こんにちは(*’ω’*)
先日、9年ぶりにディズニー映画『塔の上のラプンツェル』を観ました(@Youtube)。
なんだか急に見たくなってw
9年前は@アメリカで、友達の家で英語かつ英語字幕で観たこともあってか「あぁディズニーっぽいねー」って思ったくらいでした。
しかし今回はなぜか号泣。
「輝く未来(I See The Lights)」くらいからずっと泣いていました(;_;)
※リンクはYoutubeに飛びますが、吹き替え版は画質がいいやつがなかったため日本語字幕付き英語版の動画に飛びます。
そしてなぜか主人公ラプンツェルより、ヒーローのユージーンに感動して感情移入して泣いていました(笑)。
今日はディズニーヒーロー、ユージーンについて、彼を通して感じたことを書きます(^^)
『塔の上のラプンツェル』のヒーロー、ユージーン・フィッツハーバード
「ユージーン・フィッツハーバード」と聞いて、「え?こんな名前だったけ?」と思った方が多いかと思います。
「フリン・ライダー」と言えばピンとくるでしょうか?
映画の前半や指名手配の紙には「フリン・ライダー」という名前が使用されていますが、実は偽名。
「ユージーン」が本当の名前だということを、本人自らラプンツェルに話していましたね。
映画『アラジン』の主人公アラジンも「アラジン」という名前と偽名の「プリンス・アリ・アバブワ」、2つの顔を持っていました。
盗みを犯していた2人とも名前が2つあるというのは興味深い。
(アラジンは自分が生き抜くためだったとはいえ、まぁ…犯罪ですからね…)
アラジンはドブネズミで泥棒の自分ではジャスミンにふさわしくないと考え、ジーニーの魔法で「アリ王子」という新しい自分になりましたが、ユージーンはまさにその逆。
ラプンツェルに出会ってから「フリン・ライダー」という泥棒の名前と生き方を捨て、本来の「ユージーン・フィッツハーバード」に戻り、幸せな生を手に入れたのでした。
「フリン・ライダー」の過去と前半の描かれ方
ユージーンはどうして偽名を使っていたのでしょうか?
映画の途中で、「俺の過去の話は暗いから」といってユージーンはラプンツェルに過去を話すのをためらいました。
しかしまっすぐに、興味津々に聞きたいという姿勢を見せてきたラプンツェルに負けて過去、彼は孤児だったことを打ち明けました。
「フリン・ライダー」という偽名は、昔年下の子供たちに読みきかせていた本の主人公の名前を元にしているそう。
その本の主人公はとても金持ちでハンサムで、なんでも持っていて…自由なその姿に憧れていたことが、彼のセリフから伝わってきます。
これはあくまでも個人的な見解ですが、金持ちになれば自由になるし、女性にもモテモテで、それが「幸せ」なんだと思っていたのかもしれないですね。
ユージーンというキャラクターに注目してみると、最初は「ザ・嫌な奴」ぽく描かれています。
指名手配の自分の顔の絵を見て「俺の鼻はこんなんじゃない!」とか、かなりナルシストで自信家で、一緒に盗みを働くために手を組んだ人達を何食わぬ顔で裏切るし。
命がけで盗んだ王冠をラプンツェルに隠されてしまい、致し方なくラプンツェルの取引に応じるものの、情緒不安定で浮き沈みが激しくお天馬な彼女に振り回されっぱなしになると、付き合いきれなくてなんとかラプンツェルを諦めさせて塔に戻るよう仕掛けるし。
塔の上でラプンツェルに縛られて、身動きが取れない時に「誘惑者の顔」というワザを使ってますが、その直後の台詞を聞く限り、そのイケメン顔を使って何人もの女性をうまく騙しながら生きていたのでしょう。
私はこのシーン1ミリも記憶になくて、思わずあの顔に笑ってしまいましたwwwこんなシーンあったっけw誘惑ていうかお笑いw
(吹き替え版では「誘惑顔」という訳し方がされていないようなので、ぜひ字幕版をご覧くださいw)
まとめると前半の「フリン・ライダー」はとにかく嫌な奴として描かれまくっている印象。
しかし!!だからこそ、ラプンツェルに出会ってからの彼の心の変化が明確で、愛によってその心が溶けていく過程に感動するのかもしれません。
「フリン・ライダー」から「ユージーン」への変化
フリンは「誰にでも夢はある(I’ve Got A Dream)」の中で、「暖かいどこかで太陽を浴びながら日焼けして一人でゆっくり暮らすのが夢」だと話しています。
けれど、ラプンツェルに出会ってから徐々に彼の夢は変わっていきます。
自分の本名をラプンツェルに告げた時、「(死ぬ前に自分の名前を)誰かに知っておいてほしかった」とぼそっと本音を打ち明けています。
映画の中では彼の過去については詳しく語られていませんが、親がいなくて天涯孤独の中で生きてきて、ずっと心の中に<孤独>を抱えていたのかもしれませんね。
