10時間祈ったら精神が改造された

信仰の経緯

最近、キリスト教福音宣教会では祈りブームが起こっています。

ブームという言葉が適格かは分かりませんが、要は「みんな祈ろうぜ!」みたいな雰囲気です。

そんな中、10時間ぶっ通しで祈った時に、精神が改造された感じがするので、そのことについて書きます。

10時間祈るようになった経緯

讃美が苦手な私が1日讃美10曲の条件を40日経てたらすごいことが起こった」という記事にちらっと書きましたが、私はそもそも祈りは大好きです。

「祈りは神様と対話することだよ」という一言から始まり、具体的な祈り方を教えてもらった日から9年以上、1日も欠かさず毎日祈っています。

とはいえ10時間ずっと祈り続けるのは、決して簡単なことではありません(^_^;)

ではどうして10時間も祈ろうと思ったのか?

きっかけとなったのは、最近伝えられた「各自古いものをきれいに葬りなさい」という御言葉でした。

葬るということが聖書にたくさん出てきます。旧約から新約まで、言葉としては出てこないとしても、新約の時にはたくさんそういう表現を使いましたが、実際、出来事としては、旧約から新約までそういう「葬る」という状況に当たるものがたくさんあります。そのように聖書を読んだ時、正しく読むことができます。

イスラエルの民が、エジプトから400年が終わって、時が満ちて戻ってくることになりましたが、それが葬ったことですが、シン荒野に来てエジプトのことを考えて、またカナンに入ることについて不平不満を言いました。それで、そのあと、葬った子孫たちはヨシュアと共にカナンの地に行きました。古いものを葬る。葬ったら葬った人の行く道に進んで行くようになります。

死体、いろんなものが、この行ない、自分中心、自分中心の思考、全知全能なる神様の前で、そういうものはすべて死んだ行為だ。それが役に立つのか?自分が損するばかりだ。そういうものを、祈ることで悟ってなくしなさい。そうしたら、死体を火葬して灰にしてなくすことと同じだ。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

この御言葉を聞いた時、今まで直したいと思っていたけど、直せずにいる様々な自分の思考の癖について考えるようになりました。

自分を責め否定すること、否定的に考えること、自己肯定感があまりにも低いこと、人の顔色を伺うこと、「良い子」を演じてしまうこと。

挙げたらきりがないくらい、多くの捨てたい癖が思い浮かびました。

聖書を学び始めてから9年以上が経ったし、適応障害の診断を受けてからは6年が経ちました。

でも、今の自分を見ると。

もちろん良くはなってきてはいるけど、まだまだ直せていない自分を見て、とても悲しくなりました。

直したいのにどうして直せないんだろう?

薬にカウセリング、認知行動療法、休養、ホメ日記、自分へのご褒美、自己啓発本を読むこと…

色々努力はしてきた。けれど、どうしても変わらない自分。

「葬りなさい」の御言葉を聞いて、本当に本当に今回こそは完全に覆りたい。

完全に生まれ変わりたい

切実な思いが湧いてきた時、「10時間祈ろう」という感動が来ました

「あ、そうだ!10時間祈ろう!」という考えを神様がくださったのです。

ちなみにどうして10時間かというと、以前7時間は祈ったことがあるので、次は10時間に挑戦だなと思っていたからです。

先ほど引用した御言葉の中にも「祈ることで」という一言があったので、「これは祈るしかない」と思い、10時間祈祷に挑戦することにしました。

祈ったらどうなったか

結論から言うと、

精神構造が変わりました(゜-゜)

キリスト教福音宣教会では有名なチョン・ジョウン牧師(以下チョウン牧師)という方がいらっしゃるのですが、今年の9月頃、チョウン牧師も「精神が改造された」経験をされたそうで、その体験を話してくださったことがあります。

その話の内容がすごかったので、私も「精神が改造」されたい!という思いがずっと頭の中にありました。

それで、10時間祈祷の初めに神様に切実に「私の精神を改造してください」と泣きながら祈りました。

病気になるような精神は嫌です。今の精神では生きていけません。本当にこのまま、今の私で生きるのは嫌です。助けてください

正確には覚えていませんが、そんな感じの祈りをした気がします。

祈ったらたちまち…という魔法みたいなことはなく(笑)、しかし祈り始めたから8~9時間くらい経った頃、変化が起こりました。

(時間は時計を見ていないのに正確には分かりませんが、確か最後の方)

今まで他人の評価=自分の価値だったけど、

いや、なんで人間に私の価値決めつけられなきゃいけないん??

決めるのは神様だろう(゜-゜)

悪口言われたり否定されたりするのが怖かったけど、

いや、悪口言っているのって目の前の人間っていうかサタン(聖書に出て来る悪い霊)だよね?

いや、なんで私がサタンの言葉を気にしなきゃいかん??(゜-゜)

その言葉に一体何の拘束力があるの?いや、なんも意味ない言葉だよね。時間取られるだけ無駄。

誰かが私の悪口を言ったとして、

だからってその言葉が、その人が私を地獄に引きずる力がある?いや、まったくないよね。

ということは、気にしなくてOK。

と言う感じで、まだまだ色々あるのですが、「精神が改造された」感覚が確かに来たのです。

擬音語で表すと、

ぐわっ

って感じ。

アヒルじゃないですよ。

文章で上手く表現できなくて私自身悔しいのですが…こう、

ぐわっ

って感じです。

なんかひっくり返されたみたいなイメージです。

10時間祈った結果、祈り求めた通り、神様が精神を改造してくださる奇跡が起きました

まとめ

「各自古いものを葬りなさい」という御言葉を通して、祈りたい心を与えてくださり、10時間祈祷に挑戦するようになりました。

祈った結果、精神が改造される奇跡を見ました(笑)。

一言でいうと、「お前がなんだ?」という精神と言えばいいのかな。

根本的には、悪口を言ったり傷つく言葉を言ったりするのって、人間じゃなくてサタンという悪い霊の影響を受けているからだと悟ったのが大きいです。

なので

今までは「人間」を見て人の言葉や言動を怖がっていた

→「サタン」の言葉だと分かった

→じゃあ気にしなくてOKじゃね?ていうかサタンの言葉なんてどうでもよくね?ていうか負けてたまるか!!

という風になりました。

もちろんまだまだ人の言葉や言動に影響を受けはするし、傷つきもするし、自分を否定してしまうこともあります。

けれども、「サタンに負けてたまるか」「お前がなんだ?」という精神にぐわっと転換された感じがして、それがあるから前よりははるかに楽にはなりました。

言葉でうまく説明できない部分が多々あり、どこまで伝わるか分かりませんが…

神様がしてくださったことに感謝する思いを込めて、記事にしました。

読みにくかったかも分かりませんが、ここまで読んでくださりありがとうございます!(^^)!

自分作り、続けて頑張ります☆

この記事を書いた人
こころ

2015年8月に適応障害の診断を受け、2019年2月から1年1か月休職し退職。
自分の心理を分析しながら、心の傷を癒していっています(^^)
キリスト教福音宣教会会員として神様の愛を学びながら、自分と他人を愛せるように頑張っています☆
ディズニー大好きで、特にベイマックスが大好き!(●ー●)
ディズニーのアトラクションは、ベイマックスのハッピーライドが1番好きです!
(詳細については↑の「”こころ”」をクリック☆)

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