すべて無駄ではなかった―私の心を救ってくださった神様

闘病の経緯

抑うつ状態にまで陥る原因となった某会社を辞めて、超大手企業に転職できてハッピー!

と思う一方で、私の心にはずっと引っかかっていることがあります。

それは何かというと、後悔です。

どんな後悔かと言うと、あの会社に入っていなかったら、病気になっていなかったんじゃないか」という後悔です。

実は前の会社の最終面接を受けた際、違和感を感じたんです。

上司にあたる方は最初はまぁまぁ印象良く(今思えばそうでもない)、良いかなーなんて思ってたのですが、それより上のもっと偉い人が出て来た時、なんだかすごく嫌な感じがしました。

態度が悪かったとかそういうのではなく、本当に所謂直感です。

しかもその場で即採用でそのまま社内挨拶回りに行く羽目になったんですよ。

そこまで大きくない、中小企業を受けるのが初めてだったのでよく分からなくて、よくあることなのかな?と思いつつも、なんだか「この会社ヤバイ大丈夫か」って思ったんですよね。

逃がしてくれなさそうな感じがしたというかなんというか…説明が難しいのですが(^_^;)

でも確かに祈りながら選考を進めていたし、希望していた編集職ではあったし、「1社だけ受かるように」とも祈っていて、実際に受かったのがそこだけだったので、その時は自分の直感を無視してしまいました。

編集職という経歴をゲットできたのは良かった。

自分は校正がとても得意で性分にも合っていて適職では!?という感覚を掴めたのも良かった。

今後役に立つかは未知だけど、校正の資格を取れたのも良かった。

友達や信頼できる先輩もたくさんできて、今でも繋がっているから本当に良い出会いもあった。

でも、

もし私があの時、直感に従って断っていたなら?

抑うつ状態にまで、落ちることはなかったんじゃないか。

心も体もボロボロになって、薬に頼らないと生きられないほどにはならなかったんじゃないか。

親にも心配をかけることなかったんじゃないか。

通院生活をすることなかったんじゃないか。

もっと違う人生を歩めていたんじゃないか。

後悔したところで何も変わらない。

過去を変えることはできない。

それでも、未だにぐるぐると考えてしまう。

「私が間違ったから、

私が悪いから、

私のせいで、

周りにも手を煩わせて、

こんなに色々ダメになってしまったんじゃないか」

後悔と自責の念が消えなくて、とても苦しかったです。

そんな私の心を救ってくれたのは、やはり神様でした。

その時の説教の主題は「神様と聖霊様に感謝、愛、栄光」でした。

 <ダビデの生>を見ると、「戦争」と「極限の困難」を本当にたくさん経験して生きました。
<ダビデ>が「多くの困難」を経たので、<神様>も<ダビデ>を「たくさん」お助けになりました。
だから<ダビデ>はその時その時、一つ一つすべて神様に感謝し愛して、誰よりも「栄光をたくさん帰す生」を生きるようになりました。

ダビデは<困難>を通して
‐<自分>がもっとつくられるようになり、
‐<神様の助け>を「もっとたくさん」受けるようになり、
‐神様に<もっと多くの感謝と愛と栄光>を帰すようになり、
‐それによってダビデの<信仰>も、<霊>も「もっと輝くように」なりました。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

「感謝」「栄光」と言えば、ダビデ。

ダビデの話をされながら、こんな御言葉が伝えられました。

 <信仰の大傑作品>をつくるためには、<もがき>がなければなりません
<信仰>は「もがいて行なうとおりに」もっとつくられます。

現実で<困難>と<苦痛>を味わえば味わうほど、
<その中で神様が助け共にしてくださること>を悟り、<もっと多くの感謝と愛と栄光>を帰して行なうならば、
<自分の信仰>も「大傑作品」につくられ、
<神様>も喜び、もっと助け愛してくださり、共に行なってくださいます。
結局<自分の霊>ももっと輝くようになって、<永遠な天国>を相続して永遠に生きるようになります。

だから神様に<感謝>と<愛>で<栄光>を帰して、毎日「希望と喜び」で生きることを祝福します。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

