こんにちは(/・ω・)/
最近、メンバーの間ではある単語が超絶流行っています。
「一番急いでつくるべきことは、人間をつくること、自分をつくることだ。」
この御言葉がきっかけとなり、「つくる」という言葉が大流行しています。
直接は会えない現状ですが、それでもオンラインでMTGしたり電話したりします。
で、その時にちょこちょこっとメンバーと話すのですが、何話しても「つくる時だね~」「いやーお互い頑張ってつくろう!」っていう感じになりますw
メンバーあるある。御言葉が宣布されると、その中に出てくる単語が大流行します(笑)。
作る、開発するということは、人間にとって本当に必要なことです。人間が生きていく時、造らなかったならば、家一つもないでしょう。道一つも存在しません。もちろん、歩くから、道ができたでしょう。動物も通ると獣道ができるように。
つくった時とつくっていない時。つくっていなければ本当に不便です、原始人のような生を生きるようになります。つくっていないんだったら、地球村は宗教の歴史6000年、人類歴史、ざっと見ても数万年だと言いますが、原始人の生が続いたことでしょう。
世の中の万事を見ても、つくらなければ全く「存在」できません。どんなものでも開発すればするほど「もっとよく」なり、「もっと楽に」使って生きるようになります。人もそうです。だから<物>もつくり、<環境>もつくり、<人>も義なるものにつくらなければなりません。
鄭明析牧師の御言葉より抜粋
この休職の期間に自分の良くないところを直して、また休職…という事態にならないように、自分をつくらなきゃなぁと気が引き締まる思いで、私は御言葉を聞いていました。
直すところは山ほどありますが、今率先して直すべきなのは、否定的な考えかなぁと思っています(-_-;)
ただでさえストレスでデフォルト落ちてるのに、特にホルモンバランスが崩れる時と低気圧の時とかまずい。もう気分ガタ落ちして否定的な考えしか浮かばない。
こんな感じです。Oh No! 的な。
否定的な考えによる弊害はたくさんあるのですが、最近特に困っているのが、<感謝できない>ことです。
感謝は価値を分かる人ができることで、 天の前でも人の前でも基本であり、礼儀です。
感謝は天国に来る基本的な鍵です。 感謝しない人は、天の前に来ることができません。 与えるものを当たり前にもらう人は、 与える人も、もらう人も恥ずかしくなるから 与えても嬉(うれ)しくなく、互いにきまりが悪いのです。
鄭明析牧師の御言葉より抜粋
あああーめーーーーん<(_ _)>
「基本」であり「礼儀」って、本当にそうですね。
自分の心理を考えてみても<感謝して喜ぶ人>の方が可愛いしこっちも嬉しいし、「もっとやってあげたい」って思う(´_ゝ`)
しかし。日常の中で<感謝すること>ってたくさんあるはずなのに、私は生活の中でなかなかこの感謝ができないんです((+_+))
なんでだろなーってぼけーっと考えた時、一番は否定的な考え方が原因なのかなと。
「~してもらったけど本当は負担をかけていて迷惑がられているかもしれない…」
「~してもらえてありがたいけど、手を煩わせてしまった…」
「私なんかのために忙しいこの人の貴重な時間を割かせてしまった…負担をかけてしまって申し訳ない…」
何かもらっても「気を遣わせてしまった…」とか「お礼しなきゃ…」とか
色々よろしくない方向に考えてしまう(;O;)
人に対しても、神様に対しても。
二番目の原因は「もらった分返さなきゃ!」というプレッシャーを感じてしまうこと。
今書きながら気づきましたが、<無条件の愛><見返りを求めない愛>というのが分からないんだろうなぁ。
天はみなさんが何かをしてくれることを目的にして みなさんを育てたり、愛して投資したりはしません。みなさんが天の仕事をして利益を残してこそ みなさんを愛するのではないということです。
天はみなさん自体を愛し、みなさんがとても幼くて足りず、よくできることがない時から みなさんを選び、愛して教え、育ててくださいました。 だからみなさんを一つ一つつくって最高に美しくなった時、 みなさんが持っているもので栄光を帰せば 甲斐(かい)を感じ、それまで与えた愛と努力、 投資したことが惜しくないとおっしゃいます。
みなさんが天の前で有益にならないからといって みなさんを少しだけ愛したり捨てたりはなさいません。
みなさんは神様の愛をどのように考えますか? みなさんがそのように考えるから、神様をそのように考えるのではありませんか? 神様に対するみなさんの愛を点検しなさい! 神様はみなさんに対してそうではないのに、 みなさんには神様が必要で、 ある利益と目的のために愛するのではないのかを考えてみなさい。
鄭明析牧師の御言葉より抜粋
神様の愛は見返りを求める愛ではなく、本当に自分のことを愛し大切に思って、また<生かすために>くださる愛。
頭では理解できていても、今まで生きてきた中で経験してきた<愛の傷>によって認識観が歪んでいて、正しく見えていないみたいです。
感謝は価値を分かって認めることだ。感謝はそれをくれた相手の心を受け取り、認めてこそ真実にする。
鄭明析牧師の御言葉より抜粋
神様が自分にしてくれた。見返りをもらうためにではなく、愛するから、生かすためにしてくださった。
私は、自分に向かう神様の愛をまだまっすぐ見て、受け入れる器ができていないようです。
7年間も御言葉で神様について学んでいるのに、根本である<神様との一対一の愛>が分かっていないというかなりまずい問題。この記事を書きながら気づきました(笑)。
テサロニケ人への第一の手紙5:16-18
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。
誰でもつくったら、つくられる。
つくるのが大変でも、つくらなければならない。<祈りでつくるべきところ>は「祈」って神霊につくり、<御言葉でつくるべきところ>は「御言葉」を聞いてつくり、また<福音>を伝えながらつくり、磨き、切り、断ち、走って行ないながら、つくる時に完全につくらなければならない。
鄭明析牧師の御言葉より抜粋
まずは感謝の習慣を身に付けられるように、悪いところを見て落ち込むのではなくて、「ここまでできたから感謝だ!」とか、考え方のトレーニング。
そして、人の顔色を覗わないで心から感謝できる自分をつくることを直近の目標にします( `ー´)ノ
感謝するのに何か気を付けてることとか、工夫していることある方はぜひ教えてください(笑)。
祈って<価値>を悟ってこそ、喜び楽しみ、愛で熱く10倍、100倍享受して生きるようになる。
人間の心理を見たら、<初めの愛>を得るとか、付き合いはじめるときは、心が燃えて喜び、気が狂って行なう。そうしてだんだんとその心をなくすようになる。
<初めの愛を忘れるさまざまな理由>がたくさんあっても、「神様と聖霊様と御子主」は昔も今も変わらない新郎でいらっしゃるし、同じく一層熱い愛を降り注いでくださる。
鄭明析牧師の御言葉より抜粋