死にたがっていた私が変わった経緯

闘病の経緯

「あなたが生きる目的は何ですか?」

この質問に、あなたなら?何と答えるでしょうか。


自分の生の経緯を考えてみなさい。どういう立場だったのか。

神様が今まで助けて、導いて、共にしてくださった経緯。その他にも多くの苦痛、人生の中での失意を感じ、難関にぶつかったこと。

「まさか人間が生まれて、私ほどこんなに人に話すこともできないぐらいの壮絶な人生を生きることができるんだろう」と、そういうことがすべて経緯です。そのような経緯がたくさんある。


死ぬ目に遭ったとき、たくさん生かしてあげた。


神様が助けて下さったのです。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

「 神様、聖霊様が存在なさることを証する 」という主題で御言葉を伝えてくださった今週。

神様が私を生かしてくださった経緯を振り返ると、私が今こうして生きていること自体、神様のおかげだなと思い直しました。

私の人生の最大の疑問は

「私は生きていていいの?私は何のために生まれたの?」

ということでした。

教会に通い始める前、信仰を持ち始める前は

私は、自分が生きている理由がわからなくて

「自分が生きていようが死んでいようが、親にも友達にも大した影響は与えない」と、心の底からそう考えていました。

また改めて書こうと思いますが、私は幼い頃の家庭環境やいじめの経験から

「自分がいるせいで周りが不幸になる」

何か悪いことが起こると、「自分がいるせいで、自分のせいで」 という
自分がまるで「不幸の種」のような存在だという信念を持つようになりました。

だから自分が生きていていいのか、本当に悩んで、答えがほしいと思っていました。

自殺したくなるほどの大きなショッキングな体験とかもなく

生活自体は極めて平穏でした。

けれど、時々人生が虚しくなって、階段を見るたびに「ここから落ちたら死ぬのかな」とか

家で誰もいない時、台所に行って「包丁で手首を切ったら死ねるかな」とか

包丁を取り出してみたこともあったくらい

自分という存在の意味が分からなかったし、生きているのが辛くなる時がありました。

「死にたい」という思いが心の底にありました。

今思うと、悪い何かに若干「憑りつかれて」いたんだろうなと思います(;^_^A

母親に質問したこともあります。

「私って生きてていいの?」

「当たり前だよ」と言われたけど、納得できなくて

何を目的にして生きればいいの?という疑問も解けなくて

「生きていても死んでいてもいいや」という思いで

心は半分死んだまま生きてきました。

そんな中、私の人生の疑問を解いてくれたのは聖書でした。

聖書には、神様がどうして人間を造ったのか、どのように生きるべきなのか

人生について学べることがたくさんあると聞いて

聖書を学び始めたのです。

結論、聞いたとおり、私の人生の答えが聖書に載っていました。

あなたを造られた者はあなたのであって、その名は万軍の主。
あなたをあがなわれる者は、イスラエルの聖者であって、
全地の神ととなえられる。

イザヤ書54:5

「夫」と書かれているように、神様は人間の夫の立場で

<人間は神様を愛するために生まれた>し、<愛されるために生まれた>。

これが、人間が、つまり自分が生まれた目的。

愛されること、そして神様を愛することが自分の生きる意味。

…正直、このことを認めるまでに紆余曲折色々あったのですが、

「本当にそうだ」と認めてから、私の人生は変わりました。

自分が生きる目的と意味を知ってから、私は人生を生きる希望を持てるようになりました。

だから「死にたい」という思いが消えたし、何より

「私は生きてていいんだ」

生きていていいという答えをもらえて、これまでの人生で感じたことのない安心感を得るようにもなりました。

「神様なんていない」という人は多くいる。

私も元々無神論者だったので、気持ちはとても分かる。

けれど今は言える。

「神様は生きていて、存在している」

その証拠は?と聞かれたら、私はこう答えたい。

「私が自殺しないで今生きていることが、その証拠だ」。

「死にたい」と思っていた人を

誰が根本的に変えることができるでしょうか。

生まれた意味と目的を教えられる人がいるでしょうか。

私が今生きていること。

呼吸して、存在していること。

神様が聖書をとおして、人生について教えてくださったからできていること。

辛かった人生。今は、希望で生きられるようになったことに

心から感謝して、過去の経緯を綴ってみました☆

長くなりましたが、ここまで拝読してくださりありがとうございます(*´ω`*)