神様に対する誤解と寂しさ

仕事での経緯
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いよいよ仕事が繁忙期に突入。

日曜出勤も始まり、今週は週6勤務。

日曜の仕事は普段の仕事と違う少し特殊な仕事で

非常に神経も使う、重たい仕事です。

 

一か月ぶりくらいの日曜出勤だったせいか

仕事が終わるとやたら疲れてしまいました。

 

それはまだよくて

何が一番辛いかというと

仕事後、ご飯を食べる暇もなく主日礼拝をフォローさせて頂く為に

教会にかけこんだのですが

何ゆえ肉体が疲れていて、御言葉をあまり集中して聞けない。

これが一番辛いです(TT)

 

仕事後、一人でフォローすることが多いので

わりかし大画面で御言葉を聞けて

神様を独り占めしている気分になり(笑)、

それはそれで恵といいますか、霊は力を受けます。

 

しかも御言葉が毎回ぴったりで

今週は「患難と苦難の後で、大変なことを経験してこそよいことがある。

という内容でした。

 

困難があっても一生懸命に行わなければなりません。

そうしてこそ栄光の時間が来るし、甲斐の時間、喜びの時間が来ます。

泣きながら種を蒔く人は喜びで刈り入れる。

そのようなことを話す時

笑いながら蒔いても刈り取ることができると思って困難なことも喜びをもって行います。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

 

困難に直面中のKokoroにぴったりすぎて

聞いている時は「うおおおおアーメン」とちからを受けました。

 

けれど、仕事疲れで頭がボーっとしながら御言葉を聞くのは

神様にあまりにも申し訳なく…この前は泣きたくなりました。

 

今まで真心こめて礼拝を捧げてきたのに

どうして私は礼拝に出られないんだろう。

今の会社の面接の時、「日曜日は仕事できますか」と聞かれた時

とっさに「できます」と答えてしまったから

自分が間違えたのだろうか。あの時「できません」と言えばよかったのか。

でも「できません」と言っていたら絶対に今の会社には入社できなかったはず。

私が礼拝、つまり御言葉よりも仕事を優先させたことによって

自分が選択を誤って、受けている「罰」なんだろうか。

 

そのように落ち込みモードでもんもんと考えてしまい

礼拝フォロー後も、力を落としたままでした。

 

力を取り戻せないまま、また迎えた月曜日の明け方。

神様に肉体が疲れて辛いこと

御言葉をしっかり、集中して聞きたいし、悟りたいということ

本当に今の仕事に追われる毎日が御心なんですかということ

涙を流しながら正直にお祈りしました。

 

お祈りすると、不思議と心がだんだん楽になってきて

「神様は私を愛してくださっているし、私の願いもご存知だ。

絶対にいつも捧げている祈りを聞いた上で

今の状況があるはずだ」

御心が何かあると考えられるようになってきたとき

神様はまた御言葉でたくさん答えをくださいました。

 

様々な悩み、苦難、心配、憂い、心配、そういうことが剣のように刺さってくるものがあります。

これどうすればいいんだって心配するけれども、それが必ずしも災いなだけじゃないのです。苦難がただの災いじゃないのです。

患難を通して丈夫になるし、強くなるし、また、目的に向かう道だから希望でもあります。

 

大きくすることは、大きくする分だけ大変だし、難しさがあります。それを患難と苦難だとも言います。

学問に成功するためには勉強しながら苦難に打ち勝って上がって行かなければなりません。

そういうことを経験しながら行かなければならない。

知恵と考えと判断力と根気を持って困難に打ち勝っていかなければいけません。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

 

以前ある牧師と話したときも

神様の<祝福>は、私達が考える<祝福>とは少し違う。

私達は楽に得て、困難がなく平穏に過ごせることを願うけれど、

天国に行って永遠に神様と愛して暮らせるように、

自分の矛盾や悪いところを<治療>してくださること

そのためにたくさん練達をくださること

実はそれが神様の本当の<祝福>なんだと

教えて下さったことを思い出しました。

 

祈って御言葉を聞く中で、

礼拝に出られないこと

仕事でたくさん悔しい思い、無念な思い

患難や困難を味わう状況下で、

私は、神様に対してたくさん誤解をしていたんだなと

そして何より、<寂しさ>を抱いていたんだなと悟りました。

 

「皆は礼拝出させてくださるのにどうして私だけ」

「定時で仕事終えてすぐに帰って、霊的なことできる人もいるのに

どうして私には仕事をさせるの」

いつの間にか、神様が私を苦しめてるといわんばかりの

恐ろしい考えばかりしていました。

 

神様に対する誤解や寂しさに気付いて悔い改めたとき

悩んでいた仕事についても答えをもらいました。

 

実は、私が心配し憂い悩み、神経を痛めていたその仕事は

何十年もたつベテランの社員さんにとってもとても辛い仕事で

前日は寝られないし、緊張する

そのくらいプレッシャーを持つのが普通なくらいの

結構すごいことをしているんだよということを教えてもらいました。

 

「なんだ、私だけじゃないんだ」

そう思うだけで心が少し楽になり

「そんなに大変な仕事なら、なおさら神様を呼んで

御言葉とおりにやらなきゃ!」と考えが変わり

仕事に対する姿勢を、神様が御言葉を通して矯正してくださいました。

 

苦難をまず受けなければ、苦難と一緒にくっついているものが思い浮かぶことがありません。苦難が先にあって、栄光は後にくっついているのです。

人が、どんどんやってこそ次の段階が思い浮かぶのです。

だから、やってみなければいけない。ひとまずやってみてこそ、次の段階が思い浮かぶのです。これが次元を高める一番理想的な方法です。

どんどんやってこそ、易しくできるようになっていきます。易しくしなさい。易しくする人が最先端の位置にいる人だ。軽くやってもうまくできる。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

 

怖くても、辛く思えても、

逃げないで、いやいやしながらやらないで

神様を一層願い求めて、神様とたくさん経緯も作って

感謝して、行なっていきます。

 

間違った考えを直してくださり

御言葉で愛を注いでくださる神様に、感謝します( ;∀;)

 

苦難の歴史の中には栄光の歴史がくるし、もがきと苦難を経験したうえには、最先端の方法、やさしい方法がある。その方法が栄光の方法とも言える。それから、その方法が勝利する方法だ。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