一人で捧げる主日礼拝

仕事での経緯

聖なる主日、日曜日。

この日は一週間の中でも特に、最高に神様にすべてを捧げる日。

 

とはいえ、仕事がある日は

言うまでもなく礼拝に参加することができないため

いつも仕事が終わった後に、

昼間行なわれた主日礼拝の映像を観ながら

礼拝を捧げています。

 

一人で捧げる主日礼拝。

生で、現場で捧げる礼拝の恵みに比べたら

正直なところ、受ける力は明〜らかに弱いのを

ひしひしと感じています。涙

 

けれど、最近「これはこれで美味しいかも(*゚▽゚*)」と味を感じられるようになってきました。

 

元々私がいる教会は何百人単位で

所謂大教会です。

 

もう誰が来ていて誰が来ていないのか全く分かりません。笑

用があって話したい人がいても、簡単に見つけられません。笑

 

そんな大所帯で礼拝を捧げるので

時には前の方の席に座れず

後ろに行かざるを得なくなる時もあります。

 

壇上に聖三位が座る椅子があるので

その近くに座りたい派なんですが

遠いと若干テンション下がります(^◇^;)

 

しかし!!

一人で捧げるとなると、座席選びたい放題なんですよね(=^▽^)σ

 

仕事が終わった後、お祈りしたいのもあり

Kokoroは教会に行って本堂で礼拝の映像を観ます。

静〜かなだだっ広い本堂で

聖三位の椅子の真ん前、1番前の1番良い席に座り

御言葉を聞く。

 

まるで、神様を独り占めしている気分になり

御言葉もとても集中して聞けます(^^)

 

肉体がどの席に座っていても

霊的に見れば一対一で神様と対面して、礼拝を捧げているとは教えていただいたのですが

周りに人がいないからか

本当に一対一で、「私一人」に向けて

御言葉を伝えてくださっている感覚が

ものすごく強いんですよねぇ(゚ω゚)

 

礼拝は、神様に会う聖なる礼式だ。

あなたたちに最も近くで会い、対面して、

神様の心情を深く話す時は、まさに礼拝の時だ。

あなたと私の愛だ。

ハイライトは愛だ。

あなたが神様を愛してこそ完成だ。

神様が私たちを愛するのでは完成になりません。

私たちが愛してこそ完成だ。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

 

対面してくださる神様。

自分の神様。

一対一の神様との愛の感覚を

一人で主日礼拝を捧げる時に身につけて

いつでもどこでも神様だけを意識して

喜んで生きる生(せい)を送りたいです。

この記事を書いた人
こころ

2015年8月に適応障害の診断を受け、2019年2月から1年1か月休職し退職。今は障がい者雇用枠で働いています⭐︎
自分の心理を分析しながら、心の傷を癒していっています(^^)
キリスト教福音宣教会会員として神様の愛を学びながら、自分と他人を愛せるように頑張っています☆
ディズニー大好きで、特にベイマックスが大好き!(●ー●)
ディズニーのアトラクションは、ベイマックスのハッピーライドが1番好きです!
(詳細については↑の「”こころ”」をクリック☆)

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