『美女と野獣』から学ぶ!神様が人を選ぶ方法

ディズニー

好評いただいております「ディズニー×バイブルスタディー」。

お待ちかねの第三回です(^^♪

 

今回は明日、4月24日に地上波放送されるディズニー映画『美女と野獣(アニメーション版)』をたとえに、「神様が人を選ぶ方法」についてお伝えしたいと思います(*^-^*)

 

 

神様はどんな存在か

本題に入る前に、土台となる基礎知識についてご紹介します。

 

「人を選ぶ」?どういうこと?神様も人を選ぶの?

 

 

この答えを導き出すために、まず神様はどんな存在で、どのように地上に働きかけるのかを確認してみましょう。

ヨハネ4:24

神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」。

 

「神は霊である」と書かれている通り、神様は見えない存在です。

そもそも「霊」って何?という部分が疑問かと思いますが、今話すと長くなるので…

一旦、アメリカ映画とかで人が亡くなった時に出てくる、白くて透明なぼやっとした人間をイメージしていただけたら分かりやすいかと思います(/ω\)

 

 

アモス書3:7

まことに主なる神は
そのしもべである預言者にその隠れた事を
示さないでは、何事をもなされない

 

 

肉体を持つ人間の目に、直接的には見えない神様は、地上で何かを行われようとする時、必ず<人間を通して>行われます。

 

これは、アヒルと通じるためにはアヒルに、蟻と通じるためには蟻にならないと、いくら一生懸命話しても通じないことと似ていますね。

 

 

 

聖書を読んでみると、神様は時代ごとに必ず肉体を持つ<一人の人間>を立て、その人にまず<これから神様が行なわれること>を話してから、行動に移してきたことがわかります。

 

 

例えば、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、ヨシュア、ダビデ、ソロモン、イザヤ、エレミヤ、ダニエル、イエス・キリスト…

 

 

神様は必ず、上記のような<その時代の人類代表一人>を立てて、その人を通して話されてきたし、ご自身の体として使いました。

 

 

このような神様の体になる人を<中心人物>といいます。

 

 

ここからが本題です。

 

 

神様は中心人物をどのように選ぶのか

 

神様は、ご自身の体として選ぶ人をどのように選ばれるの?

顔?能力?学歴?

 

 

 

 

人間の場合、見かけの美しさやスタイルの良さ、能力、学歴、経済力…そういったところを見ることが多いように感じます(-_-;)

 

 

神様も同じように、外的なところをご覧になるのでしょうか?

 

 

 

では、聖書を見てみましょう。

 

 

サムエル記上16:7

しかし主はサムエルに言われた、「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」。

 

 

神様が人を選ぶ基準は他にもいくつかありますが、今回は核心一つだけをみてみます。

 

引用した聖句はどんな場面かというと、当時の預言者サムエルという人物が、数人の若者の中から、イスラエルの王となる人を選んでいる場面です。

 

この時サムエルは、見かけが素敵な人を選ぼうとしてたのですが(詳しくはサムエル記上を読んでみてね)、神様からあっけなく怒られました。

 

 

「私は見かけ(外見)じゃなくて、心の美しさを見るんじゃあああああ(;゚Д゚)

あなたが選んだその人じゃなくてこっちじゃああああああ」

 

 

 

神様が本当にこうおっしゃったわけではないですが、とにかく「私とあなたとでは見る目が違う!」と怒られちゃったんですね。

ドンマイ。

 

 

聖書にある通り、神様は人間を選ぶ時、その人の<心>をご覧になり、その心の美しさによって人を選ばれます。

 

 

 

ディズニーにたとえると

ディズニー映画『美女と野獣』を見たことがある人は、もう説明しなくてもわかると思います。

 

が、見たことがない方のために説明します。

 

 

『美女と野獣』がこれだけ世界的にヒットしているのって、映像の美しさやキャラクターの魅力、物語構成とか様々な面で優れているのもありますが、

個人的には「美しい少女ベルが、見かけではなく<心>を見て野獣を愛して魔法が解ける」っていう部分なんじゃないかなと思います。

 

人間なら、誰でも愛されたいですよね。

でも見かけに自信がない。人より何か特別に優れているものもない。学歴もない。経済力もない。人より何か秀でている部分がある自身もない。

 

