『アナと雪の女王2』〜ありのままの自分を愛してくれるのは誰か〜

闘病の経緯

※ 『アナと雪の女王2』ネタバレ含みます。

 

アナと雪の女王2』を通して神様が悟らせてくださったことシリーズです☆

 

1番強烈的で、1番熱烈で、1番衝撃的に悟ったことについて書きたいと思います。

大まかなあらすじ

今回の1番のテーマである「なぜ、エルサに力は与えられたのか―。

 

その答えはエルサが生まれた意味と経緯に込められていました。

 

アレンデール王国でアナや国民と平穏に暮らしていたエルサは、自分だけに聞こえる「謎の声」に頭を悩ませていました。

その声について行きたいけど、平穏な暮らしが壊れることを恐れ、聞こえないフリをし続けていたエルサ。

けれど、聞こえないフリができなくなるほど声は聞こえ続けます。

 

エルサは遂に、今の平穏な暮らしが壊れるのだとしても未知の旅へ踏み出そうと決心します。

決心した途端、王国中の水や火が消え、突風に襲われました。

 

昔両親から聞いた「魔法の森」を襲った「精霊」を呼び起こしてしまい、彼らが王国を襲ったのだと悟ったエルサ。

エルサは王国を救うため、アナやクリストフ、スヴェン、オラフと共に、霧の中をかき分け「魔法の森」へと向かいます。

 

魔法の森に入ったエルサ達は、自然の精霊の恩恵を受けて暮らしている民族「ノーサルドラ」に出会います。

 

彼らから自然の精霊と人間を繋ぐ「第5の精霊」の存在を知ったエルサは、もしかしたら自分を呼ぶ声は「第5の精霊」なのかもしれないと考え、更に森の奥へと進みます。

 

旅を進めるうちに、エルサは過去のすべてを知ることになりました。

 

どうしてエルサは不思議な力を持っているのか

旅で明らかになったのは、エルサとアナの母イドゥナは「ノーサルドラ」の民で、昔アレンデール王国と「ノーサルドラ」の間で戦いが起こった時、自分の民を攻撃した敵国の王子(=エルサとアナの父)を愛し、彼の命を生かしたという事実。

命を愛したその対価として(英語版では”gift”と表現されていました)生まれたのがエルサでした。

 

自然の精霊と人間を繋ぐ架け橋として、平和をもたらすために力を与えられて生まれたエルサ。

 

雪の女王というよりは、平和の女王だった!

泣ける事実(´;ω;`)

 

探していたのは自分自身だった

エルサは、自分が生まれた目的を成すため、そしてどうして戦いが起こったのか、過去の真実を探るために、すべての過去の記憶を持つ「アートハラン」と呼ばれる伝説の川に着きます。

 

そこで自分を呼ぶ声の存在を強く感じたエルサは、喜びと共に「アートハラン」の中心地に進みます。

 

そして、すべての事実が明らかになるのでした。

 

エルサを呼んでいた声は、昔母イドゥナが父を助ける時に風の精霊ゲイルを呼んだ時の声そのものでした。

 

精霊たちにしか聞こえない過去の記憶のその声に、エルサは導かれていたのでした。

 

精霊たちにしか聞こえない。

つまり、エルサ自身が「第5の精霊」だったのです。

 

「第5の精霊」を探していたエルサ。

つまり、<探していたのは自分自身だった>のです。

 

旅の終わりにあったのは、本当の自分

 

なんかもうその展開自体に感動でしたが、こころは今回<探していたのは自分自身だった>というのが一番ヒットしました。

 

「アートハラン」でエルサが歌う”Show yourself”(『みせて、あなたを』)は本当に

大・号・泣(ノД`)・゜・。

 

みせて、あなたを

自分自身の力に歩み寄って

新しいものに自分自身を投げ出してみて

あなたが、私のすべての人生の間、待っていた人

 

