最近、向き合わなきゃいけないことを神様が教えてくださいました。
「清く瑕(きず)なくしなさい」という御言葉が宣布された週に、改めて向き合うようになった部分。
それは、「周りの人はみんな敵、みんな自分を害する存在」だと認識している部分です。
今回はこの心理について考察してみたいと思います。
※すべてこころの独断と偏見による分析なので、「へーほー」と軽く読んでください。
心療内科の先生に言われた言葉「孤島を作ってそこに住んでいる」
今は違う病院に通っているのですが、以前通っていた心療内科の先生に言われた言葉がとても印象的で、未だに心に残っています。
「あなたは、人を信用しないんだね。
周りの人はみんな敵、みんな自分を害したり傷つけたりしてくると思っている。
それで、一人で孤島を作ってそこに住んでいる」
絵にするとこんな感じ?
その心療内科の先生は少しスピリチュアルな方で、人の心の状態が脳に浮かんで見えるらしいです。
初めてその先生に出会った時に、ズバッと言い当てられてとてもびっくりしました。
自分の中でうまく言語化できていなかったけど、先生の言葉を聞いてしっくりきました。
そう、私は人が怖い。いつからなんて覚えていません。
気づいたら、いつも誰かが自分を傷つけるんじゃないか、害されるんじゃないか、いじめられるんじゃないか、怒られるんじゃないか、そんなことばかり考えるようになっていました。
人を恐れるようになった原因
小さい頃の家庭環境
私の家は父、母、姉、私の4人家族です。
姉は私と正反対で、はっきりと物を言う性格で、嫌なものは絶対やらない。
親の言うことには反発する。そんな感じの人でした。
父はアダルトチルドレンで、若干アルコール依存症なところもあります。
小さい頃に親からあれこれよくしてもらえなかったのでしょう、父は私や姉に「(冷蔵庫から)ビール持ってこい」と毎日言いました。
もちろん姉は持ってこない。
なので矛先が私に向いて、「早くしろ」とか「優しく言ってるうちにやれ」とか、脅してくるんです。
小さいながらに「どうして姉はOKなのに、私だけ言うこと聞かなきゃいけないの?」「やりたくないのに分かってくれない」「私は召使じゃない」とか色々感じました。
また、父は気分が良い時と悪い時の差がものすごく激しかったので、父が仕事から帰って来る時間は毎日怖かったです。
「今日は機嫌良いかな?悪いかな?悪かったらどうしよう」
そんな風に毎日びくびくしていました。
父の顔色を伺い、機嫌の良し悪しを気にしなければならない、そんな環境で育ったため、私はものすごく人の顔色を伺うようになりました。
「人の言う通りにしないと痛い目に遭わされる」
「いうこと聞かないと見捨てられる、独りぼっちになっちゃう」
そのような恐怖心もこの時期に植えついたんじゃないかなと思っています。
母は基本優しかったですが、裏表のある人でした。
表ではニコニコ笑ってるのに、家に帰るとその人の文句や悪口をたくさん言っていました。
「どっちが本音なんだろう?どっちが本当のお母さんなんだろう?」と、幼いながらにとても混乱したのを覚えています。
「人は表ではニコニコして良いこと言っても、裏で何言ってるか分からない」
人間不信になり始めた最初のきっかけは、母だったのかなぁと思います。
中学での陰口事件
他にも小学生の時のいじめとか色々ありましたが、私が人間不信になった決定的な出来事がありました。
あれは忘れもしない中3の夏、修学旅行に行った時の話です。
私のクラスには、いつも仲良しで一緒にいるAちゃんとBちゃんがいました。
私はBちゃんと同じ部屋になり、夜みんなで布団に寝っ転がりながら話していた時のことです。
突然、BちゃんがAちゃんの悪口を言い始めたのです。
私はとても衝撃を受けました。
「え、なんで?いつも一緒にいるじゃん!嫌なら一緒にいなきゃいいじゃん!!( ゚Д゚)」
私は嫌いな奴からは絶対に離れて避けるタイプだったので、余計に衝撃的でした。
その時、自分の中で結論を出しました。
「人間って裏で何言ってるのか分からない、何考えているのか分からない。
人は信用しちゃいけない」
こうして人間不信が出来上がったのでした。
「人が怖い」の根底にある心
原因は大体察しが付いたものの、「人が怖い」という心の奥にまだ何かある気がして、お祈りをしました。
お祈りすると、自分とは違う考えが雷に打たれたようにビリっと来たり、ポーンと思い浮かんだりすることで答えが来ます。
