしいのかな?精神科に行ったほうがいいのかな」と思うことは時折ありましたが、本当に病気だと自覚したときはショックでした。
「どうしてこのような精神病にかかったのか」と受け入れられなくて自分を責め、直るのかとても不安で毎日泣く日々が続きました。
他の適応障害で苦しんでいる方とは違い
体が動かなくなったり、倒れたりしたわけではありませんでしたが
心は悲鳴を上げ、何も考えられなくなり
学校にも行きたくなくなり、休んだり
家から一歩も出ない、人と会うのを避ける、ただぼーっと時間を過ごす、
急に理由もなしに泣き出す、食欲不振、睡眠障害…
様々な症状が一気に現れ、病気との闘いが始まりました。
発症当時の気持ち
私は幸い、神様の愛、御言葉や周りの方のサポートと心療内科への通院により
徐々に回復し、今は正社員として「普通に」通勤できるまでになりました。
今振り返ると、発症といいますか、病気を自覚した当初が一番辛かったなと思います(;^ω^)
「神様を信じている私がどうして」
「今まで勉強も、バイトも、言われたこと一生懸命にやってきた私がどうして」
パニックになり、不安にもなり、今まで押し込めてきた不安や悲しみ、怒り、憎しみ。
様々な感情が爆発し、私の心は真っ白になりました。
「本当に治るのか」
「私は一生このままなのだろうか」
現在と将来に対する不安と心配に襲われて、目の前は真っ暗でした。
私は小学校からずっと成績優秀で、トップを走ってきました。
推薦で自校作成(=上位)レベルの高校に入学し、高校でも優秀な成績をキープし、
指定校推薦で上智大学英文学科に入学
大学でも優秀な成績を獲得し、交換留学に行ったり、
その成績の高さ故、筆記試験免除で大学院に入学したり
端から見たら、いわゆる「エリート街道」を歩んできました。
そんな私は、周りの人からしたら羨むような理想の子供だったらしく
「こころちゃんはすごいわね」と母はいつも言われていたそうです。
それで母がうれしそうにするから、私の脳にはいつしか
「優秀で自慢できるような子供でいたら、愛されるんだ」と
ゆがんだ思考回路が形成されるようになりました。
そんな私にとっては、適応障害で学校に行けないとか
会社に行けなくなるとか、世間一般的な「エリート街道」から外れることは
「自分の居場所を失う、愛を失う」恐怖に値するものでした。
「今まで頑張ってきたことがすべて無駄になってしまうのだろうか」
積み重ねてきた功績がガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。
私の闘病生活は、そのような恐怖心と虚無感との闘いでした。
病気と向き合って得た宝
一言で言うならば、<本当の自分の価値と向き合えた>。という言葉に集約されるかと思います。
勉強を失ったら、「優秀さ」を失ったら、「私」ではなくなってしまう。
自分の価値を分からずに育ってきた私にとって
自分の価値を図る基準はいつも「学校の成績表」でした。
<学校の成績=自分の価値>だということに
病気になって初めて気づいたのです。
その時、「どうして自分は生まれて来たのか」
「何のために自分は生きているのか」
より一層、深く考えるようになったし、
自分という存在、自分の人生と真っ向から向き合うことができた
貴重な時間になりました。
病気だと分かった当時は既に、キリスト教福音宣教会に出会い
御言葉を学び、神様について学んでいました。
「神様を愛し、愛されるために創造されたんだよ」と言葉で聞いてはいたけれど
実感が湧かなくて、受け入れられなくて、学校の成績表に自分の価値を投影させていた私でしたが
「あぁ、今まで知らなかっただけで、自分の価値は勉強で決まるものではない。
たとえ 何もできていなくも、 <私>という存在自体が、神様にとっては尊いんだ」と
理論ではなく、素直に受け止められるようになりました。
自分の価値を認められるようになり始めてから、私の病気は少しずつ良くなっていきました。
長くなりましたが、神様の愛に触れながら歩んできた今日までの日々
闘病生活を過ごす中で悟ったこと、苦しんだこと
ありのままに、綴っていきたいと思います(^^)
全般的なプロフィール
名前:こころ(女)
出身地:東京、現在東京住まい
年齢:20代後半
病気:適応障害、機能性ディスペプシア
