【現役女性会員の声】上智大学英文学科卒の私が鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師の説教を聞いて思うこと

CGM/鄭明析牧師

最近自己紹介をする機会が多くて学生時代を振り返ってみたのですが、ふと思うことがあったので今回はそれについて書きます。

本題の前に卒業した大学を紹介すると、実は私はソフィアン(上智大学OG)です。

※学歴の詳細はプロフィールをご覧ください。

上智といえば英語!というイメージが強いかと思うのですが、私はまさに英文学科に所属していました。

ちなみに文学部英文学科と外国語学部英語学科があるので若干ややこしいです。正直、英語学科の方が全然レベルは上です。

けど「涙の英文(=泣くほどつらい)」を無事に卒業した経歴は正直誇りに思っています。

現役生の皆さんも泣きながらがんばってください。私もたくさん泣きました。

前置きが少し長くなりましたが、本題に入ります。

「英文学科って何をするの?」と思う方もいらっしゃるかと思います。

超簡単にいうと、英文学をとにかく読んで時代背景を読み解いたり、細かい表現や物語の展開から「作者はこういうことを伝えたかったのではないか」と議論したり、とにかく本の内容を分析をしまくる学科です。

一つの章について「この人物のこの発言は○○(例えば人種差別など)への批判を表しているのではないか」と話したり、一つのセリフについて「△△を表しているのではないか」と話したり、とにかくあれやこれやと作品の意図やメッセージを読み解こうとする授業が多いです。

私も何冊も本を読みながらディスカッションをして、推測して…というのを4年間してきました。

元々本を読むのは好きなので楽しかったですが(課題は多くて泣いていた)、一つだけ胸の奥でひっかかることがありました。

それは何かというと、

「作者本人に確認しないと本当の意図ってわからなくない?」

ということでした。

元も子もない発言なので言葉にはせずずっと胸の内に秘めていましたが、外野(読み手)があれやこれや好き勝手に自由に解釈することはいくらでもできます。

ただ、それはすべてただの「推測」であって、「正解」は書いた作者本人にしかわからないよね…とずっと思っていました。

作者が「正解」を残していないから分析・研究する学問があるのでしょうけど、いつも「私たち読み手が勝手に作者の正確なメッセージを決めつけることはできないよな」と思いながら授業を受けていました。

どう考えても文学部に向いていなさすぎる人ですね、よく卒業できたものです。

それはさておき何が言いたいかというと、課題の本を読むたびに「作者は本当はこの作品で何を伝えたかったのだろう?」という疑問が残り、とにかくもやもやした、どこかすっきりしないものが残りました。

そんな学生時代を思い出すと同時に、ふと気づいたことがありました。

今、英文学以上に難しい聖書を読んでいるけど、胸がすっきりしている」。

そう、今私は聖書を読んでいますが、心はもやもやしていません。

むしろすっきり爽快な心です。

それは、鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師(以下「先生」)の聖書の教え方が明快だからだと思います。

上智はカトリックの大学なので聖書の授業もありましたが、そのときはやはり英文学科の授業と同じで「正解」がわからずもやもやしていました。

けど先生に教わってからはメッセージが正確にわかってすっきりしました。

聖書の著者は神様なので「正確」かどうかは神様しかわからないじゃないか、という方もいるかもしれません。

ここで私が「正確」という言葉を使った理由があります。

あなたがたは主の書をつまびらかに たずねて、これを読め。 これらのものは一つも欠けることなく、 また一つもその連れ合いを欠くものはない。 これは主の口がこれを命じ、 その霊が彼らを集められたからである。

イザヤ書 34:16

「主の書(=聖書)をつまびらかに(=細かく)読みなさい。

聖句同士はすべて連れ合いがある。聖書の中に問題があれば答えも聖書の中にある。これは主、神様がそう書いたからだ」。

現代の言葉にかみ砕くとざっくりそのようなことが書いてあります。

先生はこの聖句を根拠に、「聖書を基に聖書を解く」ということを教えてくださいました。

聖書で疑問に思ったことは聖書の中から答えを見つける、聖書を根拠にして答えを確信するということです。

聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。

テモテへの第二の手紙 3:16

聖書はすべて神様が人を通して書かれた書物です。

聖書を根拠にすれば、作者(=神様)の意図から外れることはまずないのではないでしょうか。

どの聖句を根拠、答えとするかという問題はありますが、先生は3,000回以上聖書を読み、山でお祈りをしながら神様やイエス様にも確認し、そして何より自分自身が実践して確認し、実際に他の聖句とも矛盾がないかなど、20年以上深く研究されたうえで教えてくださっています。

※先生の生涯については「鄭明析牧師(チョンミョンソク)の生涯」をご覧ください。

とはいえ私は疑り深い性格でそれだけでは信用できないので、自分も先生の説教に矛盾がないか確認しながら、実際に神様の反応が来るかなど確認しながら信じるようになりました(;^_^A

自分も確認して理論的にも神様の反応的にも矛盾がないと思ったので、今もキリスト教福音宣教会で信仰を持っています。

いろいろ書きましたが、結論何がいいたかったというと、「聖書」という根拠がはっきりあるから聖書が読みやすく、もやっとせずに読めていることが感謝だなということです。

英文学科時代、もやもやしながら本を読んでいたことすら忘れていたので、感謝できてなかったことを悔い改めます。

作者に答えを確認できる!はっきりすっきり作者の意図に合わせて本が読めるのってこんなにうれしいし楽しいんだ!」という喜びに気づけたことに感謝します。

泣きながらがんばって卒業した甲斐があります( ;∀;)

「涙の英文」、「鬼のイスパ」、「地獄のロシア」の現役生のみなさん、それ以外でも泣きながら課題と小テストと期末試験とレポートと戦っている皆さん、日々お疲れ様です。

がんばった分は必ず報われます。

体と心を壊すほど無理はしないでほしいけど、打ち勝ってほしいです。

応援しています!!(^^)/

今回はこの辺で。ここまで読んでくださりありがとうございました☆彡