「失敗」は最後までやれば「失敗」にならない

闘病の経緯
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仕事からすっかり開放されてGWを過ごす中で

改めて適応障害について考えました。

 

病気の症状が

過度に不安になって呼吸が早くなったり

息が詰まって眠れなかったり

不安でおなかが痛くなったり心配に襲われたり

こういった症状がおこるのはどんな時かというと

一番は職場のことを考える時なんですよね。

 

「失敗したらどうしよう」

「失敗して迷惑かけて、人が自分を見る目が変わるのが怖い」

「失敗して会社に大きな損害を出してしまっても、どうやって責任をとればいいんだろう。他の人の生活がかかっているのに。そんな責任負えない」とか。

文字に起こすと妄想すごいなwという感じですが(;^_^A

 

とにかく私は失敗するのが怖くて人から嫌われて見捨てられるんじゃないかって不安が強いのです。

 

だから仕事も真面目に頑張りすぎてしまうし、教会の様々なことも真面目にやりすぎるし、

何より「失敗しちゃだめだ」と自分を追い込むから、すぐに疲れて倒れてしまいます。

 

「失敗するのが怖い。嫌われて見捨てられるのが怖い」

 

20年以上戦って、変えることができなかったこの考え。

最近、この考えに変化の兆しが見え始めました。

きっかけとなったのは以下の御言葉です。

経験したものは次もやって見れば絶対にできると言うことです。やって見たことを通してあらかじめ判断する。

だから心配するな。恐怖が瞬間あるだけで実際そういうことは起きない。経験したから伝えるわけです。やってみたことは大きな資本です。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

「やってみたことは大きな資本」。

この言葉にとてもはっとさせられました。

また以下の御言葉を聞いて、一つ大きな悟りを得ました。

 

 

<もっとやること>の前には「障害物」がある。「その障害物」を解決しなければならない。

各自<もっとよいもの>を得るためには、もっとよくやらなければならない。しかし、少しやってやめる人が多すぎる。一つの渓谷に入って水石を拾っても、初めは「普通のもの」を拾う。「もっとよいもの」を拾おうとしてこそ「もっとよいもの」を拾うことができる。

初めはカナンの地に行くことはできない。エジプト、シン荒野、カナンの地なのだ。そのような生が毎日起こるように熱心に行ないなさい。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

 

モーセが紅海をわって海を渡ったという話は有名ですが

その目的地はどこだったかというと、「カナンの地」です。

カナンは乳蜜が流れる地といわれていて、資源等が豊かな地。

エジプトで400年間奴隷生活を強いてこられたユダヤ民族が神様に助けを求めた時、

元々先祖たちが住んでいたカナンの地に、あなたたちを導くと神様は仰いました。

 

そして有名なモーセの出エジプトがあったわけですが

カナンの地に行くまでに。「シン荒野」という荒野を通らなければなりませんでした。

荒野なのでもちろん水も食料もなく、熱い太陽にさらされての寝泊り。

「こんな飢え渇く生活なら、エジプトにいた方がよかった」

そこでの生活があまりにも苦しくて、ユダヤ民族の多くはカナンの地に行けず、シン荒野で亡くなりました。

 

「失敗」したらダメだと思っていたけど

牧師先生は「やってみたことは大きな資本だ」と仰った。

途中でやめたら「失敗」かもしれないけれど

そのできなかったことから学んで、次にもっとよくやってみたら

予想以上に理想的な形でできるようになったことってたくさんある。

 

だからやってみて、できたかできなかったかが問題ではなくて

途中でやめること、最後までやらないことが問題なんだと考えられるようになりました。

 

シン荒野でやめてしまったから「失敗」に終わったけれど

どんな困難があっても、うまくいかないことがあったとしても

カナンの地にたどり着ければ、過程がどんなにボロボロだったとしても

それは「成功」に変わるんだと、認識が転換しました。

 

御言葉を聞き始めてから6年以上経ちますが

「到底変化できないだろう」と思っていた考え方も徐々に変わっていく奇跡を見ると

自分の考え方を治すのも、「最後まで」なんだなと思います。

 

人は一度で高い境地に上がることはできない。階段を上がるように一段一段上がっていかなければならない。<もっとやることの階段>を上がり続けてこそ、そのセンターの最高の境地に上がって「もっとよくやることの仕事」をするようになる。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

 

焦らず、一歩一歩。

神様の手を握って、進んでいこう。

そうしたら必ず、理想の自分に出会えるから。

 

御言葉があることに感謝します(*ノωノ)