私はよく人から何かしてもらったり、物をもらったりすると、感謝の気持ちより申し訳なさや罪悪感の方が先立ちます。
「こんなんもらう資格がないのに」
「何もしてないのに」
「気を遣わせてしまったかな?」等、
色々悪い方向に考えてしまい、「ありがとう」より「申し訳ない」という気持ちの方が強くなってしまうタイプで、更に「ありがたく受け取れない自分はダメだ」と自責までするので、苦しかったです。
もちろん口では一応お礼はちゃんと言いますが、「申し訳ない」と思いながら「ありがとう」を言うので、心と言葉がちぐはぐな感じがして、スッキリしませんでした。
あとは「返さなきゃ」って思ってしまって、負担を感じます。
日本人あるある。
という話をある友達にしたら、その子も「返さなきゃ」とは思うけど、そこまで負担や申し訳なさを感じないと言っていてびっくりしました。
時と場合と関係性にもよるけど、立場を変えて考えたら「確かに自分がやりたくてやっているだけであって、別に見返りは求めないよなぁ」とか「申し訳なく思われるよりも、喜んで受け取ってくれた方が嬉しいなぁ」とは思います。
神様も同じ気持ちでしょう。
でも、自分がもらう立場となると、どうしても従来の考え方から抜け出せない。
困ったなぁ(-_-)
と思って祈っていたら、ある考えが浮かびました。
それが今回の記事のタイトルでもある「モノではなく心を受け取る」という考えでした。
モノ(コト)を受け取ると思うと負担だけど、「あげたい」という相手の心、自分を想う気持ちを受け取ると考えたらどうだろうか?
そう考えたら、「負担なく受け取れるかも?」と思って、ストンっと心が軽くなりました。
神様がその人に感動を与えて、「(私に)してあげたい」という心を与えてなさっていることかもしれません。
モノを見ると値段とかラッピング代とかわざわざそれを買ってくれた相手の時間とか、すごく色々深く考えてしまって申し訳なさがこみあげて来る。
でも、相手のその気持ち、心だけを考えると、純粋に嬉しいですよね。
そのように悟った、ちょうどそのタイミングで、こんな御言葉が伝えられました。
「感謝します」という意味は何か?何かをしてくれたから、その対価を支払う。何かをもらったならば、それをただもらうのと、「ああ、ありがとうございます」。その対価を支払うことになるのです、口で。どれほどいいですか。
だから、「感謝」という言葉は、神様に「よく受け取りました」とお伝えするお返事です。神様にお返事するのです、「感謝します」というのは。「受け取りました」と。そして、感謝一つで答えることができます、報いることができます。
だからみなさんも、地球も全部もらいましたよね。だから、その答えとして、報いることとして感謝します。「お返しする」という意味で感謝するのです。
みなさん、神様が下さる時にもらうのです。今も礼拝の時に下さるでしょう。下さる時に「とにかくもらおう」。もらわなければなりません。
「じゃあ、何かしなければならないんですか?」その負担は後で。
「えっ、これをもらうのも怖い。もっともらって、どうしよう。怖い」と言わないで、とにかくもらって、まずは口ででも感謝してください。
最初にできるのは、口で言うのはまずすぐにできるでしょう。だから、一旦「感謝します」と言ってもらってください。「ああ、もういいです。後で下さい」ではなく、とにかくもらって、「感謝します」。
そして、生活に入って、心でも「感謝します」と言って、一つ一つみなさんができることを行ないでお返ししていけばいいのです。
鄭明析牧師の御言葉より抜粋
「感謝します」「ありがとうございます」は、「よく受け取りました!」と相手に反応することであり、もらった対価を支払うこと。
口でまず対価を払えるって、すごいなと思いました。
それに「何かお返ししなきゃ!」と負担を感じるのは後でいいという言葉を聞いて、とても心が楽になりました。
「あぁ、そっか。相手は見返りがほくしてしているわけじゃないから、自分が何か自然に『これプレゼントしたい』とか『これをして差し上げたい』と思ったらすればいいだけの話で、無理して頑張って何かしようとしなくていいんだな。とりあえず、まずは相手の気持ちを感謝して受け取ればいいんだな」と思えるようになりました。
「モノではなく心を受け取る」
神様がくださったその悟り一つと御言葉で、長年の悩みが綺麗サッパリ解けました。
ハレルヤ(=゚ω゚)ノ
そして祈りはすごい…。
申し訳なく思わず、感謝して喜んで色んなプレゼントを受けとりま~す!(*^^*)
プレゼントくれといういみじゃないからね、ちがうからね。そんなめでみないでね。