周りの目、世間体

仕事での経緯

7月ももう後半。

早ーっ。あっという間に過ぎて行く時。

 

こころは第一回目の繁忙期にさしかかってきて

毎日仕事に追われています(T_T)

 

1番きついのは、礼拝に出られないこと。

べつに出なくても怒られるものではないし

そもそも強制的なものではないので

出ないから誰かに何かされるとかは全くないですけど。

 

霊的にきついm(_ _)m

例えるなら結婚ホヤホヤで愛が熱く燃えてるのに

そんな時に大好きな新郎に会えない。

そんな絶望感に襲われます。霊的に。

 

誤解のないように書くと

仕事好きという子も摂理には多いし、

実際私以外にも主日に働いてる人、

ものすごい激務の会社に勤めている人、

たくさんいます。

 

摂理のメンバーが皆、仕事に対して私のように苦しみを覚えているわけではないです。

(多かれ少なかれ、もしくは肉が気づいてないだけで、その人の霊はもがいてるかもですが(ー ー;))

 

けれど自分は。

と、思ってしまう。

 

比較的、霊の思いに敏感なこころは

いつも自分の霊に引っ張り回されて肉が苦しくなることが多いですw

 

このままこんなに仕事に没頭して生活しなきゃいけないのかと

暗い心で水曜夜の礼拝に行った時。

神様が、普段なかなか会えないメンバーと会って対話できるようにしてくださいました。

 

適応障害が1番酷かった時に、ものすごくお世話になった方で、私の性質をよくご存知の方でした。

今の思い、仕事の状況を話すとあっさり

「転職してもいいんじゃない?」と。

「でも今年いっぱいは仕事的にできないんです」と伝えると

「法律上は2週間前に出せば退職できるんだよ。

今年いっぱいまで、というのは、会社で良い人だと思われたい思いからきているのかも」

という感じの答えをくださいました。

 

良い人だと思われたい

この言葉が答えでした。

 

「私は良い子です。言うことちゃんと聞くから攻撃しないでください」。

これがこころの基本スタンス。

いつも心の根底にあるもの、信念。

 

この信念を壊してなかったことを

対話する中で気づきました。

 

良い子、良い人だと思われたい。

それによって安心感と居場所を確保しようとする

私の昔の生き方が、私自身を苦しめていたことを悟るようになりました。

 

人からどう思われるか」。

これが私の人生の中で大きな問題でした。

 

<神様の天地創造の目的の御心>は何か。

<三位と主>を絶対に愛し、「その前で愛の対象体、新婦」になって、「その御心通りに生きること」だ。地上では<肉体>を持って「一生」をこのように生き、それによって<霊魂>が天の国に行ってもこのように生きるようになる。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

 

人生の目的、自分が造られた目的を学んでいながらも

その御言葉を私はまだ自分のものにできていない。

 

目的どおりに生きたいから苦しいし、辛いんだ。

 

やはり御言葉で、全ての問題が解けるということを実感しました。

 

<神様の愛の御心>があるのに「自分の意向」を実践したら、希望がない。

<神様と聖霊様と主の御心>を実践してこそ、美しく神秘的で雄大で、毎日喜びと希望だ。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

 

今はもう過去の生き方を捨てていいのに。

希望は目の前にあるのに。

 

今の課題は、自分の主観から抜け出すこと。

 

自分の主観を捨てて、周りにどう見られるか、そればかり気にして

周りに合わせて生きる時じゃない。

 

自分は自分。

誰のための人生なのか。自分のための人生だから。

 

神様の御心どおりに生きて、最高に後悔がない生を生きたい。

 

改めて、そう願う今日この頃でした。