みたいな歌詞があるのですが、本当に泣ける。

今回も大号泣でした(´;ω;`)

 

「第5の精霊」だったから、人と違った。

自分の居場所は人間界ではなかった。

戦いを終わらせ、「ノーサルドラ」にもアレンデール王国にも平和をもたらし、すべての問題を解決するために生まれてきた。

 

「どうして私は人と違うの?」

「私の居場所は本当にここなの?」

人生の問題が解かれ、生まれた意味と経緯が分かったエルサは、最後は自分が目的を成し遂げ、すべての問題をアナと共に解決し、平和をもたらして生きるようになります。

大号泣( ;∀;)

 

自分のことを正しく分かって、真実な自分のままで生きた時、人は生き生きと喜んで生きるようになるんだなと、エルサを見ながら泣きました。

 

続けて以下、どんな悟りをもらったのか、悟るまでのもがきの過程と併せて説明します。

 

『アナと雪の女王2』を通して受けた神様からのメッセージ

 

映画を観にいった後、メンバーの子とお茶しながら話しその日は帰りました。

対話の中でたくさん悟ったことがあったのですが、まだ何か悟りきれていない感覚がして、ずっとこのことについてお祈りをしていました。

 

一週間ほど経った金曜日の明け方。

やはり答えは御言葉と祈りから来ました。

 

朝起きて自分の部屋でお祈りをしていた時、自然と涙が出てきました。

「あぁ、私も探していたのは自分自身だったんだ」。

なぜかそのような考えが浮かびましたが、考えが浮かんだ瞬間はどういうことか分かりませんでした(笑)。

しかしその直後に聞いた明け方の御言葉で、はっきりとその言葉の意味を悟りました。

 

うまくやらなければ問題が生じるし、良くやれば問題が解ける。

自分がよくやれば問題があまり生じません。しかし自分が良くできないと問題がよく生じます。

<自分に問題があるということ>を悟らなければならない。

自分の問題、自分の答えだ。

自分が問題も起こすし自分が問題を解きもする。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

 

この御言葉を聞いた瞬間、問題と答えがはっきりと悟れました。

 

まず自分の問題は何だったかというと、<自分の考え>です。

自己肯定感が低すぎて「自分は無条件愛されている!」という確信がないから、神様が自分をどれだけ愛してくださったのだとしても「間違いを犯す私は愛される理由がない」とか「こんな私じゃダメだ」と、神様の愛を拒否してしまうことがよくあります。というかデフォルトそんな感じ。

 

でも神様は、明け方起きられなくても、疲れて礼拝で寝てしまっても、私に対する価値と愛が変わることがない方。

 

とはいえ自分の認識が間違っているから、御言葉でいくら「無条件愛している」と言われても、なかなか素直に受け入れることができませんでした。

 

それで調子が悪くなるとすぐ神様を誤解して「愛を感じられない」とか「本当に私は愛されているのか?必要とされている存在なのだろうか」とかいつも考えていました。

何もできていない自分自身に嫌悪感を抱いて、神様から遠ざかることも日常茶飯事でした。

 

 

人が生きていく時、人と切って切れないものがあります。世の中に、男と女が切って切れないように、人生を生きていく中で切って切れないものが、問題です。そして、必ず答えがあります。共存しています。

 

問題があったら逃げないでください。

抱き締めて、「来たか、お久しぶり」と言って、問題を愛さなければなりません。

問題の中に答えがあるからです。だから問題を、クルミを割るように割るのです。

そうしたら、その中に食べられるものがあります。答えがあります。

問題は、行なった時に答えが来る。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

 

御言葉の通り、問題を割ってみたら問題は<自分自身の考え>でした。

 

一番の私の間違いは、<自己肯定感が低いこと>が最大の問題だと思っていたこと。

問題はそこじゃなくて、自己肯定感を低くさせている<自分の考え>が問題であって、そこを直すことが答えだったのです。

 

