希望があるから頑張れる

闘病の経緯

こんにちは(*^^)v

 

 

先日心療内科に通院した時、「認知行動療法」を今後受けて行くことになりました。

※リンクは外部サイトへ飛びます。

 

 

数年前、初めて適応障害が発覚した時にも受けたものです。

これかなり効いて、大分良くなった経験があります。

 

 

 

半年以上通院して、休職して4か月目に入るこのタイミングで、また医師に「認知行動療法」を勧められたのは、天の御働きをとても感じました(;’∀’)

 

 

 

というのも最近、聖霊様をたくさん呼んでいたんですよね。

 

 

あるお姉さんと電話で話す中で、「自分の考えの癖をなかなか変えられない」という相談をしたら、「ごちゃごちゃ複雑に考えず、聖霊様を呼んで、天に委ねてみたらどうかな?」という感じのアドバイスをいただき

説教の中でも「聖霊様を呼びなさい」という御言葉はたくさん出てくるので、「やってみよう」と思ったからです(*^-^*)

 

そしてもっぱら実践中。とてもよく忘れてしまいますが( ;∀;)

 

 

 

聖霊様ってとても優しくて、温かいお母さんのような神様だそうです。

 

 

 

確かに呼べば呼ぶほど助けてくださり、応えてくださっているのを日々感じます。

 

 

 

今回の治療の方針についても、「聖霊様を呼んで『治してください』とたくさん言っていたから、このように導いてくださったんだな」というのを強く感じました。

 

 

 

カウセリングはずっと受けていたものの、実はちょっとだけ不満は感じてはいたんですよね(;^_^A

 

話は聞いてくださるけど、根本の考えの元凶の追求とかまでには毎回行かなかったからです。

 

 

以前通っていた別のカウセリングというか心療内科では、幼い頃の家庭環境とか、学校での嫌なこととか、根掘り葉掘りえぐいほど掘り出されていたのでw

 

 

 

当時はきつかったけど、今思うとあのひと時があったからこそ、幼少期のトラウマとか分かって、自分の色んな考えの元となっている気持ちと向き合えるようになったんだと思います。

 

 

 

今の病院のカウセリングは、とりあえず目の前の問題を話してアドバイスいただいて…みたいな感じで、正直もっとトラウマ治療とかしたいと思ってたので、この流れは感謝だなぁと思いました。

 

 

 

 

しかし。

最近はまた自分としっかり向き合わなきゃいけない時期みたいで、しんどいっす。

 

 

 

それでも「治りたい」とか「もっとありのままの自分をさらけ出しながら生きたい」とか、<変わりたい願望>はめちゃくちゃ強いので、なんとか頑張ろうって気にはなっています。

 

 

 

もちろん諦めてしまいたい気持ちもあります。

 

「このまま生き辛さを抱えて生きてやろうか」

「自分のこと嫌いで何が悪いの?このままじゃダメなの?」

という思いを抱いている一面もあります。

 

 

 

けど、どうしても「今の自分から抜け出したい」「変わりたい」という願望の方が勝るんですよね。

 

 

 

「どうしてそこまで変わりたいんだろう?」って考えた時、答えはすぐに見つかりました。

 

 

 

それは、「自分が変われるんだ」ということを学んだからです。

つまり、希望があるからです。

 

 

 

「先生はよくできる」と言うのですが、そう言うたびに、口が重い私でも一言言いたくなります。ただで持って生まれてうまくできたものは一つもありません。

 

10 代、20代初めまでうまくできることがありませんでした。それで、他の人ばかり見上げていました。長男、2番目の兄もうまい。

けれども、私は何も上手にできることがありませんでした。落胆しました。失望しました。

どうやって生きていくのだろう?うまくできることもないのだけれども。」得意なことが一つもありませんでした。

 

できないという意味では得意なことがありました。話すことが本当によく話せませんでした。恥ずかしくてうまく話せませんでした。

言い間違うことが多いし、それで話したら、「あなたの言うことがよく分からない。しゃべらないで手話でやりなさい」と言われるくらいでした。それくらい、うまくできることはありませんでした

