神様の愛

信仰の経緯

神様の愛は

愛するから、地獄のような苦痛を味わわないように

行くはずだったところに行かないよう、状況を変えてくださったり

大変な目に遭うはずだったところで

例えばたまたま機械が壊れたとか、人間には思いもよらない方法で被害を受けないようにしてくださったり

自分は「晴れてほしい」と思っていたのに、雨が降ってしまっても

実は雨によって気温が下がって過ごしやすくなったり、地面の砂が舞わないようになったり、自分が考えていたよりもっと良い環境をくださったり

多少の苦痛は味わうことになったとしても、最悪の事態に陥らないように、その場その時における最善の環境を整えるためにしてくださっていることだったり

自分が考えられる中で求めていた〈

最高の状況〉よりも、もっと良いものをたくさんくださる愛。

守ってくださる愛。

 

<主>によって、<自分>によって、<人々>によってつまずくな。

「つまずき」は、「何であの人はああなんだろう?どうしてこうしたんだろう?自分は何でこうなんだろう?主はどうしてああなんだろう?」ニュアンスがこういう感じです。試みに遭う。疑いの気持ちが生じる。

つまずくということは失望すること、落胆すること、がっかりすることです。

期待したことが成されないから落胆し、つまずくようになります。

どうしてつまずくと思いますか?

それだけ期待し、希望を持ち、極的に好きで愛して最高に思って生きたのに、自分の期待と希望どおりにしてくれないからつまずくのです。

通りすがりの旅人や自分と関係のない人にはつまずきません。<自分の心と生を与えた人>につまずくようになります。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

 

「愛」と聞くと、どんなことをイメージしますか?

 

慰めてくれる?

楽させてくれる?

仕えてくれる?

自分が痛い目に合わないように犠牲になってくれる?

 

どれも間違っているとは言えないかもしれない。

 

けれど根本的な愛は〈生かす愛〉。

 

鄭明析牧師は、そのように教えてくださいました。

 

人間は何よりも「生きること」が優先です。

だから、神様は愛したら「生きる道」を教えてくださいました。

いつの時代でも、神様はこの世に遣わした使命者を通してその愛を表し、愛したら御言葉を与えて、一番先に「生きる道」と「死ぬ道」を教えました。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

 

死んだら何もできない。

だから何よりもまずは生かすこと。

肉体だけではなく、心も、精神も、考えも。

 

<愛>とは何でしょうか。「御言葉をくださること」です。

<最高の大きい愛>は「生きる道」を教え、その道に行って生きるようにしてあげることであり、「死ぬ道」を教えて誰が死ぬ道に行くのか分からせて、その道に行かないようにしてあげることです。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

 

自分が生きていること。

このこと自体が、神様が自分を愛してくださっている証拠だと真実に認めて

感謝感激して喜ぶ。

 

これが、鄭明析牧師が生涯かけて神様に捧げてきた愛。

 

その姿を見ながら、自分もそのように行きたいと思った。

 

けれど、気づいてみたら、神様がどれだけ自分を愛してくださっているか

あまりにもわかっていなかった。

 

これからは自分なりの愛、自分が願う愛をせずに

成長した大人として、神様の根本の愛を分かって

感謝感激して、喜んで生きたい。

 

昔の私にサヨナラをして

新たな一歩を踏み出したい。

 

新しい自分に出会えますように。