王国に住もうにも顔を見れば衛兵に追われ、泥棒として顔が立ってしまっているから王国には住めない身。
どのように暮らしていたのかは謎ですが、アラジンでいうと<サルのアブー>、ラプンツェルでいうと<カメレオンのパスカル>のような相棒がいたわけでもない。
「一人でゆっくり暮らす」のが夢といいつつ、ずっとたった独りで孤独と闘っていたのかもしれません。
もっというなら、「孤児のユージン」という自分の過去を消すために「フリン・ライダー」という第二の自分を作って、本来の自分ではない自分を演じながら生きてきたのかもしれません。
しかし、自分の過去を打ち明け「フリン・ライダーよりユージーンの方が好き」と言われたユージーンは徐々にラプンツェルに心を開きます。
そして、有名な名シーン「輝く未来」でユージーンの心の内が語られるのですが、英語版の歌詞がめっちゃ深良い。
「ずっとdaydreamを追っていた」とあるのですが、この”daydream”という単語、「〔かなえられない〕夢想、楽しい空想(出典:英辞郎)」という意味があるそうです。
金持ちになって一人でのんびり…という夢はかなわない、実現しても虚しいし寂しいというのを心のどこかで感じていたのかもしれないですね(;O;)
もしくはただの空想であって、自分が本心から願っていたことではないとどこかで感じていたか。
とにかく意味深な単語使ってる!( ゚Д゚)
その次の歌詞も泣ける。
日本語字幕では「今まで無意味に生きてきた(…living in a blur)」となっていますが、”blur”という単語には「〔物の形・輪郭・境界・記憶などの〕ぼやけ、不明瞭はっきり見えないこと、不鮮明な状態(出典:英辞郎)」という意味があるそうです。
目に映るもの、見えるには見えるけど、はっきり見えなかった。物事のありのままの姿を真実に見ようとしていなかった自分に気づくんですね。
ラプンツェルに出会い、はっきりと物事が見えるようになった。
からの!
「彼女こそ守るべき世界(“I’m where I’m meat to go.”)」だと気づくユージン。
この歌詞が深すぎてまだ何か悟りきれていない何かがあるような気がしているのですが~~~(;O;)
今思いつく限りでは、「孤児のユージン」として生きるのが嫌で、自分を捨てて「泥棒のフリン・ライダー」として生きてきたけど、それで幸せになれるわけではなかったと気づいたのかもしれません。
王宮から王冠を盗むほどの大胆さと勇敢さとテクニックや知恵を持っているとなると、泥棒としてかなり成功してきた人なのではないかと。
けれど、お金が自分を幸せにしてくれるわけではなかった。
ラプンツェルに出会い、今まで親から受けることができなかった「愛」というものに触れ、「愛」というものから目をそらして生きてきた(=ぼやけた人生)けれど、「愛」こそが自分が求めていて、これからも自分が第一にして生きて行くべきものなんだと気づいた(=光=愛を見つけた)…!?
って考えると素敵ですね。全部憶測ですが(ノД`)・゜・。
<盗んだ王冠を返してもらう>という最初の目標はすっかりどうでもよくなり、金銭的に価値のあるものよりも「愛」という何にも代えられないものを見つけた…ってことならば
泣けるぅぅぅぅぅ。゚(゚´ω`゚)゚。
ユージーンというキャラクターの魅力
ユージーンはいろんな意味でこれまでにないディズニー・ヒーローだと言えます。
例えば、ナルシストで顔を気にする点。
ナルシストという点では『塔の上のラプンツェル』の前作である『プリンセスと魔法のキス』の王子も該当しますが、彼はユージーンほど顔に傷を負うことを気にしていませんでした。
「鼻だけはやめてくれ!」ってヒーローが言うセリフじゃないw
フライパンで戦うヒーローも彼が初。
戦い相手のマキシマス(馬)はちゃんと剣で戦ってたのに(笑)。
そしてユージーンはディズニー史上最もイケメンヒーローと言われています。
人それぞれの好みによって違うと思いますが、一応公式上?はそうなっています。
なんでもユージーンのキャラクターデザインをする際、女性スタッフによる「ホット・ガイ・ミーティング」というイケメン会議が行われたそうです。
イケメンの研究に研究を重ねて生み出されたキャラクターがユージーンで、ディズニー史上1番イケメンキャラクターだと言われています。
色々な面でディズニー史上の記録を塗り替えていますね。
そんなユージーンですが、お笑いキャラもしっかり担っている。
『プリンセスと魔法のキス』の王子もなかなかお笑いっぽかったですが(笑)。
思えば『塔の上のラプンツェル』にはジーニーやオラフのようなお笑いキャラが見当たらない。
パスカルはかわいいしそこまでお笑いって感じではない。
しいて言えばマキシマス?でも、この子もユージーンとの掛け合いが面白いのであり、どちらかというと単体だとその頭の良さが目立つ感じ。
途中まで敵というか、対立する側だし(;^_^A
ユージーンはひょうひょうとしていて余裕ぶっているところがあるけど、かっこよく戦っていたかと思えば木にぶつかるし、ラプンツェルの輝く魔法の髪を見てひどく動揺するわ驚いて声がひっくり返るわ。
挙句の果てには、ラプンツェルの魔法の髪の力で傷ついた手が治るのを見て叫びそうになる。けれどラプンツェルに「叫ばないで!」と言われて「ぁー」とか細い殺した叫び声を挙げるわ、なかなか見ていて飽きない(笑)。
イケメン顔だけではなく、いろんな側面を持つ点も人気の一つかもしれないですね♪
自分の命と引き換えにプリンセスを救ったヒーロー
今回『塔の上のラプンツェル』を見ていて、1番感動した所がここでした。
意外とディズニー映画にはこういうヒーロー少ない。
言うて『眠れる森の美女』のヒーロー、フィリップ王子はじめヴィランズと戦うヒーロー達も冷静に見るとすごい命の危機に晒されながら戦ってますが(^^;;
なんと言うんでしょう…『塔の上のラプンツェル』の場合は、ラプンツェル自身の命に危険が迫っていたわけではありません。
映画を見たことがない!という方のために説明すると…
ラプンツェルを救うために、ラプンツェルが幽閉されている塔に登ったユージーンは、ヴィランズのゴーテルに後ろから急所を刺されてしまいます。
それを見たラプンツェルは、「ユージーンを癒すのを許諾してくれたら、一生逃げないであなたの願う通りにする」とかけひきを始めます。
ユージーンは呻きながら「絶対ダメだ」と叫ぶけど、ゴーテルはこの交渉に応じます。
ユージーンを髪に巻いて癒そうと近づいたラプンツェルでしたが、ユージーンは彼女を油断させた隙に髪の毛を掴み、片手に隠し持っていた鏡の破片を使ってラプンツェルの魔法の髪を切り落としてしまいます。
一度切ってしまった髪は魔法の力を失ってしまい、元に戻ることはできません。
ラプンツェルの髪の力で若返りを繰り返していたゴーテルは、魔法の力を失った途端一気に歳を取り、消えてしまいました。
ユージーンは息絶え絶えにラプンツェルを見つめ「君は僕の新しい夢だった…」と言い、目を閉じてしまい…。
その後は見てからのお楽しみということで割愛…。
話を元に戻すと、ゴーテルはラプンツェルの髪の力が必要だったから、ラプンツェルが殺される可能性はほぼゼロ。
ただ、死ぬまでずっと自由は奪われる。
死ぬわけではない。どこかで生きている。それでもラプンツェルが自由を奪われるのは耐えられなかった。
今すぐに癒されないと自分の命が危ない。
ユージーンはその中で、自分の命よりも、愛するラプンツェルの自由を選んだのでした。
自分を生かす代わりにラプンツェルが一生閉じ込められて生きるという罪悪感が耐えられなかったのでは?という方もいるかもしれませんが、
先述した通り「輝く未来」の歌詞の中では「彼女こそ守る世界」であり、死ぬ直前には「君は僕の新しい夢だった」と言っています。
愛するから、愛する人の自由を選んだ。
これは後に公開される『アナと雪の女王(2013)』でオラフが言っていた「自分より相手を大切にする愛=真実の愛」に当てはまりますね。
『アナ雪』は姉妹同士だったし、何より「真実の愛」がテーマだったので話題になりました。
でも『塔の上のラプンツェル(2010)』では異性同士。どうしても異性的な愛が強調されてしまうというか、目に見える分には今までのプリンセスストーリー的な印象がどうしても強いため、本作の公開時には「真実の愛」という面にはさほど注目が集まらなかったのでしょう。
兎にも角にも、命がけでプリンセスの自由を守り抜くという一番ヒーローっぽいディズニープリンス、それがユージーンの最大の魅力ではないでしょうか。
まとめ
いかがでしたか?(*´ω`*)
フライパンヒーロー、イケメンヒーロー、お笑いヒーロー。
一方で、歴代ディズニーヒーローの中で初めて<命がけの愛>を見せたユージーンでした。
「かもれしない」という推測語尾ばかりな事実から察していただける通り、ユージーンの過去や正式な詳しい心境については謎です(;^_^A
色々妄想して楽しむのも映画の魅力?w
普通に「輝く未来」のランタンのシーンや、ラプンツェルの髪のCG技術に感動しますし、「ホール・ニュー・ワールド」や「美女と野獣」…様々なディズニーの名曲を生み出しているアラン・メンケンの音楽が素晴らしいので、
『塔の上のラプンツェル』、まだご覧になってない方はぜひ見てください♪
お勧めです☆\(^o^)/