学ぶことはたくさんある

信仰の経緯

こんにちは\(^o^)/

 

最近、人間て何歳になっても学ぶことがあまりにもたくさんあるんだなぁって思ったことがありました。

 

先週、感謝できないという記事を書いたのですが、その週の主日に聞いた御言葉がなんと<感謝>についての御言葉だったんですよw

※うちの教会というかCGM全教会は今、オンラインで礼拝をしています。

 

感謝すべき週に感謝できないと書いてしまったーって思ったのですが、正直な気持ちだから隠しても仕方ない(;^_^A

 

むしろ「感謝できーん」って自分の心と戦っていたからこそ、御言葉がとても響いた部分もありました。

例えば、

 

<神様に捧げる感謝>は「人間同士助けてもらったときにする感謝」とは違う。神様が<天地万物>を創造なさり、そこに<人間>を創造して住むようにさせた。だから「自分が責任を果たせなくて思うとおりにいかないこと」があるとしても、神様にはいつも感謝しなければならない

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

 

「自分の思う通りに行かなくても、感謝しなさい」。

結構衝撃でした。

 

以前も牧師先生は、神様が創った地球に家賃も払わず、木も土も空気も太陽も植物も動物も全部タダで使っているのだから、感謝しなさい

というような話をしてくださったことがあります。

その時「確かに!」と思ったのですが、すぐに忘れてしまう悲しき忘却の存在、人間(´;ω;`)

 

地球に住まわせてもらっているってだけで、空気を自足自給しなくても、ただ息吸って吐くだけで呼吸はできるって思うととてもありがたい。

神様感謝します。

 

話を冒頭に戻すと、今まで<感謝>についての御言葉はたくさん聞いてはきたけど、先週の主日の御言葉を聞くまで「どうして感謝すべきか」については分かってるようで分かってなかったなぁと思いました。

というのも、「感謝しなさい」と神様がおっしゃる理由は、自分に「喜んでほしいから」だということを、今回新しく学んだからです。

 

<何か>をもらうとき「喜び」が来るように、<感謝>をしてこそ自分に「喜び」が来る

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

 

感謝したら喜びが来る…って、その喜びが来るのが怖いんですけど。

って正直に聖霊様に話しかけた時、「親が子供を喜ばせて笑顔を見たがるように、神様も聖霊様も私を喜ばせて、笑う顔を見たいんだな」と

天の心を感じました。

 

 

存在物>や<人>を見るとき、もっときれいで美しければよかったのにと残念がるより、「方向が違うところ」から見なさい。

<存在物を見る角度>によってもっと美しく、もっと素敵に、「願う姿」に見える。

これと同じく、<人>も美しく素敵できれいでも、「考えの方向」によって物足りなく見えたり、より劣って見えたりもする

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

 

弱くて足りなくて、自分の欠点ばかり見てしまうし、ネガティブなものの見方ばかりしてしまう自分のことが大嫌いで、いつも責めてしまう。

 

でも神様は、自分自身の見方は「考えの方向」次第だと教えてくださいました。

 

自分にもいいところはある。短所の分、長所もあるはず。

それでも私は、「自分を好きになる」のは「高慢」とか「自己満足」「自己中心」に陥って、周りの人を傷つけるんじゃないかって思ってしまいます。

 

だから余計に自分の長所を見るとか必要ないって思ってしまう。

自分を好きになりたくないから。

 

「自分だけが満足して喜んだら、周りにとっては迷惑なんじゃないか」って。

 

そう思っていたら、なんと牧師先生が私と少し共通する考えをしていて、聖霊様に聞いてくださいました(笑)。

 

「聖霊様も私と一緒に生きるから、私だけが満足し、喜んではいけないのではないでしょうか。」と牧師先生が聖霊様にお祈りして質問したら、以下のような言葉が心に響き、私達にも教えてくださいました。

 

聖霊様は<愛の本体>なので、すべてを「愛」でご覧になる。すべての命が個性どおりに美しく素敵できれいに見えるから、聖霊様のことは心配するな

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

 

要は「何やっても<愛>として受けとるから気にするな(*^^)v」ってことですね。

 

「感謝」についても、「自分を好きになること」についても、神様や聖霊様についても、まだまだ学ぶことがたくさんあるなぁと感じた経緯でした☆

 

正しく知ることが知恵だ。

物事をうまく判断することが明哲だ。

全知全能なる神様、遍在なさる神様、できないことがない神様を正しく知ることが、人間として最高の明哲だ。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

 

知恵と明哲にあふれた人になりたい(*ノωノ)

 

御言葉の勉強、がんばろ~。