気分を害したら怒られる。
言うことを聞かなかったら脅される、怒られる。
「嫌だ」と言ったらキレられる。
私が人の顔色をうかがう原因。
父親が上記のような人だったので、小さいころからびくびくしておびえて育ってきました(-_-;)
そのせいなのか、「失敗すると見捨てられる」という不安感や恐怖感が半端ないです。
神様に対しても全く同じ脳内反応が起こるので、「御言葉守らなかったら見捨てられるんじゃないか」って不安がとても強いです。
現在進行形で。
ところがどっこい。
神様は人間が神様の前で罪を犯した時、どんな反応を示すと思いますか?
怒る?
「もういい!」ってそっぽを向く?
呆れる?
見放す?
牧師先生が教えてくださった答えはどんなものだったか、ご紹介します☆
聖書を読むと、人間って神様が「こうしたらダメだよー」っておっしゃったことをことごとく行なって、神様の人(預言者とかメシヤ)が神様の言葉を代言して忠告して、「ごめんなさい」って反省してやめるのですが
神様の人が亡くなってしばらくしたらまた悪に染まる…というのを繰りかえしています。耳も心も痛い話ですが(-_-;)
一般的な人々の心理としては「こいつもういい!好きにして痛い目見ろ!」とか思ってしまうんじゃないかと思いますが、神様の人格はそんなものではありません。
神様はやきもきし、心を痛めて、まるで「心の重症」を負ったように衝撃を受けました。
鄭明析牧師の御言葉より抜粋
私にとっては結構衝撃的な話でした。
私はもともと神様の存在を信じていない人でしたw
「神様がいらっしゃるなら、どうして震災や地震といった天災が起こるの?どうして戦争があるの?どうして貧困の差があるの?」
という、日本人によくある誤解をめちゃくちゃしていたからです。
「愛の神様」だというなら、そんなの見過ごすわけがない。
でも現実、紛争は絶えないし天災で多くの人が亡くなる事態は続くしで、到底神様が存在しているとは思えませんでした。
聖書を初めて勧められた時も、紹介してくれたお姉さんに「神様がいるならどうして震災とかが起こるんですか」って聞いちゃいましたw
でもその時のお姉さんの返しがすごくて、
「神様も涙を流されながら仕方なくやっているんだよ。どうしてかは、御言葉を聞く中でわかるよ」
みたいなことを教えてくださったのです。
私は基本単純なので「そっかー!神様泣いてるんだー!本当はやりたくないんだー!」と、<神様に感情がある>ことにまず驚き、学んでみようと思えるようになり聖書を学び始めました。
その傷ついた心を自ら晴らすこともなさいましたが、人々が最後まで翻さず続けて違う道に行くから、神様は「見よ。今度は私がこの地上に生きる者を投げ捨てるだろう。彼らを苦しくさせて悟らせよう」とおっしゃいました。
<救われるべき、選んだ人たち>が続けて神様の御言葉を聞かず強情を張るから、神様は「ご自身が受ける苦しみ」を彼らも受けるようにさせました。
それで自分たちが神様に間違いを犯して苦しみを受けるのだと悟るようになりました。 彼らが悟ったので、「神様の苦痛」も消えました。
人々が悟って分かってこそ、<神様が彼らによって受けた衝撃と苦しい心>が消えます。
鄭明析牧師の御言葉より抜粋
神様は人間があまりにも強情で、祝福を与えようとしているのに言うことを聞かないと悲しくなって、苦痛を与えると教えていただきました。
どうしてそうするのかって?
自分勝手に生きることによって、最終的に永遠な苦痛を受ける世界に行ってしまうことが絶対にないように、って神様は思っているんです。
「私の好きなとおりに生きちゃダメなの?」っていう話ではなくて、肉体がなくなった後の霊の世界。永遠に生きる世界を考えて、神様は人間にしてくださるのです。
例えば、毒薬が入った水を子供が飲もうとしている。飲んだら死ぬってわかっているのに止めないのは、本当にその子を愛しているといえるでしょうか?
それと同じです。
愛するから神様は時に、苦痛を与えてでも止めてくださいます。
目に見えないからわかりにくいかもしれないけど、<生かしてくださること>が神様の大きな愛です。
まぁ神様にしろ誰かに怒られた時、
①相手に対して「ちっ。細かいな、五月蠅いな」って思うタイプ
②「あぁどうして言われる前に気付かなかったんだろう。バカバカバカ!」って自分を責めるタイプ
大きく分けると2種類の人間がいると思いますが(笑)。
こころは断然後者で、何においても自分を責める。
自分が悪くなくてもとりあえず自分の責任にしてしまう損するタイプです。
なので怒られるとしょぼくれるし(´・ω・`)
「もう赦してもらえないかも」とか
「関係性が壊れるかも、もう明日から嫌われて笑ってもらえなくなるかも」とか被害妄想爆発させて不安に駆られます。
神様に対しても同じ心理現象だったのですが
やはり御言葉は私の間違った認識を壊してくれます。
(ここから先はどちらかというと②のタイプの人に当てはまるかもしれません)
神様はとても鋭利です。だから、心を傷つけると良心に伝わります。それが大きくぶつかったことです。
そうだとしても「神様、私でなければ誰と一緒に暮らすんですか?」
イエス様の御言葉のように、幼子のような心をもって。幼子を見ると、すごく複雑なことがありません。山のような大きな事件があっても、すぐにまた来て近づいて来ます。神様の前にそういうふうにしなければいけません。
ちょっと何かあったからと、「私は不幸だ、私はもう駄目だ」、そういうふうにすると、続けて続けて自分が不幸の方に釘付けられてしまうのです。
「罪を犯したけれども、神様、どうしましょう?」
「何でまた罪を犯したの?」
「悔い改めます、神様。」
「そうしたら悔い改めて、また一生懸命頑張ろうね」とおっしゃいます。
鄭明析牧師の御言葉より抜粋
「か、神様そんな反応なんだ!!(‘Д’)」と
御言葉聞いた時衝撃を受けました(笑)。
もっと厳格で怖いイメージがあったというか、そういう面もあるそうですが
基本的に私の場合は幼少期の父親の面影を投影してしまっているのでそう感じてしまうんですよねぇ。
父親も今はもっと変わって、そんなに怖くなる時ありませんが。
自分自ら倒れてはいけないということです。 自分自ら考えて判断するな。
無条件、罪を犯しても何だとしても、神様にくっつかなければいけません。主の前に話さなければいけません。
「罪を犯した」と言って、「あなたは罪人だ」と、監獄に閉じ込めておくことは神様はしません。
だから、「いつもそういうことをよくしなさい」と神様がおっしゃっています。
鄭明析牧師の御言葉より抜粋
御言葉を学び始めて早7年がたちますが、まだまだ自分の間違った認識やトラウマ、神様に対する無知が多いんだなと感じます。
赦してくださる神様の大きな愛を信じること。
幼子のような心で、怒られても締め出されても、コロッと笑顔でまた神様に近づくこと。
課題がはっきり見つかったので、御言葉実践できるように頑張ります( `ー´)ノ