問題は周りにあるわけではなく、自分自身の中にある。

今まで、特に教会に通い始める前は、ディズニーとか海外に応えを求めていたけれど、答えも自分自身の中にあったのです。

 

「愛されたい」。

「認められたい」。

「受け入れてほしい」。

「安心して笑って生きられる理想世界に行きたい」。

 

私がずっと探していたもの、ずっと求めていたものはすべて、摂理の御言葉を聞く中で見つけました。

 

それなのにどうしてまだ辛い思いをしながら生きているのか。

それは、どれだけ「愛している」と言われても、自分がその愛を認めないから。

つまり、最大の問題は<自分自身>でした。

 

真実にあなたが価値があり、貴重な人だと数百回、数千回説教をしてもその御言葉を正しく悟れない人たちが多いです。

なぜだろうか?

あなたがあなた自身を価値があると認めていないから

御言葉が完全にあなたのものにならないからだ。

 

人の問題の80%は心の問題です。考え、思考、精神の問題です。

自分が主の愛が感じられず、疲れて大変で難しい理由は

自分の足りなさを自らあまりにもたくさん攻撃し、詰問し

そのことによってつらい思いをし、

また、もがいたにもかかわらず抜け出せなかったからです。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

 

鄭明析牧師の御言葉の中に「認識は決定だ。」という御言葉があります。

 

<認識>は「自分の考えが認め、決定したこと」だ。だから全く違ったことは考えなくなる。

だからその認識どおりに決定して行なう。だから<認識>が「生」を左右する。

認識を正しくしなさい。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

 

 

自分に対する認識が間違っているから神様の愛を感じられないだけで

神様は変わらず自分のことを愛してくださっていた。

 

御言葉通り「自分が問題なんだ」と認めた時、『アナと雪の女王2』の”Show yourself”のシーンが思い浮かびました。

 

<探していたのは自分自身だった>。

私もそうだった、ということを悟りました。

 

どういうことかというと、私が探し求めていた「ありのままの自分を愛してくれる存在」、「ありのままの素直で純粋な自分を受け入れてくれる存在」は、自分自身だったということです。

 

生があなたの考えどおりに、

あなたの「理想」どおりにならないときもあるし、難しいときもある。

しかし最後まであなた自身を信じてあげ、コーチしてあげ、矯正しなさい。

そうしてこそ、実を結ぶ。

足りなさは知るべきだが、その足りなさを憎んではいけない。

あなたの心によって、主の愛が歪曲(わいきょく)して見える。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

 

「良い」と思って自分で自分を責めていたけれど、これが問題でした。

それならばこの問題の答えは何なのか。

御言葉ではっきり教えてくださっています。

 

あなたを愛しなさい。

そして絶えず、できると話してあげ、信じてあげなさい。

そうしてこそ疲れても立ち上がり、折れても立ち上がって

三位と主が応援し、導いていらっしゃるということを

「傷ついていない心」で受ける。

 

いつも考えで自分をとがめ

攻撃する病にかかって萎縮し、完全な愛を受けられないから

自分を愛することで聖三位と主の愛を認め、是認し、

そのことによってもっと大きく行いなさい。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

 

<自分が自分を認め、受け入れて愛すること>。

これが答えでした。

 

エルサが自分の本当の姿を知り、認め、受け入れ、生きる意味、生まれた目的を見つけた。

そして愛する妹アナと共にその目的を成し遂げた。

それによって自分の本当の居場所を見つけ、平和な世界を手に入れ、2つの世界を行き来しながら喜びと幸せで生きる姿に

涙せずにはいられませんでした。

 

「自分を認めて受け入れて愛してくれる存在は自分自身だった」

これが『アナと雪の女王2』で神様からいただいた一番の深いメッセージでした。

 

もちろん根本的に一番私を理解して愛してくださるのは神様ですが、<自分の考え>が間違っていたらその事実を受け入れられないという話です。

 