特徴:元ディズニーヲタ(TDR来園回数延べ200回)、不器用、大雑把、完璧主義、なんか主人公を好きになる、先端恐怖症
好きなもの:パンダ、ディズニー全般(特にベイマックス)、お洒落なカフェ、アロマ、丸っこいもの(アバウトw)、辛い物、柔らかい食べ物、牛乳、アイス
学歴:近所の小中学校 → 都立高校(国際学科) → 上智大学 → 上智大学院
職業:SE(合わずに辞める) → 編集職→休職
適応障害(2015年8月に診断)
☆彡受けた検査(リンクは検査についての詳細外部ページに飛びます)
・CES-D検査 … うつの程度を評価する心理検査。
・バウムテスト … 一本の木の絵を描くことを通して、様々な思考や性格のパターンを読み解く描画テスト。
☆彡検査結果
・CES-D検査
2015年8月時点で、60点満点中…なんと42点。この点数は段階的には中の上だそうで、なかなか危ないらしい。
その後、色々あり1ヶ月で14点まで下がったものの、2020年2月に再発し42点にきれいに逆戻り(笑)。
・バウムテスト
理想が高すぎ。自分をコントロールできない。人間関係において敏感。テストを受けた時点でかなりストレスが溜まっていた。
疲労があり、少し依存心がある可能性あり。ストレスをためこみやすくて、発散できなくて爆発するかも。
悩みが強いけど、誰にも伝えることができなくて思い悩んでいる状態。
☆彡検査結果に対する感想
・CES-D検査
「まじかー」の一言に尽きますね。そこまで点数が高いと思っていなかったので、結構ショックでした。「あぁ自分病気なんだな」ってびっくりしました。
・バウムテスト
結果を言われて「おっしゃる通り」という感じで、そこまでショックは受けずにあっさり受け入れられました。本当に今の自分の心理状態をそのまま文面化されて、自分の心の状態を自覚できた感じでした。
機能性ディスペプシア(2017年4月に診断)
消化器内科に行って、口頭による医師からの質問に答えて行く形で診断されました。あと、お腹の様子の写真を撮るCT検査も受けました。
一応、半年後くらいにピロリ菌の検査もしましたが何もありませんでした。
質問コーナー
☆彡高校時代
・ダンス部(ヒップホップ、ロック、ハウス)
・韓国への修学旅行
・ディズニーの年パスをGetし通いまくる
☆彡大学時代
・バイト:①ディズニーキャスト@東京ディズニーランドレストラン
②ディズニーキャスト@ディズニーアンバサダーホテル
③単発バイト(コンサートのグッツ販売とか)
・海外留学:アメリカへ半年間留学
・ボランティア活動@東日本大震災の被害地
・海外旅行:イタリア、アメリカ(カリフォルニアディズニー)、韓国
・海外からお客様が来た時の簡単な通訳
・帰宅部…
・キャッツ
・ウィキッド
・マンマ・ミーア!
・RENT
・レ・ミゼラブル
・エリザベート
・ヘアスプレー
・ベルサイユのばら
・銀魂
・RAIVE
・鬼滅の刃
・ONE PIECE
・スケット・ダンス
・ブラック・キャット
・暗殺教室
・ベルサイユのばら
・ぼのぼの
※ 基本的にジャンプ全般は好き
・草彅剛
・シャンシャン(香香) 人じゃなくてパンダだけど…
このブログを通して伝えたいこと
祈って、自分をいつも振り返り、いつも自分を把握しなければいけません。初めの信仰をみんな取り戻し、行わなければいけません。
初めの愛をなくしたら、価値もなく、愛も冷めてしまい、なくす。ムミになってしまい、主管圏が変わるようになります。どんなことでも、最初にやった時のことを忘れてはいけない。大切に思うこと、大事に思うこと。
物も家も人も、最初はそれを得て、喜びに満ちて、愛して自慢して、時間が経つことも忘れて喜びをもって生きていきます。しかし、それが冷めた時は甲斐も感じない、喜びもない。愛も少ない。そして、普通のものになってしまいます。
物が変わるのではありません。心が変わるのです。だから、心を取り戻せばいいのです。大事に思って、その価値が分かれば取り戻したことになります。物は変わりません。
鄭明析牧師の御言葉より抜粋
先日宣布された御言葉。
いまだに心に突き刺さっています。
無気力は絶賛続いており、こちらにあるとおり記事を書く気もせず、ブログに対する初恋もすっかり失っていたからです。
何のためにブログを始めたんだっけ?
今も続けているのは何のためだっけ?
