真偽はともかく昨年判決がくだり、鄭明析(チョンミョンソク)牧師(以下「先生」)は現在投獄されています。
普通投獄されたら、現在の自分の状況のことしか考えられず、外にいる人たちのことまで気が回らないのではないかと思います。
投獄されたことがないので推測でしかありませんが、どれほどのストレスを受けるでしょうか。
その中で、他人のことを考える余裕があるでしょうか。
しかし先生は、牢屋の外にいてかつ変わらずに現在もキリスト教福音宣教会で信仰を続けている人たちのことを1番に心配し、顧みてくださっています。
それがどうやってわかるのかというと、毎日欠かさず送ってくださる御言葉が証拠です。
キリスト教福音宣教会では主日礼拝に加え、水曜礼拝もあり、毎週月~土曜日の明け方に捧げる礼拝があり、金曜日にはお祈り会を開くこともあります。
主日礼拝だけではなく、水曜礼拝、明け方の礼拝にも先生は欠かさず御言葉を書いて送ってくださっています。
監獄の中にはPCなんてもちろんありませんので、全部手書きです。
以前、「説教を一つ書くのに5~6時間はかかる」とおっしゃっていました。
何文字くらいあるのかWordにコピペして日本語でカウントしてみたところ、
主日礼拝は17,737字や12,916字、
水曜礼拝は5,752字や4,408字、
明け方の礼拝は日によって長さがかなり違うので目安ですが、約800字×6日(月~土)=4,800字/週、
聖句を含むカウント数ではありますが、1週間で約2~3万文字程度の原稿を送ってくださっています。
3万って修士論文レベルの量ですね。
平均的な日本の修士生が2年かけて書く量を1週間で書いているわけです。
さらに金曜日のお祈り会のために御言葉を送ってくださるときもあります。長いときで5,902字ほどの文字数でした。
プラスしてイベントがあるときも別途御言葉を書き送ってくださることがあります。
お手紙(個別宛のものも全会員宛のものも)を頻繁に送ってくださったり、各国ごとにお手紙を送ってくださったりするときもあります。
するともう1週間で2~3万字は超える量を毎週書いていることになるのではないかと思います。
先生が2024年に送ってくださった原稿の回数を数えてくださった方がいるのですが、なんと
主日礼拝の原稿52回
水曜礼拝の原稿52回
明け方の礼拝の原稿313回
金曜お祈り会の御言葉の原稿16回
各部署へのお手紙77回
全体へのお手紙185回
695回以上原稿を送ってくださいました。
これ以外に行事などでの御言葉、聖書クイズなども送ってくださっているので、想像を超える分量です。
これをすべて一人で手書きで書き送ってくださいました。
あなたが同じ立場だった場合、このようにできるでしょうか?
私はできる自信皆無です。
裁判の判決は非常に残念で、私含め多くの会員たちが胸を痛めたものでした。
私自身判決を聞いたあとは、しばらくの間非常に落ち込みました。
先生がそういうことをしない方だということを、先生の無実を、自分なりにブログやSNSで発信したり、本を書いたり、祈ったり、さまざまに今自分ができることをやってきました。
けど、判決は私たち会員が願っていたものとは真逆でした。
非常に悔しかったです。
ずっと判決について考えていたのですが、この前ふと思いました。
「みんな先生のように生きてみたことがないから、先生のことがわからないのだな」
先述したとおり、明け方に数時間祈って、1週間に約3万字を書く生活をしていたら、そんな罪を犯す暇があるでしょうか。
先生が外にいらっしゃったときも、御言葉の量はほぼ同じぐらいでした。
もちろん先生が直接壇上に立って説教を伝える機会があったということもありますが、原稿はやはり書いていたので、そのときと比べても今と同じくらいたくさん伝えてくださっていました。
さらにはVlogを撮って見せてくださったり、朝から晩までスポーツをされその様子を中継してくださったりしたこともあります。
先生の生き方を見ると、犯罪を犯す時間が本当にないです。
明け方起きて数時間も祈って明け方の礼拝を捧げて、そのまま月明洞の木々や岩に問題がないか点検し、剪定・掃除をして、スポーツをして休憩時間には周りにいる人に食べ物をわけて、またスポーツをして御言葉を伝えて、家に帰ったら御言葉や詩を書いて、作詞作曲をして…という感じで、基本的に1日中外にいらっしゃるし、本当に「いつ寝てるの?」という生活をしていらっしゃいました。
「1時間30分~2時間くらいしか寝られない。寝る時間がない」と話されていたこともあります。本当にそうだと思います。
「お前、ずっと先生のそばにいて見てたわけではないのにどうしてそう言える?」と言われても「絶対に合っている」と断言できます。
私が何回か月明洞に行って直接見ただけでもそうだったし、先生のご兄弟や秘書の方々の話を聞いても同じでした。
何より、御言葉の原稿の量という確固たる証拠が物語っていると思います。
「もうお腹いっぱいです!!」と思っても次々に新しい御言葉が提供されるのです。
判決を聞いて、ニュースを信じる気持ちもよくわかります。
けど、先生のように生きてみてからもう一度詳しく、さまざまな人の話や分析結果など総合的に資料を見て判断してほしいです。
このブログで何度も書いていますが、私は性被害に遭った方が泣き寝入りすることは絶対にあってはいけないと思っていますし、加害者は罪を償うべきだと思います。
ただ、誰かの人生が冤罪で振り回されてることも望みません。
今私が声を上げて言いたいことは、一言です。
「先生のように生きてみてから判断してくれ」
この記事が1人でも多くの方にとって参考になれば幸いです。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました!