キリスト教福音宣教会ではどのようなことを教えているの?という話題で書いたことがあまりなかったということに気づいたので、書こうと思います。
聖書、神様、イエス様、歴史について学ぶのは当然のことで、本来ならそのより具体的な内容を書くのがいいのかもしれませんが、それだと(私が)つまらないので、別の話をします。
別の話と言っても聖書とつながっている話ではあります。
聖書では、キリストが来るときに理想世界が成されるという預言が書かれています。
おおかみは小羊と共にやどり、
イザヤ書11:6-9
ひょうは子やぎと共に伏し、
子牛、若じし、肥えたる家畜は共にいて、
小さいわらべに導かれ、
雌牛と熊とは食い物を共にし、
牛の子と熊の子と共に伏し、
ししは牛のようにわらを食い、
乳のみ子は毒蛇のほらに戯れ、
乳離れの子は手をまむしの穴に入れる。
彼らはわが聖なる山のどこにおいても、
そこなうことなく、やぶることがない。
水が海をおおっているように、
主を知る知識が地に満ちるからである。
動物は実際の動物ではなく、比喩で人間のことをさしています。
さまざまな個性をもつ人々がキリストの中で一つになって、平和になるという話です。
実際にイエス様が来られたとき、この聖句どおりに個性豊かな人たちが一つになる御働きが起きました。
イエス様の弟子を見てみると、取税人や医者、漁師など、多様な性格や特技をもった人たちが集まって、一つになってイエス様に従っていました。
「それのどこがすごいの?」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、自分と考え方や価値観が異なっていたり、得意分野や性格がまったく違ったりする人と一つになるって、なかなか難しくないでしょうか?(^^;
「なんで今それやるの?先にやるべきことがあるでしょう」
「それそんなに時間をかけてやることではないでしょう」
「これ、重要なのにどうしてそんないい加減にするの!」
「そんな細かいことどうでもいいだろ」
などなど、何かしらぶつかることが多いのではないかと思います。
なので、価値観も性格も多様な人たちが同じ1人の人に従うって、よく考えてみるとすごいことだと思います。
イエス様の中では、お互いがお互いを認め合い、個性を活かすことによって、平和な理想世界が成されました。
この時代の私たちも、イエス様を信じるならこのようになるべきだ、という意味で、鄭明析(チョンミョンソク)牧師は「個性の王様になろう」という説教を伝えてくださいました。
そこで生まれたマジックワード。
「わぁ、個性だね!」
「ハクナ・マタタ」ではないですが、だいたい何でもこれで解決します。
考え方や視点が違くても、「個性だね」。
価値観が合わなくても「こんなに価値観が合わないのも個性だねぇ、面白いね」。
興味分野が異なりすぎて話が合わなくても「神様は個性豊かに人間を創造されたねぇ」。
「個性」という言葉を使うことで、自分と真逆の人ともぶつからない御働きが起こります。
実際に私はこの「個性」という概念を学んでから、自分と考え方や性格が真逆の人とも楽に付き合えるようになりました。
ぶつかるときももちろんありますけどね。
でもだいぶ楽になりました。
「あぁそういう個性なんだな」と相手を否定するわけでもなく、すんなりと受け入れられるようになりました。
ちなみにこの「個性」という言葉のニュアンスは、バカにしているような否定的な感じではなく、むしろ「ステキな/よい 個性」というポジティブな意味合いで使います。
「うっわー価値観違いすぎて相手が言っていることがよくわからない〜」と困ったら、「個性だね!」と言ってみてください。なかなかくせになります。
キリスト教福音宣教会で学んだこと、今回はマジックワード「個性だね」を紹介しました。
シリーズ化するかもしれませんが、いったん今回はここまでです!
またお会いしましょう☆