すると、愛される自信がなくなってきてしまう。

 

 

 

野獣は、どれほどだったでしょう。

ただでさえわがままだった。なのに、見かけが恐ろしい野獣になってしまって、「もう一生誰にも愛されず、野獣の姿のまま一生生きるんだ」って、とても絶望する姿も(映画では)一瞬描かれていますね。

 

ちなみに、ミュージカル版だとこの野獣の絶望的な心情を歌う感動的なシーンがあります。

(実写版は見たことないのでわかりませんが…)

 

元々人間だった、なんて話しても信じてもらえるかわからないし、話したところで「わがままだったから魔法をかけられた」なんて言ったら、あきれられるんじゃないかって、私なら考えちゃいます(;^_^A

 

 

 

そんな絶望感の中、野獣の前に現れた一筋の希望。

 

名前のとおり美しい少女、ベル。(Belleはフランス語で「美しい」の意味)

 

引用元:https://www.disney.co.jp/movie/mulan/news/20200228_01.html

 

 

最初は対立し、ベルは怒りっぽくて野蛮な野獣にイライラし、野獣はベルの美しさと強情さにたじたじ。

 

けれど、野獣が命がけでベルの命を助けたことをきっかけに、2人の心に変化が見られました。

 

 

特にベルは、見かけは恐ろしいけど、実はとてもやさしくて親切な野獣の<内面>を見て、見かけのような怖い人じゃないということに気づきます。

 

 

 

ベルは賢い少女でもありました。

元々住んでいた町では、本を読んでいたので「変わり者」だといわれていて、友達もいなく、孤独感を抱いていました。

 

けれど野獣は本が好きなベルのために図書室をまるまるプレゼントしたり、一緒に本を読むのを楽しんだり、ベルをまっすぐ見つめる心を持っていました。

 

そこもベルが惹かれたポイントかもしれませんね。

 

 

 

また、ベルは元々住んでいた町で、ガストンという高慢でうぬぼれ屋のマッチョマンに激しく求愛され、うんざりしていました。

 

スウィート・ガストンのイメージ1

引用元:https://www.tokyodisneyresort.jp/menu/4391/

 

 

写真ちょっとおいしそうですが…(笑)

赤い服を着たマッチョマンがガストンです。

 

 

ガストンは<ベルの美しさ>を見て、美しい妻が欲しくてベルを自分のものにしようとします。

 

 

けれど、ベルはそんなガストンの思惑を感じ取っていたのか、町中の娘たちから<強くてハンサム>と外的には大好評だったガストンには全く目を向けず。

 

 

最終的にベルは、<見かけは恐ろしいけれど、美しい心を持つ野獣>を愛するようになります。

 

正しく知ることが知恵だ。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

 

 

ベルはとても賢く、知恵のある女性でした。

 

ベルは、人間のように<見かけの美しさ>ではなく、<心の美しさ>を見て、自分が愛する相手を選びました。

 

 

ふたを開けてみたら、なんと野獣は王子様だった。

 

 

「ベル…僕だよ!」

 

人間に戻った野獣にそう言われても、混乱してついていけなかったベルは、髪の毛を触ってみたり、顔をよく見てみたり…

 

 

そして、王子の目を見た時、その澄んだ青い目を見て(元)野獣その人だと気づきます。

 

 

「あなたなのね!」

 

 

 

そして城中にかかっていた魔法が解ける感動のラストシーンへ…。

 

 

 

まとめ

ベルが見かけではなく、<心>を見て愛の相手を選んだように、神様も<人間の心>、特に<愛の心>を見て人をお選びになります。

 

 

神様のことを愛する心があるのか。

兄弟姉妹を愛する心があるのか。

 

 

卑怯な手を使ってまで、自分と結婚しようとしたガストンに向かって、ベルは言いました。

 

 

「怪物は彼(野獣)ではなく…あなたよ」

 

 

これは、見かけではなく<心>を見て言った言葉でした。

 

 

 

神様もベルのように、<心>をご覧になります。

 

 

 

「ディズニー×バイブルスタディー」、第三回は<神様は心を見て人をお選びになる>でした(^^♪

 

 

ベルのような見かけも心も美しい素敵な女性になりたいものです(*^-^*)

 

次回もお楽しみに♪