根本的な部分を考えてみた時、「私が生きてきた経緯」を伝えようと決心した時の心を取り戻すことができました。
御言葉に出会う前の私はもっとネガティブで、何でも否定的に捉えてしまっていました。
そんな自分が嫌で、もっと明るい性格になりたかったし、肯定的で元気な人になりたいと思っていました。
変わろうと思って地元を抜け出して都心の高校に行ったり、ダンスを始めたり、留学に行ってみたり、様々に環境を変えてみたりしました。
けど、結局自分の根本的な思考の癖は変わらず。
変わろうと生活の中で努力してみても、そんなに大きな変化は見られず、落ち込む毎日でした。
「お前は変われない。お前は一生このままだ」。
今思うと思いっきりサタンですがもちろん当時はそんな単語知らないので分別もできず、聞こえてくる声に同意して「私は変われないんだ」と落ち込む毎日でした。
表現を変えると、自分で自分を諦めてしまっていたのです。
元々ストイックだし自分に課している基準が高いというか不適切で、所謂「完璧主義」なため余計に自分を許すことが難しかったです。
それは今もあんまり変わってないですがw
自分に対して厳しいからか、人に優しくしたくてもうまくできなかったり、自分の足りなさ故に人に残念な思いをさせたり、笑顔を奪うようなことをしてしまうことが苦痛でした。
人を愛したいのに愛せない。
そんな葛藤にまた悩み、できない自分を責める毎日。
それが私の日常でした。
けど。
そんな私が、なりたかった自分に近づけたきっかけがありました。
そのきっかけが何だっかというと、御言葉です。
御言葉で神様の愛を学んだら、神様がどれほど人間一人一人を愛しているのかわかって、その心情で人を見ることができるようになりました。
より具体的に言うと「この人神様に愛されている!貴重で価値のある人だ!」という感じで神様の心情で人を見れるようになったのは大きかったです。
※自分の気分や関係性によっては苛々したり愛せないって思ってしまう時もまだまだある(ー ー;)
また「人間は作り方次第だ」と仰って、現在足りないのなら作ればいい、途中でやめないで最後までやりなさい、等々
自分の否定的だった思考の癖を矯正してくださる御言葉によって、御言葉を聞き始める前の自分と比べたら、大分変化してきた…と信じていますm(_ _)m
結局私はブログで何を伝えたかったのか、どうして今も書き続けるのかというと
簡単に言うと伝えたいことがあるからです。
何かって?
それは。
御言葉があれば、変化できるよ。
ということです。
御言葉を聞いて信じて行えば、変われるよ。
だから諦めないで。
自分自身のことを。
否定しないで。
自分自身のことを。
「お前は何回やってもダメだ、変わらない」って罵倒しないで。
自分自身のことを。
誰かに慰れられることを望まないで、自分が自分を慰めてあげて、奮い立たせないと。
誰かが慰めて掴んでくれたとしても、それは微々たる力にしかならない。
どうしてかというと、手を引っ張られたところで
立ち上がるのか?立ち上がらないのか?
決めるのは自分自身だから。
だから、自分が自分を諦めたら何にもできなくなります。
信仰者たちを支えてあげ、管理してあげたとしても、本人がそこで自らやるからそれが役に立つのであって、本人が「やらない」と言う時には何の役にも立ちません。
幼い子供が、親や兄弟が助けてあげて、導いて行きますが、自ら行かないと、力を抜いてしまうと、転んでまた転んで、行けないということです。
みなさん、信仰管理をやってみたことがあるでしょう。あんなに管理してあげたのにちょっと管理しないと、あっと言う間に出て行ってしまう。それは、自らしないから。
だから、自らする哲学を、精神を教えてあげなければいけないのです。
主の中で自らいつもやれば発展し、向上し、理想的になります。自らやれば3倍、10倍、20倍。
先生は自ら行なって、山に行って祈ったのであって、あの寒い零下15度、最近、今、マイナス13度、14度まで明け方は下がっていますが、そのような天気の時に山でいてみてください。
自らするのでなければ打ち勝てなかったのです。誰かがさせるといって、できるでしょうか。「私を凍え死にさせる気か」と逃げたことでしょう。だから、自らするということがそれほど恐ろしい威力を持っているのです、自らすることが。
自らしたから存在できたのです。
鄭明析牧師の御言葉より抜粋
生きるのか死ぬのか。
自分を諦めて安住するのか。
痛みや苦痛を味わうとしても、親含め誰に何を言われようとも、本当の意味で自分(の個性や才能)を生かす命の道に進むのか。
誰も強制はしない。
本人が決心して自分の意志で進まなければ、結局最後まで行く力がない。
だから途中で終わってしまう。
