仕事が忙しい時期が続き、その間ずっと心身ともに疲れきっていました。
疲れるとメンタルも落ち、うまくいかないたびにイライラするし、嫌なことばかりが目につくようになります。
聖書では、不平不満を言うのではなく、感謝しなさいという御言葉がたくさん書いてあります。
ピリピ人への手紙4章6節
何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。
コロサイ人への手紙4章2節目をさまして、感謝のうちに祈り、ひたすら祈り続けなさい。
詩篇100篇4節感謝しつつ、その門に入り、ほめたたえつつ、その大庭に入れ。主に感謝し、そのみ名をほめまつれ。
詩篇9篇1節わたしは心をつくして主に感謝し、あなたのくすしきみわざをことごとく宣べ伝えます。
これはほんの一部で、もっとたくさんあります。
けど、疲れていたり忙しかったりすると心に余裕がなくて、どうしても悪いことにばかり目がいってしまいます。
感謝しなきゃと思いつつ、口からは不平不満文句ばかりが出てきました。
やっベイマックス(●-●)あーっと。
「感謝したいけど心からはできないです!」と正直に神様とイエス様に訴えていました。
けど、ブツブツ心の中で文句を言っていたときに思ったのです。
今回の記事のタイトルにした通り、「不平不満には終わりがない」ということです。
不平不満文句って、いくらでも出てきませんか?(^_^;)
つけようと思えば、いくらでも何にでも文句をつけることはできると思うのです。
不平不満文句を言っていたらきりがないな、と思いました。
しかも不思議なことに、不平不満文句を言えば言うほど、自分の心はどんどん不幸になりました。
それで、なんだか不平不満を言うのもバカらしくなってきました(^◇^;)
「文句を言っても事実も現実も変わらないし、どうせなら感謝できることを探そう」と考えを変えてみることにしました。
私は「考えは目と同じだ。考えることが見える」という鄭明析(チョンミョンソク)牧師の御言葉がとても好きなのですが、まさにその通りでした。
「感謝しよう」と考えて物事を見ると、感謝することがたくさん見つかったのです。
御言葉通りでした。
感謝するとまた感謝することが生じて、感謝の連鎖が起き、心も幸せになりました。
もちろんまだまだ感謝する心を常にキープできるわけではないのですが、「どうせなら感謝しよう」と挑戦しています。
最後に鄭明析牧師の話を少しだけして終わります。
鄭明析牧師は、聖書の「感謝しなさい」という御言葉を今も昔も変わらず実践しています。
ダビデのことがとても好きで、詩篇も大好きだそうです。
戦争で、命を狙われ追われていても神様を讃美し感謝し褒め称えた姿に感動して、ダビデのようにどんな時でも感謝しようと決心して、行なってこられました。
今も、あまりにも大変な困難の中にいても、普通なら到底感謝できない状況の中でも、感謝する姿を見せてくださっています。
だから私も牧師のように、ダビデのように、神様にいつも感謝する心を忘れずに、神様が私を助け愛してくださっていることを忘れずに、感謝して生きたいです。
感謝、実践します!!٩( ‘ω’ )و