休職に至るまでの半年間の経緯

仕事での経緯

気付けば2月も今日で終わりですね~。早い!

2020年もう2か月が過ぎてしまった。なんてこった。

 

年始めは休職するだなんて夢にも思っていなかったので、なんだか不思議な感じです。

人生何が起こるのかわかりませんねぇ本当に。

 

今日は、せっかくなので(?)休職に至るまで何があったのか、その経緯を綴ります(‘ω’)ノ

 

自分の中でまだ整理できておらず、めちゃくちゃなところや語尾がバラバラですが、スルーしていただけたら嬉しいです(*ノωノ)

 

休職にいたるまで

 

思えば事の始まりは去年の8月ごろ。

辛くなって産業医の先生に面談を申し込みました。

 

その後はしばらく何もなかったのですが…9月にある事件が起こり、蕁麻疹発生w

 

というのも当時、細々とした作業が全部私にふってくるので、キャパオーバーでパンク寸前でした。

「さすがにこのままでは自分がおかしくなる」と危機感を感じた私は、ちょうど部長との評価面談があったため、そこで今自分が抱えている仕事の量と、キャパオーバーで辛い旨を打ち明けました。

部長から私のチーム長に話が行きました。

チーム長は、確かにチームメンバーが、本人がすべき仕事まで私に回しているのではということを薄々勘づいていて、気になっていたそう。

ということでこれを機にチームメンバーを呼び出し、「この仕事は自分でやれ」と言ってくださいました。

そしたらチームメンバーの怒りの矛先が私に向かい、キレられましたw

1日経ったら冷静になったそうで、次の日は話し合って「ここまではやる。後はやってくれる?」と言われ、キレられたことでビビりまくっていた私は断れず「はい」と言ってしまったのです。

 

結局、私の仕事量はほぼ変わらず。

むしろ私が弱みを握られた感じで立場が弱くなり、更に物申す雰囲気をなくしてしまった…地雷踏んだーってめちゃ思いました。

 

そのころから突然蕁麻疹が発生し、痒くて寝れないわ顔まで腫れてきて人前でマスク外せないわで「うぁぁぁぁぁ」ってなりました。

蕁麻疹は今も収まらず、一日でも薬飲まないとすぐ出てきます(;_;)

 

そこから繁忙期に入り、仕事に追われる毎日。

上司もどんどん期限が悪くなる。

週6勤務が続き、平日は仕事に追われ追われ、ただでさえ忙しいのに作業はどんどん増えていく一方。

 

礼拝に行っても、御言葉を聞く時間は疲れてとても眠くなってしまったり、霊の話をされても目の前の締め切りのことでこっちは頭いっぱいだから全然心に響かない。

御言葉を美味しく食べられない。

そして眠すぎて明け方起きられなくなってくる。

電車の中で明け方の礼拝の御言葉を聞くから集中して聞けないし、電車の中で祈っても「降りる駅を逃さないように」とかいろいろ神経使って超集中しては祈れない。

そしてまた昼間はひたすら必殺仕事人になって働き、夜になって疲れて帰ったらもうシャワー浴びて倒れるように寝る。

ご飯もまともに食べなくなるから余計に体がボロボロになっていく。

 

そんな毎日の繰り返し。

 

虚しい!!!

 

生きていくためには絶対に経済必要だし大事だし、働かなきゃという思いはある。

私は自分でちゃんと稼いで、経済的にちゃんと自立はしていたい。絶対。

けど、仕事で疲弊して一日が終わるのは私は虚しくなってしまうらしい。

もちろん「仕事好き!いくらでも仕事できる!むしろ難しい仕事やらせてくれ!」というメンバーもいるし、実際ほとんど仕事で忙しくて教会に来られない人とかもいます。

だから本当にそこは個々人の好みなんだと思います。

 

こころの場合は、バリバリ働くよりかは適度に生活費稼ぐくらいで満足みたいです。

仕事に生きがいややりがいはそこまで求めぬ。

 

そんな自分の個性に気付きながら繁忙期に打ち勝ち、12月あたりから少しずつ仕事が落ち着き始めました。

相当疲れていたのか、急に「ふーっ」と力が抜けて、職場の雰囲気も少し落ち着き始めた頃、私はまた自分の異変に気がつきました。

 

「あれ…なんか、頭が回らない…ていうかテスト見ると頭痛がする…」

 