(『アナ雪2』のエルサも、自分で決心して行ったからダーク・シーまで越えて最後まで行けましたし)
「いやいやそんな事はない。私は人に言われて仕方なくやるとしてもできる」という人は良くも悪くも根性があるのか(^◇^;)
でも突き詰めれば自分の人生。
人から言われた道を進むというのは、客観的に考えると悲しい人生だと私は思ってしまいます。
自分が選択して、自分の足でしっかりと歩いていく人生。
自分が自分を生かす生。
自ら生きる力。
理論的には理解できても、いざ実践してみようとするとめちゃくちゃ難しいです_:(´ཀ` ∠):
人間は完璧ではないし、見えている範囲が狭いから判断を誤るし。
そもそも1秒先の未来もわからないからその選択が正しいのかも確信持てないし。
食べて飲んで洗って寝て働いて…生きるためにすべきことがあまりにも多いし。
体が弱ると動けなくなるし、心も弱くなるし。
人間が生きることって、なんやかんやで簡単ではないのではないかと日々感じますm(_ _)m
でも御言葉は、そんな悩みをすべて解決させてくれます。
判断は祈って神様と相談して神様に委ねればOK。
過去現在未来すべてを貫き通して最善の道を教えてくださるから安心。
自ら行なう精神を身につけられるように教えてくださるから感謝。
万々歳٩( ‘ω’ )و
何より。
神様は私のことをお見捨てにならないから。
あなたが生きながらえる日の間、あなたに当ることのできる者は、ひとりもないであろう。わたしは、モーセと共にいたように、あなたと共におるであろう。わたしはあなたを見放すことも、見捨てることもしない。
ヨシュア記 1:5
自分自身を最後まで信じてあげ、愛してあげず、
自ら認めてあげない人は人としきりに比較するから結局倒れます。
生活がなかなか矯正できなくても、自分の心が繰り返し折れても自分をとがめるのは間違った方法です。
そのような間違った考えは、自分自身を傷つけます。
考えの傷を持っていると、人を愛することも難しいし、他の人が来て、ある行為を矯正してくれたり、間違いを指摘したりすると、落胆してすぐに折れてしまいます。
生が自分の考えどおりに、自分の「理想」どおりにならないときもあるし、難しいときもあります。
しかし最後まで自分自身を信じてあげ、コーチしてあげ、矯正しなさい。そうしてこそ、実を結びます。
足りなさは知るべきですが、その足りなさを憎んではいけません。
自分の心によって、主の愛が歪曲(わいきょく)して見えます。
鄭明析牧師の御言葉より抜粋
自分が自分を諦めないで。
何度やってもうまくいかない自分のことでさえ信じてくださる神様の寛容で大きな愛の心を信じて。
足りなくても、あなたは愛されていいんだよ。
足りなさは、これから御言葉を学んで神様と一緒に満たしていったらいいんだよ。
それが、私がこのブログで伝えたいメッセージです。
私が変われたんだからあなたも変われるよ~ん(/・ω・)/
ていう希望を与えたい…というと上から目線な感じですが、とにかく希望があることを知ってもらいたくてブログを始めたのです。
というわけで、今まさに悩んでこのブログを開いてくださったYou、心配しないでください。
頑固な私でも変化できたので。
希望を持って、神様を信じて生きていきましょう。
私自身初めの心を忘れないで、
「誰がなんと言おうが、私が自分で決断して行くって決めたんだー!」と考えの強度を上げて、自分が決心して毎日進んでいきたいです。
キリスト教福音宣教会(CGM)について
キリスト教福音宣教会(以下CGM)は、次のような理念を基に活動しています☆
人は神の愛の対象として創造されたのであり、神の愛を知ってこそ真の喜びを得ることができます。他の何よりも神を愛し、自分自身を神の愛の対象として作ることにより人生の目的が成されます。(中略)
御言葉を聞いた人は、三位一体を愛し罪を悔い改めることで、考えと霊魂が変化し、個性通りに成長して神の愛の対象となります。
神の愛の対象として引き上げられた霊魂は、天国で三位一体と共に永遠に生きるようになります。
CGM公式サイト「私たちが信じていること」より引用
この理念を基に、ボランティアや芸術・文化活動を行なっています(^^♪
詳しくは公式サイトをご覧ください\(^o^)/
創始者について
CGMの創始者は鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師です。
親しみを込めて、会員の多くは「先生」と呼んでいます^^
すごく面白くて、説教も上手で、笑顔が素敵な方です。
説教を伝えている時はとてもかっこいいのですが、普段はお茶目で、よく神様を笑わせている印象があります(笑)本当に面白い。ギャグ線高めです(*^^)v
その他の甥立ちや信念などの詳細は公式サイトをご覧ください(=゚ω゚)ノ