こんにちは\(^o^)/
すっかり春の天候になってきましたね~。
今年は異常に寒かったり、3月なのに雪が降ったり…かと思えば初夏くらいの暑さになったり、不思議な天気でしたね。
天気が悪かったり、外に出る用事がなかったりして、2日間家に引きこもっていました。
そしたら、気が狂いそうになりました。
ということで今日は、買い物がてら散歩に行きました。
ちょっとふらふらしようと思って、遠回りして目的地に向かうことにしました。
今の家に引っ越してきて2年以上経つけれど、通ったことがない道がたくさんあったことに、初めて気づきました。
「わぁ、こんなにすてきな家があったんだ」
「わぁ、こんなにお花がきれいに咲いているところがあったんだ」
新しい発見ばかりで、なんだか新しい地に来たみたいで、とてもわくわくしました。
何より、不思議と<幸せ>を感じました。
前は何をしても虚しかったんですけどね。
大好きなディズニーリゾートに行っても、ある時は朝からずっと機嫌が悪くて、あまり楽しめない日もありました(;^_^A
友達と遊んでも、楽しんだけど、満たされない何かを感じて、とっても虚しくなってしまったこともありました。
この<虚しさ>の正体。
ずっと疑問に思っていて、ずっと知りたいと思っていました。
答えを見つけるために心理学を学ぼうとした時もありましたが、答えは意外なところで見つかりました。
伝道の書3:11
神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。
なんと、聖書に答えが載っていたのです。
正確に言うと、バイブルスタディーを初めて聞いた時、「人間には霊という、永遠に存在するもう一人の自分がいる」という話を聞いて(これについてはまた別途書けたらと思います(;^_^A)、その霊の心が満たされないと、根本的な喜びを感じるのは難しいんだと習いました。
人間の肉体が感じる<虚しさ>というのは、その霊の心が満たされないことからくる、<霊の思い>だよ、と聞いて衝撃を受けました。
7年以上経った今でも「人生の謎が解けた!そうだったんだー!」と、とてもびっくりしたのを覚えています(笑)。
今思うと、遊びも、ディズニーリゾートで受ける楽しみや喜びも<永遠>ではなくて、その日一日だけ。
またすぐに日常に戻る。
「ずっと続くわけじゃない。いつか終わりがある」
そのように、<終わりがある>ということに、虚しさを覚えていたみたいです。
それは、人生に対しても同じ。
でも今は神様を知っているし、今ある肉体の100年で終わるわけじゃなくて、死んだら今度は永遠な世界で生きるんだって分かったから、以前ほど<虚しさ>を感じなくなりました。
むしろ、道を歩いていて、美しいものを見て、<幸せ>を感じられるようになりました。
終わりが見えなくなったから。
コリント人への第二の手紙4:16
だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。
この「外なる人」は人間の肉体、「内なる人」は人間の霊を指します。
霊という存在、霊が生きる世界があるという希望で生きられるようになったことに、とても感謝した散歩時間でした(*^-^*)
また神様と聖霊様と御子と一緒に、散歩行こー。
もちろん、マスク着用して。不要じゃない時に。