過去を回想すると、初めて自分が適応障害だと知った時、一番の回復の鍵となったのは<自分に向かう神様の愛を確信すること>でした。

 

明け方も起きられないし動けないくらいきつかったけれど、「神様は無条件絶対に私を愛してくださっています」という告白の祈りだけは、毎日毎日続けていました。

 

他にもいろんな過程はありましたが、<自分に向かう神様の愛>を認めて告白する条件はかなり大きかったように感じます。

 

今年になって再発というかズドンとまた落ちてからカウセリングに通い始めましたが…

自分の認識を変えることが一番の回復の鍵なんだなと再び悟りました(-_-;)

 

いつも言われていることだけど、エルサを通してより実態的に見せつけられた感じ。

 

…自分が愛されていることを認めるのは簡単ではないけれど、努力しますm(_ _)m

 

エルサみたいに、本当の自分の姿を見つけ、本当の自分の居場所で幸せに生きたいから。

 

ファイトだぁぁぁぁぁ(>_<)

 

おまけ:エルサに見るキリストの姿

今回、エルサの姿にキリストの姿がめちゃくちゃ重なりました。

作った方がクリスチャンなのかどうかはわかりませんが(;^_^A

まぁアメリカはクリスチャン多いですけどね。

 

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。

ヨハネによる福音書5:39

 

これは、イエス様が生前におっしゃった言葉です。

イエス様がおっしゃったように、聖書はキリストが核心。キリストについて書かれている書物です。

だから鄭明析牧師は、「主が答えだ。すべて主のことを言ったことだ」という御言葉を伝えてくださったことがあります。

いつの時代でも、人々は自分の生の世界よりもっと理想的な生を生きるために問題を解決し、答えを見つけて行なう。特に宗教世界では<問題を解くこと>、<答えを見つけること>、<行なうこと>だ。

過去の歴史を見たとき、人間自らはいつも「根本的な答え」を見つけられず、「根本的な疑問」を解くことができなかった。ただ<メシヤ>が来たとき「根本的な答え」を見つけ、「疑問全体」が解けた。

人々はそれなりに<答え>を探し回るけれども、「メシヤに会うまで」はみんな<疑問>に閉じ込められている。

<神様の封印>は誰も解けない。ただ<神様が教えて遣わした人>だけが解くことができる。

新約のとき<イエス様>が「答え」を与え、直接行なってくださって「旧約全体の歴史」が解けたように、<この時代来られる再臨の主>も「すべての時代の答え」を理論でだけ教えるのではなく、直接行ないつつ教えてくれる。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

 

この御言葉と映画の中のエルサがちょっと重なる感じがしました。

エルサが来るまでは戦いの問題が解けなかったし、わかったとしても解決できる力もあったかどうか。

映画の中ではエルサが答え。

しかもキリストって平和の王だけど、エルサも平和を象徴するキャラクターとして描かれているし。

 

勝利を得る者は、このように白い衣を着せられるのである。わたしは、その名をいのちの書から消すようなことを、決してしない。また、わたしの父と御使たちの前で、その名を言いあらわそう。

そして見ていると、見よ、白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、弓を手に持っており、また冠を与えられて、勝利の上にもなお勝利を得ようとして出かけた。

ヨハネの黙示録3:5、6:2

 

自分が「第5の精霊」だと分かった時からエルサの服が変わりますが、その服が真っ白なんですよね。

白い衣。これもキリストを象徴するものです。

勝利するし。

 

ちょこっとですが、キリストを連想させるエルサの姿についてでした。

 

余談ですが…4つの精霊のマークの中央、5つ目の精霊のマークを見ると、周りの4つのマークと合わさって氷の結晶になります。

ここからも「第5の精霊」はエルサだとわかるようになっていますね(^^)

 

皆さんも神様からの必要なメッセージを受けられますように(*´∇`*)