助けを求めてもいい

闘病の経緯

障がい者雇用で働き始めてから、半年が経とうとしていた12月末の出来事です。

12月頭に胃腸炎にかかって体調を崩していたところに、師走の忙しさが仕事でもプライベートでもどどどどどっとやってきて、疲弊しながら毎日を過ごしていました。

そしてそのまま年末を迎えようとしていた矢先、定着支援面談があり、支援員の方と対話をしました。

面談では決まって最近の体調(メンタル面も身体的な面も両方聞かれる)や仕事内容、忙しさ、困りごとや悩みごとについてなど、ざっくばらんに聞かれます。

なので、その時もとりあえずずっと疲れがとれないこと、自分でリカバリーも頑張ってやっているけど、気分が晴れないことなどをありのままに伝えました。

そうしたら、意外な一言が返ってきたんですよね。

「ご自身でリカバリーはかなりされていますね。それでもよくならないということは、外部の力を借りる必要があるかと思います

言葉は正確ではないですが、そんな感じのことを言われて、私はとっても驚きました。

外部の力を借りるという発想がなかった!(笑)

ちなみにここでいう「外部の力」というのは、カウンセリングだったり医師だったり、第三者の力という意味合いです。

カウンセリング自体は月1で受けてはいますが…(^_^;)

会社にいると周囲の音や声が気になってしまい、それだけで疲弊してしまう傾向があるので、上司や部長にもそのことをちゃんと共有して、適宜気になったら少し場所を変えて仕事をさせていただくなど、他の人にも相談して協力してもらいながらやりましょうというお話をされました。

いや、うん、それめっちゃ大事ですね。

「せっかく障がい者雇用で働かせていただいているのだから、そういう配慮や対応はお願いしていいんだ」という話を改めてされて、本当そうですねと思いました。

無意識のうちに完璧主義を発動させていたようで、最初から一般社員並みにやろうとしていた自分に気付きました。

それがよくなかったようです。

うん、そりゃそうだ。それができればそもそも障がい者雇用で働く必要ないわ\(^o^)

私は、昔から誰かに相談したり助けを求めたりするのがとても苦手でした。

「相談しても仕方ない」という認識が超強いというか、基本そのスタンスなので、相談しても意味がないと思って言わないことが多かったです。

キリスト教福音宣教会に来てから大分鍛えられてマシになってはきましたが、やはりまだ少し弱い気がしています(;^_^A

また、「自分より大変なんじゃないか」とか「このくらい自分で何とかしなきゃ」と思ってしまう癖も強く、誰かに「これお願いします」とか「助けてください」とかも言いにくいです。

抑うつでぶっ倒れてからは、さすがに体調悪い時は「できません」発言できるようにはなったので、それは不幸中の幸い?なのかも。

これまたキリスト教福音宣教会で鍛えられたので、会社でも教会でも、言いやすい人には言えるようになってきたとは思います。

でも今回の面談でまた「外部の力を借りましょう」という話が出て、私はその発想がすっかり抜けていたので、普通に「やべっまたやっちまってた」ってなりました(笑)。

辛い時、苦しい時、誰かに助けてほしいけど、声に出しにくくて、しまってしまって、1人で抱え込んで悩んでいるのって、私だけではないと思います。

気付いてほしい。分かってほしい。

でも、言えない。

だから、余計に苦しくなりますよね。

相談することや助けを求めること自体は、決して悪いことではないと思います。

相談することで自分の頭では思いつかなかった意外な方法が見つかることが多いし、一緒にやることで想定よりもっとよいものができることもありますよね。

なので、勇気を出して、思い切って、声に出してみて、自分の認識をぶち壊す作業が必要なのかなと思います。

私も、私に共感してくださっているあなたにも。

練習相手はマジで選んだほうがいいですが!(^^)!下手すると逆に傷つくことになるので…。

人にどうしても言いにくい時には、私はまず神様に打ち明けるよう、挑戦中です。

 悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、
あなたはわたしをあがめるであろう」。

詩編50:15

 わが神、主よ、わたしはあなたに寄り頼みます。
どうかすべての追い迫る者からわたしを救い、
わたしをお助けください。

詩編7:1

 主はわたしの願いを聞かれた。
主はわたしの祈をうけられる。

詩編6:9

聖書を読むと登場人物の多くは、大変な時、困った時、嬉しい時、悲しい時、いつも神様にお祈りをしていました。

「祈り」=「神様と対話すること」なので、人には言えない苦しみも神様には告げて、答えを受けて、前進していっていました。

私も、そのように神様と通じて、人とも通じて、1人の世界に閉じこもるのはもうやめたい。

耐えきれず、壊れてしまうから。

相手にどう思われるかとか気にせず、ちゃんと伝えるべきことは伝えられる人になりたい。

1人で抱え込んで勝手につぶれてしまう人に、もう二度とならないように気をつけよう…。

再び決心する機会でした。

 絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。

エペソ人への手紙6:18

神様とも対話、人とも対話、ですね。

頑張ろう(*´ω`*)