「自分を愛せない苦しみ」という記事を書いた通り、自分を愛することは、私にとってはなかなか難しいことです。
最近、ずっと苦しかったけど、友達と話しているうちに、また無意識のうちに自分を責めていじめていたし、否定していたからだと気づかされました。
無意識のうちに、いつの間にか癖で自分を否定してしまうんですよね。
どんな風に否定していたかというと、例えば、最近集中してお祈りできなくて、10分くらいしか持たないのですが
「10分しか祈れない自分はだめだ」って、10分しか祈れない自分を否定していたんですよね(;^_^A
確かに10分くらいで目を開けてしまうことがほとんどだけど(お祈り中は基本目を閉じます)、10分以上祈る時だってある。
なのに、そういうできてる部分は見れなくて、できてない部分ばかり見てしまうんですよね。
私の悪い思考回路の一つです。
あと、一番苦しかったのは、ディズニーが好きな自分を否定していたことでした。
まっっっったく否定している自覚がなかったので、「否定している」って自覚した時にはとてもびっくりしました(笑)。
どうして否定してしまうかというと、こちらの記事にも書いた通り、神様って、神様のことを一番に愛さないと嫌がるんですよね。
昔の私にとっての一番がディズニーだったので、ディズニーに触れすぎると、また神様よりディズニー優先の人になっちゃうんじゃないかって、怖かったんです。
神様よりディズニーが好きなんじゃないかって不安で、「ディズニー好きな自分は神様を最優先にできないからダメだ」って、これまた否定しまくってたんですよね(-_-;)
これも友達と話している中で気づかされました。
どうして否定しちゃうのか考えてみたら、自分を信じてあげられていなかったのかなと思いました。
どういうことかというと、昔は御言葉も神様も知らなかったからディズニーが一番になっていたけど、「今は御言葉を学んで、神様についても知って、真理を知っているから、ディズニーが神様より優先になることはない!」って、自分に自信を持てばいいのに、持てなかったんです。
「ディズニー好きな私は肉的なんじゃないか。肉的な私は神様に好かれないんじゃないか」
そうやって、ディズニー好きな気持ちを殺そうとしていたことに気づきました。
でも、結局ディズニーは好きなんですよねw
溺れたらいけないとは思うし、度を過ぎてはいけないとは思うけど。
ディズニー好きな私を、神様も牧師先生も否定しないはず。
勝手に私が罪悪感を感じて、自分の個性を否定していました。
でも、友達と話す中で、「ディズニー好きな自分のことを好きになっていいんだな」って、強く思えるようになったんですよね。
というのも、その友達自身も、昔好きだったもの、だけど神様を優先にするために一回捨てたものをもう一回拾って、「私はこれが好きだ!これが使命だ!」と自分の意思ではっきり認めた時、信仰がとても楽になったんだという話を聞いたのです。
その話を聞いて、私もディズニー好きな自分のことを否定する必要ないんだなって、考えられるようになりました。
その時、『アナと雪の女王』の名曲”Let it go”の中の歌詞が思い浮かびました。
魔法の力を隠し続けて生きてきたエルサが、自分の力を思いっきり解放させて「もういい!これからは自由に生きるわ!」と歌う中で、「これでいいの。自分を好きになって」という歌詞があるのですが、まさにこの部分が思い浮かびました。
最高の個性である魔法の力を受け入れて認めて解放させたエルサのように、私も「ディズニー好き」という個性を持つ自分のことを受け入れて、好きになってもいいんだなって、なんだかとても安心しました。
安心した途端にすごく気持ちが楽になって、最近何か詰まっている感じがしていたのも解けて、すごく嬉しくなりました。
その日は脳が興奮して夜眠れなかったほど(;^_^A(笑)
「これでいいの 自分を好きになって
これでいいの 自分信じて」
エルサのように、自分を好きになれるよう、少しずつ頑張ります(*^-^*)