闘病中のこころについて

仕事での経緯

ハレルヤ☆

Kokoro改め、こころです^^

去年サイトを移転し、2019年。

この度、また新たにサイトをリニューアルオープンしました(^^♪

いつも読んでくださっている方(がいると信じる)には

二転三転と移転しまくり申し訳ありませんでした(-_-;)

今後も更新頑張りますので、

どうぞよろしくお願いいたします( *´艸`)

サイトリニューアルの経緯

サイトを新しくした理由。

それは、新しく始めたかったからです。

記事の方向性、書く内容を。

今まで綴りませんでしたが、私は2015年8月に「適応障害」の診断を受け、それからずっと闘病生活を送っています。

「適応障害」とは、学校や友人関係、および環境にうまく適応できず、その結果生活に支障をきたす心の病の一つです。学校や職場に行けない、めまい、動機など人により体に出る症状が異なる障害ですが、私の場合は<抑うつ状態(になる)>という形で症状が出ました。

病院では、うつ病の検査で症状の重さを図ることになりました。

うつ病の検査では、60点満点中43点という数字が出ました。

この点数は、うつ病の上中下の中で中程度に該当し、中程度の段階ではかなり高い状況でした(;^ω^)

その後、医師の治療と共に、自分との戦いが始まりましたが

幸い、心療内科への通院、カウンセリング、認知行動療法の実施や周りの方のサポート、そして一番は、今も学び続けている<神様の愛>を知ることで

少しづつ、少しづつ、病状が良くなってきています。

発症した経緯

当時大学院生で、修論の執筆に追われていた時期でした。

幼いころの家庭環境や学校でのいじめ、友人関係、中学での学級崩壊など

じわじわと蓄積されたストレスと考え方の問題の上に

担当教授との関係性や就活、修論のプレッシャーが加わったためか

ストレス蓄膿器(勝手に名前つけた)が限界値を超え

私の心は壊れてしまいました。

それまで、時折「私って頭おかしいのかな?精神科に行ったほうがいいのかな」と思うことは時折ありましたが、本当に病気だと自覚したときはショックでした。

「どうしてこのような精神病にかかったのか」と受け入れられなくて自分を責め、直るのかとても不安で毎日泣く日々が続きました。

他の適応障害で苦しんでいる方とは違い

体が動かなくなったり、倒れたりしたわけではありませんでしたが

心は悲鳴を上げ、何も考えられなくなり

学校にも行きたくなくなり、休んだり

家から一歩も出ない、人と会うのを避ける、ただぼーっと時間を過ごす、

急に理由もなしに泣き出す、食欲不振、睡眠障害…

様々な症状が一気に現れ、病気との闘いが始まりました。

発症当時の気持ち

私は幸い、神様の愛、御言葉や周りの方のサポートと心療内科への通院により

徐々に回復し、今は正社員として「普通に」通勤できるまでになりました。

今振り返ると、発症といいますか、病気を自覚した当初が一番辛かったなと思います(;^ω^)

「神様を信じている私がどうして」

「今まで勉強も、バイトも、言われたこと一生懸命にやってきた私がどうして」

パニックになり、不安にもなり、今まで押し込めてきた不安や悲しみ、怒り、憎しみ。

様々な感情が爆発し、私の心は真っ白になりました。

「本当に治るのか」

「私は一生このままなのだろうか」

現在と将来に対する不安と心配に襲われて、目の前は真っ暗でした。

私は小学校からずっと成績優秀で、トップを走ってきました。

推薦で自校作成(=上位)レベルの高校に入学し、高校でも優秀な成績をキープし、

指定校推薦で上智大学英文学科に入学。

大学でも優秀な成績を獲得し、交換留学に行ったり、

その成績の高さ故、筆記試験免除で大学院に入学したり

端から見たら、いわゆる「エリート街道」を歩んできました。

そんな私は、周りの人からしたら羨むような理想の子供だったらしく

「こころちゃんはすごいわね」と母はいつも言われていたそうです。

それで母がうれしそうにするから、私の脳にはいつしか

「優秀で自慢できるような子供でいたら、愛されるんだ」と

ゆがんだ思考回路が形成されるようになりました。

そんな私にとっては、適応障害で学校に行けないとか

会社に行けなくなるとか、世間一般的な「エリート街道」から外れることは

「自分の居場所を失う、愛を失う」恐怖に値するものでした。

今まで頑張ってきたことがすべて無駄になってしまうのだろうか

積み重ねてきた功績がガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。

私の闘病生活は、そのような恐怖心と虚無感との闘いでした。

病気と向き合って得た宝

一言で言うならば、<本当の自分の価値と向き合えた>。という言葉に集約されるかと思います。

勉強を失ったら、「優秀さ」を失ったら、「私」ではなくなってしまう。

自分の価値を分からずに育ってきた私にとって

自分の価値を図る基準はいつも「学校の成績表」でした。

<学校の成績=自分の価値>だということに

病気になって初めて気づいたのです。

その時、「どうして自分は生まれて来たのか」

「何のために自分は生きているのか」

より一層、深く考えるようになったし、

自分という存在、自分の人生と真っ向から向き合うことができた

貴重な時間になりました。

病気だと分かった当時は既に、キリスト教福音宣教会に出会い

御言葉を学び、神様について学んでいました。

「愛のために創造されたんだよ」と言葉で聞いてはいたけれど

実感が湧かなくて、受け入れられなくて、学校の成績表に自分の価値を投影させていた私でしたが

「あぁ、今まで知らなかっただけで、自分の価値は勉強で決まるものではない。

たとえ 何もできていなくも、 <私>という存在自体が、神様にとっては尊いんだ」と

理論ではなく、素直に受け止められるようになりました。

自分の価値を認められるようになり始めてから、私の病気は少しずつ良くなっていきました。

長くなりましたが、神様の愛に触れながら歩んできた今日までの日々

闘病生活を過ごす中で悟ったこと、苦しんだこと

ありのままに、綴っていきたいと思います(^^)

更新頑張りますので、よろしくお願いいたします☆

この記事を書いた人
こころ

2015年8月に適応障害の診断を受け、2019年2月から1年1か月休職し退職。今は障がい者雇用枠で働いています⭐︎
自分の心理を分析しながら、心の傷を癒していっています(^^)
キリスト教福音宣教会会員として神様の愛を学びながら、自分と他人を愛せるように頑張っています☆
ディズニー大好きで、特にベイマックスが大好き!(●ー●)
ディズニーのアトラクションは、ベイマックスのハッピーライドが1番好きです!
(詳細については↑の「”こころ”」をクリック☆)

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