間もなく誕生日…と思った時、33歳が終わる前に書かなければと思い滑り込みでタイトルの内容を書き残したいと思います。
33歳といえば、イエス・キリストが十字架にかけられて亡くなった年齢です。
イエス様は架空の人物だと思っていた私ですが、鄭明析(チョンミョンソク)牧師から聖書を学び、イエス様は史上の実存していた人物だと知った時は驚きました。
しかも、33歳という若さで亡くなったと聞いた時はさらに驚きました。
そして実際に自分がその年齢になると、さらにその衝撃は大きくなりました。
「33歳…こんなにも早く亡くなったのか」という実感といいますか、リアルさを感じたのです。
20代に比べればもちろん体力も気力も落ちていますが、それでもまだまだ元気に動き回れますし、できることはたくさんありますし、会社でいえばステップアップするような年代です。
まだまだ人生これから、むしろ周りから「大人」として認められて立ち回りやすくなる年代でもあると思います。
私自身、会社では障がい者雇用なのでステップアップも何もないですが、教会内ではやはり管理されていた側から管理する側に移行している感じなど、立ち位置が変わっていったのを感じました。
「これからまたレベルアップして再出発!」といえるような年齢で死んだと考えると、イエス様はどれほど無念だっただろうかと胸が痛くなりました。
自分のことを考えても、やりたいことがまだまだたくさんあります。
今死んだら、ものすごく無念で悔しいです。
ましてやイエス様は、全人類を救うという神様の使命をもって生きていらっしゃった方です。
私の超個人的な欲望という名の願望を成せずに夢半ばで死んでも嫌だと思うのに、イエス様はどれほど苦しく、悔しかったでしょうか。
「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」。 そのとき、御使が天からあらわれてイエスを力づけた。 イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた。
ルカによる福音書 22:42-44
時代が邪悪でなければもっと長生きして、直接もっと多くの人々を伝道して、もっと理想的に神様の御心を広げていけたはずです。
それが分かるからこそ、イエス様を不信した人々を救うためとはいえ、十字架にかけられて死ぬことになって、どれほど無念で苦しくつらかったでしょうか。
そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。
また二度目に行って、祈って言われた、「わが父よ、この杯を飲むほかに道がないのでしたら、どうか、みこころが行われますように」。またきてごらんになると、彼らはまた眠っていた。その目が重くなっていたのである。 それで彼らをそのままにして、また行って、三度目に同じ言葉で祈られた。
マタイによる福音書 26:39,42-44
私は一般人ですし救われる側の立場なので、イエス様のその心情をすべて知ることは絶対にできません。
想像することしかできませんが、イエス様が亡くなった年齢に自分がなったことによって、よりその心情をリアルに感じました。
そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
マタイによる福音書 27:46
この聖句を読みながら、イエス様の無念さがより切実に伝わってきて、涙が流れました。
イエス様は肉体を持っているので、殴られれば痛いし、刺されれば激痛が走り、血が出ます。
私たちと同じです。33歳という若さで、この拷問に耐えた精神力だけを見ても、「犠牲になってでも、必ず1人でも多くの人を救う」という神の精神を持っていないとできないと思います。
何よりも、自分のことを拷問して嘲り笑い捨てた人たちを最後まで見捨てず、絶対に愛したその精神に涙しました。
そのとき、イエスは言われた、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。
ルカによる福音書 23:34
わたしはもうこの世にはいなくなりますが、彼らはこの世に残っており、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに賜わった御名によって彼らを守って下さい。
それはわたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。 わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、彼らを悪しき者から守って下さることであります。
父よ、あなたがわたしに賜わった人々が、わたしのいる所に一緒にいるようにして下さい。天地が造られる前からわたしを愛して下さって、わたしに賜わった栄光を、彼らに見させて下さい。
ヨハネによる福音書 17:11,15,24
33歳の自分を見た時、私はこのような許しと愛の精神を持つことができていないので、改めてイエス様のすごさを感じました。
本当に小さいことで恨み妬み嫉妬もするし、許せないことが多いので自分の器の小ささを思い知らされました。
そして、死ぬことになっても神様への愛も変わらなかった姿にも感動しました。
そのとき、イエスは声高く叫んで言われた、「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」。こう言ってついに息を引きとられた。
ルカによる福音書 23:46
死ぬ、という極的な局面に立たされたら、普通の人なら逆恨みしたり憎んだりと心が豹変してもおかしくないと思います。
けど、イエス様は神様への愛も最後まで変わりませんでした。
今まで何度も聖書を読んできました。
けど33歳になって新約聖書を読んだ時、同じ年齢の方がそのように生きて最後まで変わらずに亡くなったという事実がよりリアルに感じられて、今までと違った感動や悟りがありました。
もう33歳が終わってしまいますが、続けてイエス様のように神様の精神を持てるように、神様に誇れる自分になれるように心機一転して自分をつくっていきたいと思います。
滑り込みですが、33歳のうちにしか書けない内容だったので、書けて満足しました。
お付き合いいただきありがとうございました!
こころが34歳にレベルアップした後もよろしくお願いします!