メリークリスマスv(^_^v)♪
いよいよ今年もクリスマス当日が来ましたね〜(^^)
こころはクリスマス大好きですっ。
気温自体は寒いし空気も冷たいけど、雰囲気は温かくてキラキラしてて、何かあるわけではなくてもワクワクする感じ。
大好きです(●´ω`●)
そんなクリスマスになると思い出す聖句。
ヨハネによる福音書 3:16-17
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。 神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。
聖書の中で1番、神様の深い愛を感じる聖句でもあります。
最近、また自分の価値について向き合う機会があったのですが、本当にこのキリスト教福音宣教会「出会えて、ここの御言葉に出会えて感謝だなぁと思いました。
どうしてかというと、この御言葉で私は生きる力をもらったからです。
今年サイトをリニューアルオープンし、闘病の経緯をたくさん書いてきました。
年末ということで1年を振り返った時、改めてこのブログを通して1番伝えたいことは何だろうと考えました。
神様の愛を伝えたい。
それは変わらないけど、メッセージがもう一つ増えました。
それが何かというと、
「この御言葉を聞けば、あなたも変われるよ」
私の伝えたいことはこれだ、と振り返った時に再度自分の心を認識することができました。
死にたかった。
生まれた意味が分からなかった。
自分の価値が分からなかった。
愛され方も愛し方も分からなかった。
もっと良い人になりたかった。
でもあまりにも自分が足りなくて足りなくて、理想の自分になれない自分を酷く否定していた。
自分自身のことを愛したかったけど愛せなかった。
愛してはいけないと思っていた。
愛を受け入れられなくて苦しかった。
そんな私が変わることができたのは、御言葉に出会えたから。
鄭明析牧師の行ないを通して、神様の愛について学べたから。
御言葉に出会う前は、自分で決めつけたルールで自分を縛っていました。
「お金を使ってはいけない」
「わがままを言ってはいけない」
「幸せになってもすぐに壊れるから喜んじゃダメだ」
「我慢できない自分が悪い」
自分の中でたくさん<自分ルール>があって、自分の考えが自分を苦しめ、窮屈にしていました。
けれど御言葉を聞き始めてから、自分ルールにヒビが入って、徐々に解放されていきました。
しかも分かってみたら、自分ルールはいらないものばかりだったという残念な結末。笑
ヨハネによる福音書 8:32
また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう。
聖書に書かれているとおり、真理の御言葉が私を自由にしてくれました。
感情を表現したり、自分の好きなようにお金を使ったり(これは社会人になったからというのもある)。
何より、「私は生きてていいんだ。意味があって生まれたんだ」と思えるようになったことが、1番大きいですね〜。
「イエスは、また人々に語ってこう言われた、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」。
ヨハネによる福音書 8:26
あなたがたについて、わたしの言うべきこと、さばくべきことが、たくさんある。しかし、わたしをつかわされたかたは真実なかたである。わたしは、そのかたから聞いたままを世にむかって語るのである
御言葉というのは、イエス様が神様の体となって伝えてくださらなければ聞けなかったもの。
だからイエス様を送ってくださったこと、その行為自体に神様の最高の愛を感じます。
感じます、というより、「感じるようになった」と言った方が正確ですね(^◇^;)
御言葉を聞く前はイエス様の十字架の死が自分に関係あるものだなんて夢にも思わなかったので(^^;;
クリスマスと言えばサンタとプレゼントみたいな、ザ・日本的なクリスマスの発想しかなかったので。
こうして文章に書いて振り返ると、本当に自分変わったなぁ〜(^^;)
何が言いたいのか分からなくなってきましたが、まとめると
御言葉に出会えて感謝だということ。
御言葉は、イエス様が生まれてきて伝えてくださらなければ聞けなかったということ。
だからイエス様の生誕、そして根本的には神様がイエス様の体を着てこの地上に来てくださったこと。
すべてに感謝して、また感謝して。
「私は今ここにいて、幸せに生きています」
ということを神様にも、生きていく中で出会った大切な人達にも伝えたいです。
大切なクリスマス。
イエス様の生誕を祝う日。
神様の愛がより一層、一人一人に満ち溢れる1日になりますように(*´ω`*)