キリスト教では日曜日に神様に礼拝を捧げる文化があります。
宗派によって形式は異なるそうですが、キリスト教福音宣教会では歌手や楽器、司会、聖歌隊、説教者などさまざまな使命があります。
その中の一つに代表祈禱というものがあります。
もちろん礼拝が始まる前に各自でお祈りしますが、礼拝の式次第の中で、1人がみんなを代表して神様にお祈りを捧げる時間があります。
先日、移籍先の教会の牧会者(リーダー的な人)からお声がけいただき、その使命を6年ぶりにやらせていただきました。
6年ぶりで感覚を失っていたので必死に1週間準備しました。
けど当日ボロボロでした。
緊張感とプレッシャーに負けた自分が悔しいです。
誤解のないように補足すると、誰かにプレッシャーをかけられたわけではなく、私は責任感が強いので勝手に自分でプレッシャーを強く感じていただけです。
本当に悔しかったですし落ち込みそうになりました。
けど、私がそうなることを見通したような説教の内容で、なんとか持ちこたえました。
神様は「永遠な私神様の願い、自分の人生の問題が解決する真実な願いが叶えられなければならない。それが本当に大きい」とおっしゃいました。その他のものは瞬間的なもの、過程の中で必要なことを成す願いにすぎません。だから自分が願うことがすべて成されても空虚です。全能者神様が願われることが自分に成されてのみ、その時にはじめて肉体は一生、霊は永遠に満足します。
神様は人々が生きてくる中で願っていた大小の願いをすべて聞いてくださいました。いつも共にして一緒に生きてくださいました。だからこのことに感謝し愛して生きてはじめて満足します。永遠なる神様、聖霊様、御子、イエス様と時代の救いの使命者に毎日仕え、敬い、愛することを楽しみとして生きてこそ、真実に満足します。
神様、聖霊、御子、イエス様を愛し、その新婦になって生きる生を満足して生きていきたいという、その願いを毎日叶えて生きるべきです。そうしたときに虚しくもなく、困苦でもありません。そのほかはその都度ついてくる生に属した願いです。
鄭明析(チョンミョンソク)牧師の説教より抜粋
「神様の創造目的を成したからまぁもういっか~~~~どうせもうみんな代表祈禱の内容なんて覚えてないだろうしな~~~~いっか~~~~~」となりました。
もちろん反省点は反省点としてしっかり対策して次回に臨む責任分担は果たしますが、少し慰められました。
とはいえ、その日何度も思い出しては落ち込みそうになりました。
自分を責める考えや言葉がたくさん浮かびました。
けど、そこで落ち込んで自分を責めたら成長しない!と思ってあがいていたら、ふと思ったことがありました。
「足りなかったのは事実だけど、最大限努力して準備した過程まで否定するのは違う」。
反省点としては、平素の祈りや御言葉の読み込み、祈りの文章案を準備したものの読み込みが足りなかったことなどいろいろあります。
頭がごちゃごちゃして整理できず、途中で嫌になって逃げた時間もありましたが、がんばって努力はしました。
その努力まで否定するのはおかしいのではないかと気づきました。
「この人何当たり前のことを言っているんだ?」と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、完璧主義で自分を責めることしか知らなかった私にとっては、大きな気づきでした。
結果ももちろん大事ですが、うまくできなかったからといってがんばった過程まで否定してしまったら、モチベーションも下がりますしつらいです。
今まで過程まで否定していたことに気づいていなかったのですが、「努力した分はがんばったねと褒めていいんだ」と今回素直に思えたので、自分にとっては大きな一歩です。
落ち込まない、自分を責めなくてよいとなった時に「え、そしたらどうすればいいんだ?」とかなり戸惑いましたが(笑)、めぐみちゃんに相談したら「それでいいんだよ、次回に活かせばいい」と言われました。
自分でいうのもなんですが、ブログを読み比べるとマジでポジティブvsネガティブの対比がとても面白いので、めぐみちゃんのブログもぜひ読んでみてください(笑)。
話がそれましたが、精神的な成長の機会になったことに感謝します。
次回こそ緊張とプレッシャーに負けずに、神様が感動する祈りをしたい!!!
ので、次回のチャンスをいただけたらがんばりたいと思います…。
まずは平素信仰を立て直します…。

