最近、自分がどうしてキリスト教福音宣教会にいるのか改めて考える機会がありました。
他ではなく、鄭明析牧師(以下「先生」)に従う理由について改めて考えたことを今回は記事として書きます。
理由①「ただひらすら神様」の精神を教えてくれるから
今まで当ブログで何度か紹介してきましたが、先生は極的な神様・イエス様オタクであり聖書オタクです。
本当に人の目や世間体を全く気にせず、ただ神様がどう思われるか、神様が気に入ってくださるかだけを意識して生きています。
私は実際に先生に何度かお会いしたことがあるのですが、ずっと神様の話をするし、神様自慢ばかりなさるし、行動がイエス様と重なる場面がたくさんありました。
病気の人に手を置いて癒やしのお祈りをしたり、食べ物を無償でわけてあげたり、歌やスポーツで神様に栄光を帰したり、月明洞(ウォルミョンドン)の神様に捧げる木々や岩の手入れや掃除をしたり…とにかく神様、イエス様を愛して生きているのを感じました。
先生が幼い頃聖書を読んだ時、イエス様の生き方に感動して「イエス様のように生きよう!」と決心したそうです。
その時からずっとイエス様がされてきたことを実践しながら生きていらっしゃるそうです。
もちろん私は先生の生涯をずっとこの目で見てきたわけではありませんが、ふとした小さな行動から「あぁ本当に毎日イエス様のように、一人ひとりの命を生かすために生きているんだな」ということを感じました。
病人を癒やすこと、困難や悩みを解決すること、御言葉を伝えて神様を信じるようにさせること、これらはすべてイエス様が生きている間にされたことですよね。聖書に記録されているのを見ればわかります。
先生は、本当にそのようなイエス様の生き方を実践されているから、私は先生の言動から神様やイエス様の愛をとても強く感じます。
「イエス様が今生きてこの場所にいらっしゃったら、このようになさるんだろうな」と思う瞬間もたくさんあります。
だからといって先生ばかり見て、先生を中心にするとめちゃくちゃ怒られます。
個人的にはこれがキリスト教福音宣教会における1番の地雷だと思っていますw
でも、信仰的にはとても健康的ですよね(信仰と健康で韻を踏んでいますね)。
1人の人を信じるのではなく、絶対に神様、イエス様を信じて栄光を帰するように教育を受けるので、信仰的にはとてもヘルシーといいますか、安心します。
私は人間不信なので、そもそも人間を信じろと言われても無理だったと思います。
「あ、無理ですね。信じられません」で終了ですよ。
その点、キリスト教福音宣教会は「人を通して働かれる根本者神様を信じて、栄光感謝を帰そう」と言ってくれるし、むしろ人を中心にするとめちゃくちゃ怒られるので、安心して信仰生活を送ることができています。
「ただひたすら神様」、この精神を御言葉でも教えてくれるし、行動でも示してくださるので、私は先生を信頼することができるのだと思います。
理由②先生の言動に神様の愛を感じるから
ここでいう「愛」は肉体関係的な愛、異性的な愛ではなく、アガペ的な愛です。
神様は霊で肉体がないので、そういうことはできません。
精神的な愛、心でする愛という前提でこの後も読んでいただきたいです。
理由①で書いた通り、先生はイエス様が行なわれてきたことを実践しながら生きています。
「命を生かすこと」がすべての言動の根本になっているのを感じます。
だからこそ、先生の言動に神様とイエス様の「命を生かす愛」を実体的に感じるのだと思います。
月明洞で、子どもたちが岩に登っていたところから降りる時に、一人ひとりに手を差し出して怪我なく降りられるようにサポートしてあげていた時もありました。
とにかく思考が「神様とイエス様が愛する命を大切にしよう、よくしてあげよう」なのです。
まさに聖書に書いてある「命を愛しなさい」を実践されているのを感じます。
イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである。第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。
マタイによる福音書22章37-40節
これが行動に滲み出ています。行動を見ているととても感じるのです。
また、私が夏にお会いしに行った時、先生が月明洞で育てたスイカを配ってくれた時がありました。
その時、「海外の人から先にあげるから来て」と言われて、先生がスイカを切って渡してくださいました。
小さいことだと思われるかもしませんが、そういう細やかな気配りにも感動しました。
「総裁」というともっと人前に出ないで、自分はひきこもって下の人に命令して働かせるイメージが強かったので、直接スイカを切って配ってくださり、近く接してくださったことがうれしかったのだと思います。
もちろんそれだけではなく、夜遅くまで御言葉を伝えてくださったり、神様に仕える姿勢についてたくさん教育してくださった姿がとても印象的でした。
今まで行動の話をしてきましたが、行動だけではなく、先生が伝える説教やちょっとしたお話も全部聖書を根拠にして話されるので、イエス様の精神や神様の愛を感じますし、「聖書」という世界一のベストセラーが根拠になっているので信頼感があります。
まとまると、先生は会員たちを「自分にとって都合のよい人につくろう」とするのではなく、本当に神様の愛の対象の新婦につくるために行いも考え方も教育してくださいます。
だから信頼できるなと思います。
理由③言動が一致しているから
「お前、先生の24時間の行動全部知ってるのか!?見たのか!?」と言われるとそうではないのですが、自分が直接見た限り、また映像で見た限り、人から聞いた話を聞く限りでは、まさに「有言実行」の方だと思っています。
「神様に栄光を帰そう」という御言葉を伝えたら、真っ先に自分が1日に数十曲も作曲して神様に栄光を帰す姿を見せてくださる方です。
「生活の中で神様を呼んで対話して。そうしたら通じるよ」という御言葉をよく伝えてくださるのですが、先生はよく1人でいても、また人といても口がもごもご動いているときがあります。
私は「なんか食べているのかな?」と思っていたのですが違くて、神様と対話していたそうです(勘違いすみません)。
「運動して健康管理しよう」と言ったら、「これお勧めだよ」とお手本の体操方法を教えてくださったこともあります。
あげるときりがないのでこれくらいにしますが、とにかく人にいうだけではなくて、自分もそれをやるんですよね。
経験してから伝えてくださることが多く、そうやって言動が一致しているから信頼性があるなと思います。
最後に
以上、今回は私が個人的に考えた「先生についていく三つの理由」について書きました。
まとめると
①「ただひらすら神様」の精神を教えてくれるから
②先生の言動に神様の愛を感じるから
③言動が一致しているから
少しでもキリスト教福音宣教会の正常さが伝わるとうれしいです。
「こいつやべえ洗脳されている」と思った方もいるかもしれませんが、推し活のために海外に行ったり普通に町にでかけたり、洗脳されずに自由に生きているので安心してください。
健康な信仰で天に栄光!いぇあ!(^^)!
ここまで読んでくださりありがとうございました!