私はこの御言葉を聞いて、涙が止まりませんでした。

薬を飲まないと生活できない苦しみ、

抑うつ気分や希死概念に襲われる苦しみ、

体が重くて動けず、1日中横たわることしかできない苦しみ、

朝が来るのが辛くて、起きた時から涙を流す苦しみ、

眠れない苦しみ、

好きなことができない苦しみ、

食事がとれなくてやつれていく恐怖、

「他の人はみんな働いているのに自分は何をしているんだろう」という絶望も、

その苦しみと戦って、それでも命だけは奪われずに生きようともがいたすべて、無駄にはならない。

もがいた分だけ、自分が作られて傑作品になるんだ。

私のすべてを包み込む神様の深い愛に、私はただただ喜びの涙を流すしかありませんでした。

「あなたはもがきによって作られた、私の傑作品だ」

神様がそのようにおっしゃってくださった気がして、説教中に一人で号泣していました。

しかも、私の誕生日がある週に伝えられたんですよ。

神様イケメンすぎません?完全にやられました。

どんな誕生日プレゼントよりも嬉しかったです。

その前の週には、こんな御言葉もありました。

 <あなたが行なったこと>を「どうしてそのようにしたか」悟ろうとしてこそ、悟るようになるのであって、ただで悟るようになるだろうか。
<神様の御心>があって行なっていながら、普通に<自分の生活の一つ>としか思わず、偶然のように通り過ぎたら、<神様があなたと共に行なったこと>が分からないのです。

小さいもの、些細なもの一つ一つの中に、みなさんが行なったこと、「何でこういうふうにしたんだろうか?」と悟ろうとする瞬間、神様が共になさるということを悟るようになるし、それがつながって生活にまでなるということです。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

自分の間違いによって、神様の御心じゃないのに起こることもたくさんあります。

それは自分の失敗、反省として二度と同じ過ちを犯さないように気をつけるべきだと思います。

でも、その中にも神様の御心があって、自分としてはどうしてか分からずにやることもあるとおっしゃいました。

「なんでこんなことしちゃったんだろう」というようなことにも、もしかしたら神様の御心が隠れていることがあるかもしれない。

もしかしたら神様が隠密になさったことで、ミスではないかもしれない。

分別をしっかりとする必要はあると思いますが、この御言葉を聞いて少し安心しました。

「自分の周りで起こる出来事は、ミスだけが原因じゃなさそうだぞ」と思って。

実際、自分としては「やらかした~なんであんなミスしちゃったんだ」という出来事があったのですが、少し後になって見たら御心だった、ということが最近ありました(笑)。

だからといって絶対に病気になったことが神様の御心ではないです。100%違う。

でも、もがいた分、

少しでもうつ病の苦しみを知れたから、同じように苦しんでいる人の気持ちを分かるようになったし、

障がい者向けのサポート制度についても学べたし、

障がい者手帳の取得の手続きの仕方も分かったし、

就労移行支援事業所の存在についても知れたし、

通いながら徹底的なセルフケアの方法を学べたし、

また良い出会いもあったし、

実家にゆっくり帰れたし、

自分と向き合えたし、

人生の目的や今後の余生とも向き合えたし、

もっと祈るようになったし、

もっと神様にしがみ付いて生きるしかなくなったし、

やはり私には神様しかいないと悟ったし、

神様がいないと生きていけないと悟ったし、

たくさんのものを得ました。

だから、今は本当にただ神様に感謝、愛、栄光だなと思います。

もがいた分だけ傑作品に作られる。

後悔と自責の念に襲われていた私を、神様はただただ愛で包み込んでくださり、否定しないで、私の人生すべてを認めてくださいました。

まだ完治したわけではないし、うつ病になりやすい考え方というのもまだまだ残っているし、課題はたくさんあります。

けど、これからもいただいた御言葉を忘れずに、感謝と愛と希望と喜びで、傑作品の人生に作っていきます!(^^)!

ただの慰めでもなく、真実に私を愛で癒してくださった神様にここから感謝します!

この記事を書いた人
こころ

2015年8月に適応障害の診断を受け、2019年2月から1年1か月休職し退職。
自分の心理を分析しながら、心の傷を癒していっています(^^)
キリスト教福音宣教会会員として神様の愛を学びながら、自分と他人を愛せるように頑張っています☆
ディズニー大好きで、特にベイマックスが大好き!(●ー●)
ディズニーのアトラクションは、ベイマックスのハッピーライドが1番好きです!
(詳細については↑の「”こころ”」をクリック☆)

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