この時思い浮かんだのは、「結局、傷つくのが怖いんだ」ということでした。
HSPだからこそ、痛みにも敏感なんですよね。
※HSPって何?と言う方はこちらの記事をご参照ください。
繊細だから<人一倍傷つきやすい>し、<他の人に比べてより痛みを強く感じやすい>んだと思います。
「人が怖い。何言われるか分からない。否定されたらどうしよう」
その心の根底には<傷つきたくない>という思いが強くあるんだなと思いました。
でもこれって、人間にとっては当たり前の反応ですよね。
傷つきたいなんて人はいないだろうし、痛いのはみんな嫌だと思います。
私の場合は上記+「見捨てられるのが怖い」も含まれているみたいです。
今まで、安心できる場所がなかったからです。
(これについてはまた別途記事を書こうと思います…)
ある意味当たり前の反応をしているだけだから、「これ治す必要あるのか?」っていうのが正直な感想です。
治すというか、それ以前に「人は怖い。他人はみんな自分を傷つける。害する」というのが「事実」として脳に刻まれているから、「え?事実じゃん。この認識間違ってなくない?」くらいの勢いです。
でもそれは神様から見たら「治すべき部分」みたいです。
何をなおさなければいけないのか
「人間は怖い。みんな敵。みんな私を害する」という信念について祈った時、ある御言葉が思い浮かびました。
鄭明析(チョンミョンソク)牧師が御言葉を宣べ伝え始める時、神様から以下のようなコーチを受けたそうです。
-「サタン」と「サタンに使われる人」を析〔さ〕いて(分けて)扱うことだ。
「人」を憎まないで、「サタン」を憎みなさい。
「人」が言うことを聞かず悪評するからといって、表面だけ見て、悪で接してはいけない。悪で接するな。
- 福音を伝えると、「サタン」が「人」を通して、決死の妨害をする。
必ずこれを分かって、祈り、あなたは必ず<愛>で接しなさい。
鄭明析牧師の御言葉より抜粋
「サタン」というのは、簡単に言うと「悪い霊」です。
聖書に出て来る悪霊で、神様の歴史を何度も妨害してきた奴です。
彼は、悪魔でありサタンである龍、すなわち、かの年を経たへびを捕えて千年の間つなぎおき、
黙示録20:2
次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて 言った、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。
マタイによる福音書4:8-10
この一きれの食物を受けるやいなや、サタンがユダにはいった。そこでイエスは彼に言われた、「しようとしていることを、今すぐするがよい」。
ヨハネによる福音書13:27
サタンは「霊」の存在なので、地上で何か悪さをしようという時は、人間の体を使います。
鄭明析牧師が御言葉を伝えると、サタンが人を使って邪魔してくる。
だけど、それは根本的には「サタン」がしていることであって、「その体として使われている人」がしていることじゃないから、人間を憎んではいけないというのが、神様のコーチだったそうです。
お祈りしていた時、この御言葉が思い出されて、とてもハッとしました。
「鄭明析牧師が受けたコーチの通り、私も人間を憎んだり、敵だと思ってはいけないんだな。
誰かが私に傷つける言葉を言ってきたとしても、その人ではなく、その後ろにいるサタンを憎むべきなんだな」
と考えるようになりました。
イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである。
第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。
マタイによる福音書22:37-40
しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。
マタイによる福音書5:44
聖書にも書いてありますね。
鄭明析牧師は、聖書の御言葉+神様からコーチを受けた通り、絶対に自分のことを悪く言う「人」を憎まないで、「サタンがやっていることだ」と考えてこられたそうです。
「人」を敵だと思ったり、自分に害を与えて来たりする、と思うのは間違っているんだなぁとお祈りする中で考えを改めました。
結構根深い信念っぽいので、まだまだ難しいけど、カウセリングもうまく利用しながら、少しずつ認識を正していきたいです。