2年間ずっと向き合って格闘していたテストを見るだけで思考が止まり、問題を考えることができなくなってしまいました。

それでも絞り出して「もうこれでいいやーえいっ」と、それでも投げやりで仕事は3か月間し続けてきました。

けど元々超真面目な私の性格上、そのやり方は気に食わなくて「こんな投げやりで適当にやったらだめだー!」とそこでまた自分を責めて自分を追い込んでいました。

 

「まずい、まずい」と危機感を覚えて平常心を保とうとすればするほど、心はどんどん焦っていく。

 

そのまま年末年始を迎え、1週間以上ゆっくり休んで回復するかと思いきや、回復の兆しはありませんでした。

朝起きられないのも、疲労感も、繁忙期だからかと思っていたけど、ひどくなる一方でした。

しかも、無気力。

年始初めて病院に行った時、今の症状をすべて伝えたところ「休み明けで生活環境に変化が起きたからかもしれないですね」と言われ「そっかー」と思って深く考えずにいました。

 

けど、前回挙げたような症状が次々と現れ始めて、いよいよ自分でも「何かおかしい」と気づき始めました。

 

どこまで落ちたかというと、「生きるのって面倒くさい」「信仰持つ理由がわからなくなってきた」というところまで。

 

ただでさえ敏感なのに、ストレスで神経が余計に敏感になって、あらゆる音や人の表情、雰囲気に要らない刺激を受けてしまって余計に疲れてしまい、すべてが嫌になっていたのでした。

 

「仕事は全く忙しくないのに、どうしてこんな落ちてるんだろう」というのが本当に疑問で、祈って神様に尋ねてみたところ、すぐに答えが来ました。

 

「自分を責めていじめているからだ」。

 

心に来た感動に、とてもはっとさせられました。

確かに無意識のうちにとことん自分を責めまくっていた。

また「完璧主義」だからミスをする自分を許せなかったし、人の顔色をうかがう自分のことも嫌だったし、上司の口のきつさとか、その言葉を聞き流してしまえばいい話なのに、ウジウジといつまでも気にしてしまって、そんな自分をまた責める。

否定的な思考をする自分のことも嫌いで「神様の御言葉を学んでいる人がどうしてそんなネガティブ思考なんだー!」と自分で自分のことを言葉の剣でブスブスぶっ刺していました。

 

もちろん周りの人とか会社の体系自体にも改善点や原因はあるでしょうが、

「結局、自分自身が問題なんだな」と痛いほど悟られました。

 

御言葉を聞き始めた時、バイブルスタディーを学んでいる時、ずっと「今の自分は嫌だ。もっと良く変わりたい」と思って希望をもって聞いていたけれど。

いつの間にか「変わりたい」という気持ちを忘れていた。

「私はいくら頑張っても変われない」という思考に変質していた。

 

御言葉をいくら聞いても、なかなか自分の認識を転換することが難しくて。

そんな自分がまた情けなくて神様に申し訳なくて。

 

自分で自分のことを見放してしまっていたのかもしれません。

 

神様は、違うのに。

 

結局私はいつも<自分の価値>、<自分を大切にすること>。

どんな人とどんな話をしても必ずここにたどり着きます(笑)。

いや、(笑)とか笑っている場合じゃないです。

 

「いつもいつも毎回これかー!」ってなるけどいい加減自分でも直したいけど、どうしても自分のことを許せなくて。愛せなくて。本当に憎たらしい。

 

「変わりたいのに変われない」。

「もうどうしたらいいのかわからない」。

 

頭が混乱したまま、2月最初の通院の日を迎えました。

電車に乗って向かっている間、なんだかボロボロすぎて泣けてきて、自分は本当はどうしたいのか考えて神様に泣きながら心の中で訴えました。

「神様、私はもうこんな辛い考えをもって生きるのは嫌です。本当に脳、考えを治療したいです。でも今仕事をしながらだと、考えが揺らされて専念して治療するのが難しいです。専念して本当に治したいです。だから仕事休みたいです。休んで、本当に専念して考えを治療させてください」。

 

そう祈って病院に行き、医師にすべての症状と「生きるの面倒くさい」と思うことを話したり、医者の質問に答えていくと

医者「2週間くらい仕事休んだ方がいいね」。

こころ「…え?」

医者「うん、心身にかなりきているから、休んだ方がいい。ほしかったら今日診断書書くけど、どうする?」

 

…えーっ( ゚Д゚)!!

