麦わらさんが描く漫画&アニメ「オヤビンとコブン 社会問題と向き合う」をご存じでしょうか?
ざっくり説明すると、聖書を学んでいる主人公オヤビンとコブンが、虐待やいじめ、自殺など様々な社会問題を目の当たりにして、神様と共に目の前にいる人を救おうと、問題を解決していこうと奮闘する物語です。
私はこの作品がとても好きで、漫画もアニメも網羅しているのですが、先日、アニメの第16話「いじめの苦しみから、彼を本当に救い出したのは…」を見た時、とても胸に刺さった言葉がありました。
※以下、16話のネタバレ含みます。大丈夫な方のみお読みください。
アニメ第14~16話(ミステリ編B)は、日本でも大きな社会問題の一つである「いじめ」について描かれています。
主人公の一人であるコブンは、クラスメートのヒロフミがいじめを受けている場面に遭遇し、いじめの存在を知ります。
担任の先生に相談しても、軽くあしらわれて対応してもらえない中、コブンは何とかしてヒロフミを助けようとします。
しかし、状況は一向に良くなりません。
遂にいじめを受けていたヒロフミは、自殺を試みます。
間一髪でオヤビンが彼の元に到着し、自殺を思いとどまらせようと、神様の心情で「死ぬことを選ぶな!!」と叫びました。
この時のオヤビンの言葉で、とても刺さった言葉があります。
「神さん 生きることまでやめたくなる世界や ここは…っ
せやけど 神さん どうか ほんまに…
生きたいと願う世界に 変えてくれ…っ」
「生きたいと願う世界に」
漫画で何度も読んでいるはずなのに、今回アニメを見た時、この言葉がとても心に響きました。
私自身、何度もいじめを受けた経験があり、いじめに関しては関心が高い方だと思っています。
いじめによってというよりかは、私は他の理由の方が大きかったですが、自殺願望もありました。
だから、いじめを受けて親にも話せなくて苦しくて自殺しようとしたヒロフミの気持ちに共感もしました。
オヤビンが言っている通り、今の日本社会は「生きることまでやめたくなる世界」だと私は感じます。
私はTwitterで闘病アカの方をたくさんフォローさせていただいていて、希死概念と戦いながら懸命に生きていらっしゃる方々のTLをよく拝見します。
「死にたい。でも死ねない」という苦しみが分かる分、「苦しいよね、辛いよね」と思いながらも、神様に祈ることしかできない自分の無力さと悔しさをいつも感じています。
「死にたい」と思ったことがない人には、絶対に分からない痛みと苦しみだと思います。
生きる意味も目的も分からない。自分がどうして存在しているのも分からない。
自分が必要とされていない気がして、自分が存在する必要性も意味も分からなくて、生きなければいけない理由も分からない。
お腹が空くから食べて、喉が渇くから飲んで、着て、眠くなったら寝る。生存本能だけでなんとか息をしている感じ。
「死にたい」と考えてしまうことすら申し訳なくて、でもどうしようもできなくて、自分を責めていじめてしまう。ひたすら悪循環。ただ泣くしかなくて、本当に気が狂いそうになります。
「死にたい」「生きるのやめたい」そう思う世界ではなく
「生きたい」と思える世界。
みんなが「生きたい」といって、生きる希望を持てる世界。
そんな世界になってほしい。
オヤビンの痛烈な叫びを通して、改めて願うようになりました。
「生きる道や!!ある!!
ぎょーさんある!!」
「死ぬことを選ぶな!!」
私は3年前くらいに自殺願望がなくなり、今は希死概念に襲われることなく生きられていますが、自殺願望があった時、オヤビンのように言ってくれる人が1人でも傍にいてくれたら、何か違ったかもな…って思いました。
ていうか、いてほしかったな。
1人でも多くの人が「生きたい」と願える世界になるよう、神様に願い求めます。
最後に広告(笑)!
「いじめをする側―いじめっ子が生まれる背景」に着目した続編、ミステリ編Cの最終話が先日、アニメ公開されました☆
なんとアニメのために300枚ものイラストを描かれたとか…!!
すごすぎる…(感動)。
気になる方、ぜひご覧ください☆
ミステリ編C
「#20 追い詰められたイジメっ子が選択した行動、それは…」
「#21 『生きる意味って何なんだ!?』いじめっ子も目を潤ませた深い答え」
原作・アニメ一覧