人を詳しく見なければあまり希望がないように見えます。<長所>がなければどうですか?失望するようになります。必ず「長所」を見つけ出してはじめて失望しません。
<長所>を見つけたら、もっと貴重に使うことができます。
反面<解決するのが難しい、極的な短所>も必ずあります。こればかりを見たら失望するようになります。 しかし、失望しないで、<時代の御言葉>を土台にして「果敢につくらなければ」なりません。 つくっておけば、本当に貴重な人になります。
鄭明析牧師の御言葉より抜粋
今週宣布された御言葉、「長所短所」。
核心は、「短所は直して使い、長所はもっと開発して輝かしく使いなさい。
極的な短所を直してこそ、極的な長所が一層輝いて貴重に使われる」ということ。
私はこの御言葉を聞いて、一気に調子が悪くなりました。
というのも、一番直すべき短所と向き合うのがしんどかったからです。
私の極的な短所の一つは、「自分を愛せない、自分を恨み憎んでしまうこと」だと思っています。
ちょうど前回のカウセリングで、「自分のことを愛せない。自己肯定感が低い」という話をしたくらいです。
カウセリングの先生からは、色々お話あったのですが、「毎日鏡の前でにっこり笑って”I’m OK!”と言おう」という課題が出されました。
けど、めちゃくちゃ抵抗感があってあんまり実践できていません。
「OKって、何がOKなの?」って疑問を持ってしまって、全然OKできないんですよね(;^_^A
しかしこれではまずいと思い、自己肯定感が低いことについて、深くお祈りしました。
それで一つ、気づいたことがありました。
それが何だったかというと、
「あぁ、自分は自分を好きになるのが嫌だし、楽だからこのままでいたいという思いが強いんだなぁ」
ということでした。
人間が変わるのって大変じゃないですか。
だから、このままでいい、変わりたくない、自分のことを好きになりたくない、こんな自分のことなんて絶対好きになりたくない。
そういう思いが、「変わりたい」という思いよりずーっっと強いことがわかったのです。
でも、自己肯定感が低いと、生きていくのが大変です。
何をやっても自分のことを認められないし、褒められないし、満足感がありません。
誰かが認めてくれるのを待つようになるから、かなり心がしんどいです。
ちょっとしたことを言われただけで、心が折れそうになります。
人に認められないと、とっても落ち込みます。
誰かに愛されても、「こんな自分のことを本当に愛するのか?」と疑って、相手の愛を信じることが難しいです。
嫌われるのを恐れるようになって、人と距離を持とうとして、結局、孤独になります。
心が氷のようで、褒められても素直に受け取ることが難しいです。
自分が何かにおいて一番でいないと、周りから期待されなくなって孤独になるんじゃないかと、常に不安になります。
生きている意味、存在している意味が分からなくなります。
自分のことが憎いから、何をやっても憎しみばかりがこみあげてきて、苦しくなります。
下手をすると、私のように適応障害になったり、鬱病など、様々な精神疾患につながります。
あげたらきりがありません。
短所だらけです。
「変わりたい」と思うのは苦しいから。生き辛いから。
でも、自分を愛するのは本当に難しい。
このままじゃ生き苦しいままだと分かっているけど、変わりたくない。
心がごちゃごちゃして、涙が出そう。
人は自分の足りなさを知ることが知恵であり、 完全さに向かって行く道だ。 だからいつも足りないと思いながら行う人は知恵者であり、 いつも次元を変えることができる人になれる。 しかし足りなさを知ることと 自分をとがめて、考えで自分を攻撃することは完全に違う。 裂いて考えなさい。
自分自身を最後まで信じてあげ、愛してあげず、 自ら認めてあげない人は 人としきりに比較するから結局倒れる。 生活がなかなか矯正できなくても、自分の心が繰り返し折れても 自分をとがめるのは間違った方法だ。
そのような間違った考えは、あなた自身を傷つける。 考えの傷を持っていると、人を愛することも難しいし、 他の人が来て、ある行為を矯正してくれたり 間違いを指摘したりすると、落胆してすぐに折れてしまう。 また、自らがその傷によって、 サタンに「お前は絶対に駄目だ」とひそかにささやかれるとき 信仰が折れる場合もある。
生があなたの考えどおりに、 あなたの「理想」どおりにならないときもあるし、難しいときもある。 しかし最後まであなた自身を信じてあげ、コーチしてあげ、矯正しなさい。 そうしてこそ、実を結ぶ。 足りなさは知るべきだが、その足りなさを憎んではいけない。 あなたの心によって、主の愛が歪曲(わいきょく)して見える。
鄭明析牧師の御言葉より抜粋
苦しいけど、神様は私を諦めない。良い道に行けるように導き続けてくださる。
支えてくれる存在がいるから、また頑張ろうかなと、止まりかけていた足を一歩、踏み出すことができます。
主と共に最後まで。神様の手をつかみながら、少しずつ、自己肯定感を上げていきたいです。
まずは課題を真面目にやります…( ;∀;)