 

勉強、小学生の時、5番以内に入ったら「よくできる」と言われるでしょう。しかし、私には高嶺の花でした。頑張って30番、頑張って4年生か5年生の時に一度1番になったこともあります。

でも、1番になっても特別なこともありませんでした。その時から人生の哲学を勉強しました。「いい暮らしをして、いいものを食べて何になるのだ?1番になって何になるのだ?1番になったら何をするのかと言ったら、『褒められる、賞をもらう。』それをもらって何になるのか?一日働いてノートを買えばいいのだ。」そういうふうに考えるようになりました。

そういう時から人生について、哲学について考えました。

「なぜ食べるのか、なぜ生きるのか?」小学生の時からそういうことを考えました。

 

だから、得意なことが一つもなくて、自分に対してがっかりしていました。みなさんも考えてみてください。何も、宗教的にも信仰的にも、この世的にもスポーツも何もうまくできることはありませんでした。

小学生の時にも得意なことはなかったです。他のうまくできる人を見上げていました。

 

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

 

上記は、毎週御言葉を伝えてくださる牧師先生の体験談です。

 

今となっては、その気になれば5時間とか10時間とか平気で御言葉を伝えられる方で、話もとてもユニークで面白いです。

けど、過去はそうではなかったと赤裸々に話してくださったことがありました。

というか結構、頻繁に話してくださいます(笑)。

 

 

 

毎回の説教で笑かしてくださり、本当に話が面白くて上手な方なので、過去の話を聞くと「うそでしょ!?」と言いたくなります。

でも本人が「そうだった」というからそんなんでしょうね。

 

 

話し方をものすごい努力して研究したり、木に向かって話す練習をしたりして、うまく話せるように自分を作ったそうです。

 

 

 

牧師先生はいつもご自身の話をされながら、「あなたたちもこれと同じくこうだよ」と話してくださいます。

 

 

 

どういうことかというと、「あなたも御言葉を聞いて一生懸命努力したら変われるよ。なりたい自分に変化できるよ」ということを教えてくださいます。

 

 

 

言葉だけだったら信ぴょう性ないですが、先生はとにかく実践される方。

「自分がやってきてできたからあなたたちもできるよ」と励ましてくださるし、行ないでお手本を見せてくださるから、「私もあのようになりたい!」って、勇気をもらいます。

 

 

 

あぁ、私もあのように変わりたい。嫌な自分から抜け出すには、自分を理想の自分に<作ること>なんだな」と学びます。

 

 

 

その姿が希望になって、力になるから、私は頑張れるんだなと

最近の説教を聞きながら、改めて思いました。

 

 

 

いよいよ次回の通院から「認知行動療法」が始まります。

ドキドキしますが、希望を胸に頑張ります(‘ω’)

 

 

 

 

以下はご参考までに…

行動心理学の世界には、「レファレント・パーソン論」というものがあるそうです。

人間は、「尊敬するあの人だったら、どうやって行動するかな?」というふうに、重要な判断を下す時、尊敬している人の在り方や価値観、生き方を参考にするという理論です。

単なる「メンター」や「ロールモデル」とはまた違います。

 

 

 

今回、記事を書いてて私自身が、「モデル」的な存在って結構重要だと実感しました(;^_^A

迷った時、どうしたらいいかって参考にできる存在があるって大きいですよね。

 

 

 

「レファレント・パーソン」、まだ見つかっていない方は、ぜひ探してみてはいかがでしょうか?☆

この記事を書いた人
こころ

2015年8月に適応障害の診断を受け、2019年2月から1年1か月休職し退職。今は障がい者雇用枠で働いています⭐︎
自分の心理を分析しながら、心の傷を癒していっています(^^)
キリスト教福音宣教会会員として神様の愛を学びながら、自分と他人を愛せるように頑張っています☆
ディズニー大好きで、特にベイマックスが大好き!(●ー●)
ディズニーのアトラクションは、ベイマックスのハッピーライドが1番好きです!
(詳細については↑の「”こころ”」をクリック☆)

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