私は元々無神論者で、神様もイエス様も聖書も信じていませんでした。
聖書は実話ではなくファンタジーだと思っていましたし、聖書に書かれている奇跡も「ありえない」と考えていた人でした。
大学がミッション系だったので聖書の授業はありましたが、私は聖書を読みながら「いいことが書いてあるのはわかるけど、私は到底信じられない」と思っていました。
そんな私ですが、今はキリスト教福音宣教会の教会に毎週通いながら、聖書を楽しく学び信仰生活を送っています。
どうして私が聖書を信じるようになったのか、キリスト教福音宣教会の説教には耳を傾けるのかというと、とても現実的で地に足がついている感じがするからです。
胃がきりきりして痛ければ、胃を治してくださいと1か月間祈ってばかりいるより、1か月間祈らないで、お金を稼いで長芋を買ってきておろして、毎日はちみつと一緒に食べるほうが、病気が治るうえではより効果的だ。そうしたうえで祈れば、完全に治り、霊的な人になって、信仰も丈夫になる。
鄭明析(チョンミョンソク)牧師の説教より抜粋
「祈ったら奇跡が起こって治る」とだけ言われたら正直引きます。
もちろん信仰生活をしていると「そんなことある!?」という不思議な出来事もたくさん起こります。
けど、突拍子もないわけではないといいますか、地上の法則の範囲を超えるようなことはさすがにありません。
どう考えても(科学的に、医学的になど)ありえないようなことを信じろとは言われないので、私はそこが好きです。
話を戻すと健康についても「神様に病気を治してくださいと漠然と毎日同じ祈りばかりしないで、医学でやるべきことは医学でやろう」とおっしゃるので「それはそうだよね」と納得できるし、現実的なので安心します。
しっかり毎月通院している私は正常だなと思えます。
定期的な通院が必要ないくらい健康だったらいいのですが、私はまだメンクリへの通院はしばらく終わらなさそうで毎月通っています(;^_^A
説教を聞いていただくとわかるのですが、結構論理的なんですよね。
漠然と運よくなんとかなることを望み、奇跡ばかりを待っていてはいけない。そこに該当することを一日でも行なったら、一日行なった分、治る。病気でないほかのことも、該当することを、祈りつつ行なえばその分、解決する。実践が奇跡だ!
鄭明析(チョンミョンソク)牧師の説教より抜粋
「先生の哲学は実践信仰」だとよくおっしゃいます。
そのくらい、実践を重視されています。
聖書にも書かれているからです。
信仰も、それと同様に、行いを伴わなければ、それだけでは死んだものである。
ヤコブの手紙 2:17
表現を変えていうなら、神様の御言葉を実践することで「本当にその言葉通りになるのか確認」をしてから説教を伝えてくださいます。
自分が生活の中で医者になって食べ物も調節して食べるべきであって、食べ続けながら体重が減るように祈るのか。心でばかり望むのか。健康管理は一生しなければならない。食べながら痩せるようにと切実に祈っても、もっと太った。食べ物を調節したら二か月で望む体重になった。
鄭明析(チョンミョンソク)牧師の説教より抜粋
だからこそ私たち会員にも、「漠然と信じないで実践して確認して信じよう」と繰り返しおっしゃいます。
また聖書を根拠に説教を伝えるので、礼拝中に何度も聖句を引きますし、聖句と説教の内容がずれていないことを確認しながら聞けるところも安心できます。
「【現役女性会員の声】キリスト教福音宣教会は聖書を無視して御言葉を伝えている?噂は本当なのか検証してみた」という記事にどのくらい聖句を引くのかなど、詳細を記載していますので、気になった方はご覧ください(^^♪
まさか自分が信仰を持つようになるなんて。
本当、何が起こるかわからないよね!
※ネタがわからない方は吹き替え版『ベイマックス』をご覧ください。
説教を聞きながらふと思いついたので、今回記事としてまとめてみました。
「キリスト教福音宣教会の説教、気になる!」という方は礼拝メッセージHPやXでも毎週主日説教の要約を発信しているアカウントがあるので見てみてください(^^♪
最後まで読んでくださり、ありがとうございます!