 

まさかまさかの展開すぎて、頭真っ白になりついていけませんでした。

「祈ったけど!祈ったけど、神様祈り聞くの早すぎません!?」と動揺しながら、会社の誰にも心療内科に通院していることすら伝えてなかったので、一旦その日は診断書を受け取らずに帰りました。

 

いざ休職のチケットが目の前に出されると、今度は「休職したらどうなるんだろう」とか「休むとしてもそのあと戻るの怖すぎて私会社に戻れない気がする」とかいろいろ別の悩みが生まれるし。

 

悶々としながら次の日礼拝に出て、御言葉を聞いたら、私の苦しみのすべての答えが、たった一言で返ってきました。

その日の御言葉の主題がなんと

「苦しくさせて悟らせよう」でした。

 

神様も聖霊様も主も完全に生きるようにと絶えることなく話されますが、続けて神様の御言葉を聞かず、まるで<夫を騙して家を出て行った妻>のように生きたら、神様の心はあまりにも痛みます。 それで神様は「苦しみ」を受けるようにさせて、ついに自ら悟るようにさせます。

人々が「神様と聖霊様が話された御言葉を守らなかったこと」で、神様と聖霊様が「大きい苦痛を受け苦しんでいらっしゃるということ」を必ず悟らなければなりません!

<その地に住む人たち>がみ~~んな苦しくなったので、<神様の心と心情>を悟らずにはいられず、<自分の罪による苦痛>だと悟らずにはいられません。

人々が悟って分かってこそ、<神様が彼らによって受けた衝撃と苦しい心>が消えます。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

 

どうして私が苦しかったのか。

神様が愛する自分自身のことを愛さず、憎んでいじめるから。

神様が、自責をとっても悲しませるから。

 

今まで人を通して、御言葉を通して何度も何度も「自分を責めるのをやめなさい」とおっしゃってきてくださったのに、私が言うことを聞かないから、ついに神様は「苦しくさせて悟らせ」る作戦に出たのだと。

だからこんな休職手前まできたのだと、すべてが解けて「なるほどー!」と笑ってしまいました。

 

休職自体、チャンスを目の前にして「本当に休んでいいのだろうか」と悩んだものの、御言葉を聞いて神様の方向が分かったから答えは一つでした。

 

「よし、休もう!」

 

それからはめちゃ早かったです。

緊急ですと言って産業医の先生に電話させていただき、医者から休職を勧められたことを報告。

電話後そのまま人事にも話し、休職手続きの流れについて説明を聞かせていただく。

次の日、会社午後半休とって診断書をもらいに行く。

 

部長がちょうど出張で不在で、休職までもう一週間のびるかも?となった時、なんと部長が帰社してきて奇跡的に休職の相談が可能に。

 

部長は理解してくださり、次の日からお休みをいただけることになりました。

 

そして、現在に至る。

 

いざ休み始めたら色んな葛藤とか申し訳なさとかが著しく半端なかったのですが、それはまた後日書きます。

 

私の休職までの経緯を見ると、すべて神様が共にしてくださって導いてくださったなぁと認めるしかありません。全員そうなんですけどね。

「苦しませて悟らせてあげよう」もだし、また「復活の喜び」という主題の週に休職のためのすべての話がまとまり引き継ぎも(無理矢理)し、休めるようになった…このように、御言葉の流れにぴったり合っていて、本当に神様を感じました。

 

イエス様は肉、神様の体となって御言葉を始め、聖霊様の感動によって30歳の時から使命を果たし始めました。

世の中の人たちに命の御言葉を伝えて復活させる御働きを起こしました。これも一つの復活です。死んだ肉体の復活ではなく、生活の時代の復活をさせました

復活は、いつも抜け出すことです。

より優った生に変わることが復活です。

何をするために復活するのですか。生き返るのはなぜ生き返るのですか。

再び愛し合って生きるためです。私たちが生き返ったのは、神様を愛したいから、神様と愛し合って喜んで生きるためです。

愛する対象として、100 %極的に神様を愛する新婦として復活したから、その通りに生きた時に復活の喜びがあるということです。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

 

これから何が起こるのか。この休職の期間を通して、自分がどのように変化するのか。

まだ何もわからないし、適応障害の色んな症状とはまだまだ闘い中ではありますが、楽しみでもあります。

 

エルサのように、「未知の旅へ~♪」。

魔法の森に行ってきま~す(^_^)/~