「愛って何だろう?」
一度でもこう考えたことがある方は
多いのではないでしょうか。
摂理で神様の愛を学んでいるKokoroですが
今日、改めて「愛って何だろう」と考えるようになりました。
ずっと一日中考えながら過ごしていましたが
御言葉を聞いて、その中に出てきた聖句に答えがありました。
キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、 かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、 おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。
ピリピ人への手紙 2:6-8
「あぁ、愛って痛みを伴うものなんだな。」
聖句を聞いて、最初に悟ったことがこれでした。
逆に言うと、私は【愛】というものを何か
るんるんらんらんお気楽幸せ
安心、安定している、痛みがない、不安がない、荒波がないもの
というなものだと認識している部分があったようです。
究極的にはその段階にまで行くんでしょうね(^^;;笑
でもイエス様を考えてみると、全人類を救うキリストとして
4000年間も待ちに待たれた偉大な方だったにも関わらず
その価値を分かってもらえなくて
救いに来たのに「異端の頭」だの散々言われて
挙げ句の果てには、十字架にかけられて殺される。
救おうと思って会いに行った相手から、そんなことばかりされていた。
でもイエス様は人々を神様の視点で見て、愛していたから
愛する人が罪の中にいるなら、一緒にその荷物を背負い
愛する人が溺れていたら海に飛び込み
愛するから、愛する人が苦痛の中にいたら
自ら飛び込んで行かれた。
その姿を考えた時、悟りが来ました。
あぁ、愛するから、愛する人とは同じ運命の道に行くんだな。
愛する人が苦痛の中にいたら、自分も苦しいんだな。
だから愛は、時に痛みを伴うものなんだな。
愛するから、いつも同行する。
たとえ、愛する恋人がどんな状況・環境の中にいるとしても。
キリストが命がけで教えてくれた愛を
実践できる人になりたいです。