先月から無事に社会復帰!して、現在フルタイムで働いています。
まずは再び働けるようにまで回復したことに感謝だし、色々戦いながらもなんとか出社できていることにも感謝です。
しかし、やはり2年半のブランクはデカイですね(^_^;)
めちゃくちゃ疲れてる。
最初の月〜水曜日通った時点、つまり連勤3日目でもうHPゼロに近くなり、午後業務説明聞きながら「明日休…っあれ?まだ水曜日?え?まだ??え?まだあと2日働くの?ん?無理??」ってなりましたw
疲れてしまうと心も落ち込むし、抑うつ気分も酷くなるわけで。
そんな時、私は初心を思い出すようにしています。
これは仕事に限った話ではありませんが、初心を失うと気力も行動力も失いますよね。
初心忘れるべからず。
聖書にも書いてあります。
しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、悔い改めて初めのわざを行いなさい。もし、そうしないで悔い改めなければ、わたしはあなたのところにきて、あなたの燭台をその場所から取りのけよう。
ヨハネの黙示録2:4-5
「どうしてこれをやっているんだっけ?」
「これによって私は何を得るんだっけ?」
「目的」という言葉で表現しても良いと思いますが、この初心を失うと本当に鬱になると個人的には思っています。
今回、再び社会に戻るこの機に、「私はどうして働くのか」について深く掘り下げて考えました。
以前書いた「アウトカムの設定」の一環として、カウセリングの先生から提案されてやったという経緯なのですが、これやってすごく良かったです。
ご参考までに、例として私が実際に考えたフローを記載しておきます。
・どうして働くの?
→経済基盤をたてるため
⇒何のために?
→一人暮らししたいから
⇒どうして一人暮らししたいの?
→自由を得るため(実家だと家族に時間や都合を合わせないといけなくなるから)
⇒どうして自由を得たいの?
→家族に気を遣わずに信仰生活を気楽に送りたいから
⇒どうして信仰を持ち続けたいの?
→心の平安のため(神様の愛を感じて安心する、私は生きてていいんだなって安心する)
⇒神様との愛のために働く
深掘りしてみたら、私は神様を愛するから働くんだなというところに落ち着きました。
これをMyノートに書いて、いつも持ち歩いています。
仕事で疲れた時、また疲れる前に(大事)通勤電車の中とかで見て、自分は何のために働くのかを思い出すようにしています。
すると、良い意味で肩の力が抜けて、目の前の仕事にとらわれすぎなくなり、比較的心が安定した状態で働けるので、かなりお勧めです。
とはいえ、疲れすぎるとそんな気力もなくなりたまに読むの忘れちゃうんですけどね(^_^;)
しかし、神様に念を押されたのでやはりとても大事みたいです。
<悔い改め>とは「自分を点検すること」です。「振り返って見ること」です。
鄭明析牧師の御言葉より抜粋
そして捨てるべきものがあれば捨てて、切るべきものがあれば切ることです。
<悔い改め>は「とてもよいこと」です。
働き始めるタイミングで宣布された御言葉の主題は「清くしなさい」。
清くするためには悔い改め=点検が必要だという話で、聞いてとても笑いそうになりました。
いつも働く意味を点検して、忘れないようにしなさいと言われているようで。
だから「清くしなさい」という御言葉だったんだなぁ(^_^;)
初心を忘れずに、頑張りすぎないように適度に頑張って働きます\(^o^)/