社会復帰の鍵はただ神様の愛

闘病の経緯

こんにちは(/・ω・)/

 

休職してから頑張ってなんとか回復しよう、社会復帰できるように…と考える度に直面する問題があります。

それが何かというと、<自分の否定的な思考>と<自己肯定感の低さ>です。

社会復帰のことを考えても、否定的な思考や考え、真面目すぎる性格、自分を赦せなくて責めてしまう性格…これらを直さない限りは、また精神を病む可能性は大大大、大ありだなと感じるのです。

 

元々この<自分の否定的な思考>と<自己肯定感の低さ>という2つの問題、(私の場合)適応障害の元となっているこの思考回路を直したい。でも働きながらだと時間に追われて難しいから、集中的に治療に専念したい。

このようにお祈りしてから急激に決まった休職だったので、本当に祈った通り、治療のためにくださった時間だなと思います。

 

なので私の休職はきっと、根本的なこの2つの問題というかもはや課題を解いた時に終わるのかなーなんて予想しています。全然違う方向に行くかもしれないけど(笑)。

人間の考えと神様の考えは違うので何とも言えませんな(;^_^A

 

御言葉読んだりTwitterやら教会のちょちょっとしたお手伝いしたり家事したり、色々すべきことをやっていると、休職中だとか自分の課題を忘れてしまいます。

 

待て待て何のための休職じゃ!!( ゚Д゚)

 

と、最近というか昨日自分で自分に叱咤激励し(体は普通に動けるのでできちゃうんですよねぇ)、改めて「自分を愛すること」「肯定的に考えること」について考えました。

 

そんなときに出た御言葉が、神様の愛についての御言葉でした。

神様の愛について集中的に御言葉を伝えていますが、私たちはその愛をたくさん受けてもよく分かりません。

神様と人間の考えはあまりにも差が大きく、人間は受けていてもよく分かりません。どれほど大きく、どれほど、どんなのかが分かりません

一言で言って、そのままにしておいたら、神様がこの世、天地万物を創造し、人間たちを創造し、そのままにしておいたら、永遠な地獄に行って生きるしかありません。

神様の愛は、初めから最後まで助けてあげなければなりませんが、それを受けて行うことをしなければ、死亡の運命で終わります。だから、神様の愛がどれほど大きいのかを人間たちは知らないのです。

愛は、私たちが神様を愛することが先ではなく、神様が、私たちが生まれる前から、地球を創造した時から人間を愛で、愛そうと決心して、愛した。だから、私たちが先に愛したと思うな。いつも神様が先に愛したと考えなさい。一番は、神様のものです。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

 

この御言葉を聞きながら、改めて「あぁ神様の愛って大きいから分からないんだなぁ」とぼんやり思いました。

地獄を免れたとか、天国に行けるんだー!って頭では分かっていても、いまいち肉体はピンと来ないことが多いし、生活に溺れて忘れてしまうことが非常に私は多くて困っています(-_-;)

 

信仰生活の核心ともいえる「私は神様に絶対に愛されている!」という確信(信仰)も私は弱く、むしろうまくできないと「あぁ私はなんてダメなんだ…」って落胆します( ;∀;)w

※良い子のみんなは真似しないでね。

 

神様は「良い子」がほしいわけではなくて、純粋に神様のことを愛する「愛の対象」がほしいだけなので、もう完全に人間側の甚だしい誤解なんですけどね。

もちろん完璧に準備してうまくできるに越したことはないですが、そこが核心ではなくて<真実に神様を愛して行なっているか>の方が重要視されます。

 

頭では分かってるんだけどねーーーーー(´_ゝ`)

 

ぶっちゃけ、認めるのがなんか難しいっす!!!

医者曰く私は「幸せは長く続かない、いつか壊れる」という信念が根強く刻まれているらしいので、愛を認めても「もしそれが壊れたら…」と考えてしまい認められないのかもしれません。

<大きな愛>だからこそ、壊れた時のショックの大きさを考えるとあまりにも怖くて、認められないんじゃないかと推測しています。

 

三位の愛は永遠だから壊れないんですけどねーーーー(´_ゝ`)

 

自分が裏切るんじゃないかとか、自分が壊してしまうんじゃないかって、もうそういう妄想がひどくて「認めよう」と思っても、「愛してくださって感謝します!」って言ってみようと思っても、

心の中で謎の葛藤と闘いが起こり「うぁぁぁぁあああぁぁぁぁ(・ω・ノ)ノ」ってなって「認めるの嫌やー!感謝できんー!」ってなってしまいます。

 

困ったー!!!!

