こんにちは(‘ω’)
最近、Twitterやらブログやらその他もろもろやる中で「なんかうまくいかないなぁ」って思うことがたくさんありました。
無理矢理絞り出してやるんだけど、しっくりこないというか。
「なんか違うんだよなぁ」という感覚。
<神様の御心>どおりに行なってはじめて、それによって「肉」も「霊」も喜びが来るし、「やること」がうまくいく。反面、<自分の意向>どおりに行なえば、「自分が望むこと」が成就することはするけれども、神様と聖霊様と喜びを共に享受できず、むしろ「害」になることもある。
鄭明析牧師の御言葉より抜粋
「ただ神様、聖霊様の御心どおりに」という主題で伝えてくださった今週の御言葉に基づいて考えるなら、どうやら私は神様、聖霊様の御心どおりに行なえていないようだ。
ということでお祈りもして、どうしてうまくいかないのか、よくできていた時と今とでは何が違うのか、深く考えてみました。
そしたら急にですね、『アナと雪の女王』の“Let it go.“歌いたくなったんですよ。
※リンクは日本語verに飛びます。
本当に急に、唐突に。
「なんだこれは」と思いながら、ストレスもたまってたので歌いました。
吹き替え版では訳されていませんが、英語版だと「いい子でいなさい、いつもそうでなければならない」って、エルサがずっと父親から言われ続けていた言葉が歌詞に入っています。
「どんな意味があって急にこの曲が浮かんだのかなー」って考えた時、答えが浮かんできました。
「あぁ、私は<職場>や<学校>で「いい子」を演じ続けてきたように、また<信仰生活>においても<ネット上>においても無意識に「いい子」を演じていたんだ。だから苦しくて、何もかもうかくいかないように感じていたんだなぁ」。
自分で「いい子」を演じようと意識しているわけではありません。本当に無意識のうちに、気づいたら演じちゃってるんですよね(;^_^A
「ありのままの自分」じゃなくて「いい子」の私を演じて、本音で生きてなかったからなんだかもどかしくて、うまくいかないように感じていたみたいです。
気づいたら、ストンと気持ちが軽くなりました。
<神様の御心>は「分からなければ」遠くにある。
<神様の御心>は「分かったら」とても近くにある。
鄭明析牧師の御言葉より抜粋
休職×コロナで外に出(られ)ないこの期間、私は今<HSP>や<愛着障害>についての本を何冊か買って読んでいます。
学んだことについてはまた後日書けたらと思っていますが、
今一つ書くとしたら、私は「いい子(=人に迷惑をかけない、手をかけさせない子)でなければ愛されない」という信念が強く脳に突き刺さっているということを学びました。
私には姉が一人いるのですが、小さい頃からかなり自由奔放でした。親のいう事あんまり聞かないし、勉強があんまり好きじゃなくて成績がとても悪くて、いつも親から怒られ、呆れられていました。
私はそんな姉を見ながら「あのようにしたら怒られるんだ。呆れられちゃって、愛されなくなるのかもしれない」とか「せめて私だけは親を笑顔にさせてあげなくちゃ」とか、
怒られないように、嫌われないように必死に親が望む「いい子」になろうと努力し始めました。
家庭でそのようにふるまっていたから、幼稚園でも小学校でも中学校でも高校でも大学でも大学院でも、そして職場でも<自分より上の立場の人(先生や上司)の気に入るように>ふるまいながら生きる癖がついてしまいました(-_-;)
その癖が今、ネットや教会(信仰を持って生きる生活)においても出ていた。
ということに、祈るまで気づきませんでしたw
しかも気づいたその日にあるメンバーと話していたら「ブログは真実に書いてこそ、読む人の心に響くよね」という話題が出てきて。
もう否定できないw
脳というのは一貫性を持たせようとするため、どんな環境においても普段考えている思考回路通りに動くそうです。
たとえ対面でない、ネット上だとしても。
常に<私の評価>は<人からの評価>に直結している。
周りが願うであろう理想の完璧な子を意識して、それに合わせて生きようとしている。
疲れるわーーーーーー。
気づけば職場でも家でもネット上でも「良い子」「優等生」を演じようとしていた。適応障害になった原因の1つ。
よく考えたらたった1度の人生。いつ死ぬか分からない人生。自分を偽りながら生きるのはバカらしい。
Let it go.本音で生きよう。本音で生きたい。でもその本音が分からないのが弊害…
— こころ@適応障害×HSP (@kokoro_peaceful) March 31, 2020
その日、Twitterで呟いたツイート。
「ありの~ままの~姿見せるのよ~♪」ですわほんま。
<神様の御心>は「死」を抜け出させる。
鄭明析牧師の御言葉より抜粋
<神様の御心>通りに生きたら<ありのままの本音の自分>を殺して「いい子」を演じて生きる生き方から抜け出せる。
今はただその希望を持って、<神様の御心>通りに生きる自分をつくっていきたいです。
<神様の御心>は「愛」で、「光」で、「善」で、「救い」で、「天国」だ。「平和と慈悲」だ。「互いに助け、一つになること」だ。
鄭明析牧師の御言葉より抜粋