先日、「人は心で生きていく」という主題で「心が重要だ」という説教を聞きました。
神様は「人は心で生きていく」とおっしゃいました。この御言葉の意味は「心が核だ」ということです。
たとえば、人は足で歩いて体を動かすように、心が核になってすべてのことを行なって生きていくということです。だから行なう前に初めから完全にミスなく、事故が起こらないように、心でよく考え、行ないなさいという神様の御言葉です。
心がどのように考えて行なうのかによって、よくもなり、悪くもなります。人の心が「考え実相の世界」だということです。この言葉は「心にあることを体が行なって実相になるようにする」という意味です。
一度心で考えたら、好奇心によってやりたくて我慢することができず、行なうようになります。だから人は心で生きていくということです。
人は心がやりたくなければ、避けて、やりません。体ではありません。心がそのようにさせます。体は「心」について行く肉体です。エンジンである「考え」がこの体を引っ張っていきます。心が体を引っ張れば体が引っ張られていって、心がいやがればまたその心に従って体はついて行ってしまいます。このように人は心で生きていきます。
鄭明析(チョンミョンソク)牧師の説教より抜粋
この流れで、とても印象的な話をしてくださいました。
神様は各自の心を高圧的にもしくは武力でもしくは独裁的に治めることはなさいません。もし武力で行なわれるならば、人々の心をぎゅうぎゅうに縛りつけて、肉が行なうようにさせて、霊も魂もみんな天国へと縛りつけて行かせるでしょう。
鄭明析(チョンミョンソク)牧師の説教より抜粋
「信仰をもっている」というと、マインドコントロールされているのではないかと心配される時がたまにあります。
心配してくださる気持ちはありがたいのですが、上記の御言葉が答えなんですよね(;^_^A
神様はマインドコントロールできません。
どうしてかというと、神様は人間に自由意志をくださったからです。
コントロールできるなら日本のクリスチャン人口1%未満という数字は出ないと思います。
※自由意志についてはここで説明すると長くなるので、詳細を知りたい方は「全能者神様がいるのにうまくいかない、悪い結果になるのはどうして?『塔の上のラプンツェル』『ミラベルと魔法だらけの家』から学ぶ「自由意志」」をご覧ください。
私自身12年以上キリスト教福音宣教会にいる中でも、残念ながら途中で信仰をやめて教会に来なくなった人はたくさんいます。
いわゆる脱会というやつでしょうか。
それでも仲良くしてくれて、一緒にご飯に行ってくれる子もたまにいますが、連絡が取れなくなる場合が多いです。
会員同士、特に年が近い子は普通に友達として仲良くしていたので、会えなくなると普通に寂しいです。
しかし、脱会したからといって居場所を特定して無理矢理連れ戻すなどはしないので、会えなくなるケースがほとんどです。
本人の心を無理矢理操作することはできません。
だから心が重要であり、「人は心で生きていく」とおっしゃいました。
神様がすべてしてくださるならば、みんな天国に行って、地獄に行く人は一人もいません。自分の責任、自分の心です。神様の責任でも、主の責任でもなく、自分の心がちゃんとできなかった責任です。
鄭明析(チョンミョンソク)牧師の説教より抜粋
一度教会に通わなくなったけど「やはりまた通いたい」という方もいますし、もちろんその時は待ってましたぁぁぁぁぁWelcome~~~~という感じでお迎えします。
イエス様も聖書でそう話されました。
「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。 そして見つけたら、喜んでそれを自分の肩に乗せ、 家に帰ってきて友人や隣り人を呼び集め、『わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うであろう。 よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。
ルカによる福音書 15:4-7
失ったと思っていた息子が帰ってきたら、乞食になって来たとしても宴会をするのではないですか。
また家を出ていった娘が10年ぶりに家に帰ってきたら宴会をするのではないですか。
みんな各教会ごとに神様が送ってくださった命が来たら、みんな喜んで迎えて宴会をしてください。食べ物の宴会もし、御言葉の宴会もしてください。
鄭明析(チョンミョンソク)牧師の説教より抜粋
申し訳ないなどの罪悪感で離れているよりマジで本当に早く戻ってきてほしいです。
それでも、神様は人間に自由意志を与えたため、本人の心を支配しコントロールすることはできません。
本人が悔い改めて帰ってくることを待つしかない神様です。
ただで天国に行けるでしょうか。イエス様もメシヤですが、もがき、環境の条件によって来る悪を遮断し、波の中で生きて「私は楽に成せると思ったか。私イエスも植えて刈り取ったからできた。あなたも私も散らし集めなければならない。悪いものは捨てて、毎日完全にしなければならない」とおっしゃいました。
マタイによる福音書25章26節「すると、主人は彼に答えて言った、『悪い怠惰な僕よ、あなたはわたしが、まかない所から刈り、散らさない所から集めることを知っているのか。」
心が自分を成功させます。神様よりも、主よりも自分の心です。
鄭明析(チョンミョンソク)牧師の説教より抜粋
説教を聞きながら、本人が嫌がっているのに無理矢理強制させることはしない神様の愛、だからこそ心をどこに向けるかよく判断してほしいという神様の心情を強く感じました。
こういうことを書くと「マインドコントロールのおそろしさを分かってない」という方もいらっしゃると思います。
まぁされた経験がないので、おっしゃる通り分かっていないところもあると思います。
ただ個人的には、仮にマインドコントロールできたとしても、100年くらいはその効果が続くかもしれませんが、永遠に人の心を束縛することは難しいのではないかと思ってしまいます。
そもそもコントロールの上に成り立つ愛を受けても全くうれしくないですよね。
神様は「あれもこれも好き!だけど神様のことが1番好き!」という恋人級の愛をしたくて人間を創造なさったわけで、言いなりになるロボットがほしかったわけではありません。
自由な心、だからこそ責任も大きく、どう使うかによって運命が左右するというのは、史実を見ても理解できると思います。
1人の人が革命を起こす決心がなければ革命は起きなかったですし、また全く別の歴史が広がっていたと思います。
スケールが大きい話をしてしまったので、今度は規模を小さくして考えてみます。
父が母を選ばず、他の人と結婚していたら今の自分は産まれなかったですし、産まれたとしても全然違う顔、性格にだったと思います。
そう考えると心がどこに向かっているのか、誰に向かっているのかがどれほど大きな影響を及ぼすか、想像でき(る気がし)ます。
当ブログで何度か書いていますが、私の座右の銘は『ベルサイユのばら』のオスカル様の「お前たちの心まで服従させることはできないのだ。心は自由だからだ!」です。
宗教=マインドコントロールという印象をお持ちの方も多いですが、説教を聞きながら改めて「うーんだよねーコントロールはできないんだよなー」と思った気持ちをここに吐かせていただきました。
短く書こうと思っていたのに長くなってしまいました。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます!(^^)!
ご参考になれば幸いです。

