自分が生き残れている理由を考えてみた

闘病の経緯

散々「自信がない」「自分はダメだ」と言って自己否定をしまくっている自分が、なんやかんやで自殺せず今も生きている理由を考えてみました。

「きっと、心のどこかで自分を肯定している部分があるはず。それがなければ生きるのがつらすぎて命を絶っている気がする」と思い始めたのがきっかけです。

それで「自分が認めている(肯定している)自分」はどんな自分なのかを考えてみました。

それでふと気づきました。

オタクな自分のことは好きだと感じています。

推しのためとなるとものすごくフッ軽になって、何店舗もお店を巡るのが苦ではないし、仕事帰りにわざわざグッズを買いに舞浜まで行きますし、17時~パークに入園するのも苦ではありません(もちろん体調が悪かったらしませんw)。

挙句の果てには海外まで追いかけに行きますし。

推しに貢ぐために仕事もがんばれるし海を超えることも厭わない、そんな激しいオタクな自分のことは嫌いではありません。

むしろ、結構好きです。

「自分って自分のことを全否定していたわけではなかったんだ。しっかりありのままの自分を受け入れて認めて、好きって思ってあげられる部分もあったんだな。だから生きているんだな」と思いました。

自分に限らず、オタクという人種自体が好きです。

気持ちがわかるからというのもあると思いますが、オタクって応援したくなりますし、推しを全力で推している姿が美しいと思います。

愛って美しいです。

もちろん人に迷惑をかける行為はよくないと思いますが、迷惑をかけなければ別に全力で推しを推したらいいと思います。

むしろ見せてくれ、推しに捧げる君の愛。

何かを全力で愛でるって、とてもよいと思います。

人間が持つ愛の力ってすごいなと感じられますし、見ていてなんだか元気が出ます。

全力で愛を注げる対象がいるということ自体も感謝ですし幸せだなと感じます。

「愛されるより愛する方が幸せ」といいますが、本当にそう思います。

幸せです。

「こんなにグッズ買ってしまって金遣いが荒い!我慢ができない、節制ができない自分はダメだ」

と自責することもありますが、全力で推しに愛を注げる自分のことを嫌いだと思ったことはあまりありません。

推し活をしている自分を振り返って初めて気が付きました。

私は、自分のことを愛せている部分もしっかりあるようです。

それがまた一歩自信につながりますね。

実はベイマックスに沼り始めてから2年ほど、「偶像(=神様よりもっと愛する対象)になっているのではないか、さすがにベイに溺れすぎではないか」と葛藤や不安がずっとありました(笑)。

けどそのたびに人を通して「罪悪感を持つ必要はない!」という話をされたり、「こころのために祈ったけど、ベイマックスを通して悟ることがある気がするからもっとやれ」と言われたりして、「本当か!?」と半信半疑で推し活をしていました。

今記事を書きながら、もしかしたら「オタクな自分を好きになって、そこからまた徐々に自分の他の部分も好きになっていく」という御心があったのかもしれないと思いました。

神様の考えと人間の考えは違うと聖書にも書いてありますが、

違いすぎて全然わかりませんw

天が地よりも高いように、 わが道は、あなたがたの道よりも高く、 わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。 

イザヤ書 55:9

神様の御働き、すごすぎます。

推し活を通して「自分のことを好きになってもいいんだな。こんな私でも神様は変わらずに愛してくださるんだな」という感覚を一層身に着けていきたいです。

いやー神様の計画って本当に人間にはわかりませんね。

感謝して推し活つき進めてみます!

べーーーーーい!!!

この記事を書いた人
こころ

2015年8月に適応障害の診断を受け、2019年2月から1年1か月休職し退職。今は障がい者雇用枠で働いています⭐︎
自分の心理を分析しながら、心の傷を癒していっています(^^)
キリスト教福音宣教会会員として神様の愛を学びながら、自分と他人を愛せるように頑張っています☆
ディズニー大好きで、特にベイマックスが大好き!(●ー●)
ディズニーのアトラクションは、ベイマックスのハッピーライドが1番好きです!
(詳細については↑の「”こころ”」をクリック☆)

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