現在、鄭明析(チョンミョンソク)牧師(以下「先生」)の第二審の裁判が進行中です。
今回は、日々総裁についてのニュースを見ながら、現役女性会員である私が個人的に感じたことを書きたいと思います。
あくまでも私の個人的な思いなので、その前提でお読みいただければと思います。
私が一番感じているのは、モヤモヤ感です。
要はニュースを見るたびにとてもモヤモヤします。
どんなモヤモヤかというと、「先生は絶対に自分の欲で人を傷つける人ではないのに、どうしてこんなに裁判が長引くのだろう」というモヤモヤです。
ほぼ毎回同じことを書いて申し訳ないですが、私は性暴力は許せません。
被害者が泣き寝入りすることなんてもっての外だと思っています。
だからといって、一方的に被害者の意見だけが保守されて加害者の人生が狂わされることは望みません、というスタンスです。
日本と異なり「訴えたもん勝ち」的な裁判文化がある韓国では、冤罪で投獄される方も少なくないそうです。
日本だと「裁判が進行中」という時点で「実際に何かしらの問題があったのだろう」、「火のない所に煙は立たぬ」という印象を抱きがちですが、海外に関しては必ずしもそうとは言い切れないのだと思います。
韓国の裁判事情を知らなかったので、今回を機に調べたら勉強になりました。
話が少しそれましたが、裁判がどんどん延長されるに従い、私も精神的に疲れてきてしまって「そもそも先生はそんな人ではないのに」というモヤモヤがどんどん大きくなりました。
私が見た鄭明析牧師は、いつも自分のために生きない人だからです。
前回10年間投獄されていたとき(※)も、そして今も、先生は毎日御言葉を書いて送ってくださっています。
※まさに冤罪で投獄されていました。詳しくは「摂理(宗教)の真実」をご覧ください。
Wordにするとどのくらいの量なのだろう、と思って説教全文をWordにそのままコピペしたことが何度もあるのですが、13ページとか15ページとか普通にあるんですよ。
それを全部手書きしているのです。
先生がいらっしゃる場所はパソコンがないですからね。
A4用紙10枚以上を毎週2回も手書きできますか?
それだけではなく、毎朝の箴言、各種決裁のための手紙など含めたら1週間にどれくらいの量を書いているのかわかりません。
しかも自分が裁判で大変な中、劣悪な環境の中でできますか?
自分の人生が獄の中で終わってしまうかもしれないという過酷な心理状態で、むしろ他人の心配をして励ましの言葉をかけることができますか?
私は以前、先生の心情を知りたくて主日の御言葉の原稿を手書きで写し書きをしようとしたことがあります。
けど、量が多すぎて途中で手が痛くなって最後までできませんでした。
10年間されてきて、やっと解放されたと思ったらまた逆戻りして、10年間やってきた手書き作業をまたやることになって、自分が先生の立場だったら精神的にできないと思います。
10年間でボールペンを4,000本以上使ったそうですが、そこまでしたらもうボールペンも見たくないくらいではないでしょうか。
それを今もやっていらっしゃるのです。
私が見てきた先生は、そういう方です。
いつも自分の状況は横に置いておいて、多少無理をしてでも他人を生かそうともがく方です。
自分は人のために倒れてはいつくばって死ぬ目にあっても、絶対に人を生かそうとする方です。
「お人好し」という言葉では片づけられないくらい、底抜けに他人のために犠牲になれる方です。
いつも自分より他人の幸せを願って、自分が損をしても傷つけられても、それで他の人が生きるなら喜ばれる方です。
他人の問題なのに、解決したら自分事のように一緒に喜んでくださる方です。
そんな方が人を傷つける行為をするとは思えないのです。
私もキリスト教福音宣教会に来て11年以上経ちますが、その間直接先生のそのような姿を見てきたから、私は私が見た先生を信じたいです。
裁判がただ公正に公儀に行われるよう、祈り続けます。