 

あまりにも困って困ったから、神様に「神様、私に何か伝えたいメッセージが今ありますか?」って聞いてみました。

そしたらですよ。答えがもうドンピシャで来たんです。

 

それがこちら!

 

神様の愛は様々に来ますけれども、「神様がこの世を愛して、ひとり子を賜ったほどに、これほど愛してくださった※」と言いました。「これほど」というのは、本人たちがみんな経験したのではないか。

(※ヨハネによる福音書3:16「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」韓国語の聖書には「これほど」という表現がある。)

本人たちが、神様が愛していることを知ろうとしなければなりません。知ろうとしなければ、いくら愛してくださったとしても分かりません。知ろうと思わなければ、基本的な愛しか受けることができません。

神様がこれほどに愛してくださったという、これほどについて過去振り返ってください。どれほど愛してくださったのか。

神様は「すべての人たち、私があなたを助けたように、1回、2回でもなく、いつも助けている。地球上にこんなに人数が多くても、私がいつも死ぬ目で助け、生かしてあげた。自分たちが生きる通りに任せておいたら、数年でみんな死んでしまって地球は空っぽになる」とおっしゃいました。

神様がこれほど自分を愛していらっしゃっているということ、10個、20個、30個、100個でも、そのように出すように「悟った。神様、このように神様が助けてくださった」と、「このように愛してくださいました」と、「そのように出しなさい」とおっしゃいました。

みなさんの分は、私は分かりません。どれほど愛してくださったのか。みなさんが分かって、みなさんが感激してください。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

 

(・ω・)

(=゚ω゚)ノ

( ゚Д゚)!!!

 

もう何も言えません。アーメン(=私もそう思います)のみです。

 

御言葉が、ドストレートに祈りの答えすぎてもうこれ何も反論できない感じじゃないですかw

「だからその愛を認めるのが難しいんですってばー!」とも思ったのですが、御言葉を聞きながら確かに感じた、とある感覚。

 

「苦しい」

 

御言葉を聞きながら、ひたすら胸が痛んだ。

 

日本という国を見ると、クリスチャンがあまりにも少ないし、「宗教」に対してとても敏感で、トランプ大統領が3月15日を「祈りの日」に定めたニュースすら流れない。

「唯一の神様」に対して、知っているほどがほとんどいないこの国で、御言葉を学んで「唯一の神様」について知っているはずの自分が、神様の愛の心を分かって差し上げられないなら、どれほど心が苦しいだろう。

 

ヨハネ第一の手紙4:8

愛さない者は、神を知らない。神は愛である。

 

「互いに愛し合おうではないか。」愛は片方だけが愛したのでは愛が成されません。それが片想いでしょう。一人だけが愛して片方は愛さない。それが片想いです。「一人だけで愛するのでは愛は成されない。二人で互いに愛し合おう。」

神様が私たちを愛するだけでは御心が成されません。私たちも愛してこそ、神様が願うことと私たちが願うことが成されます。

結婚して、男の人だけが女の人を愛するだけでは駄目です。女の人も愛してこそ御心が成されます。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

 

神様は、人間がわかってくれなくてもわかってくれても、6000年+天地万物の創造137億年の間変わらず愛してくださっているのに、いい加減、わかってほしいんじゃないか。

それだけ片思いできるって、人間には不可能。そもそも100年くらいしか生きられないけど(;^_^A

 

そう思うと、「愛がわかりません!認めるのが怖いです!」なんて小さな自分の感情で神様に顔を向けないのは、あまりにも申し訳なさすぎる。

 

良心がひどく痛みました。

その痛みはきっと、神様が私を見る時の痛み。

 

その時々、その瞬間瞬間、神様が人を通し、万物を通し、自分を感動させ、神様が『心配するな』と助けてくださったことを必ず悟って感激し、感謝し、喜び、愛し、生きなさい。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

 

神様の愛は永遠で、真実で、変わること私を愛してくださるということ。

神様。わかって差し上げられず、認めなかったことを悔い改めます。

悟りの神、聖霊様。少しずつでいいから、神様の愛を認めさせてください。

 

神様を愛して、これからは喜ばせてさしあげて、自分も喜んで幸せに、神様の愛の中で生きていきたいです。

 

肉は一生、霊は永遠に。

 

ヨハネの第一の手紙4:10

わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。