人間誰にでも得意なことがあれば、苦手なこともありますよね。
神様を信じて生活することにおいても同じです。
祈り、伝道、御言葉を伝えること、兄弟によくすること、関心を持ってあげること…等、信仰生活においてやることはいろいろあります。
私は祈りが1番好き。御言葉を伝えることも大好き。
ですが、実は讃美はとても苦手意識があります。
※「讃美」という言葉には色んな意味がありますが、今回の記事では「讃美曲を歌うこと」という意味で使います。
そんな私が讃美の条件を40日経てたら面白いことが起こったので、暴露します。
そもそも讃美って何ぞや
「讃美」というのは、簡単に言えば神様を褒めたたえることです。
讃美で有名な人物といえば、旧約聖書に出て来るダビデですね。
常に讃美してるみたいな、全身全霊でいつも讃美して「神様I love youー!!」って叫んでた方です。
聖歌隊の指揮者によってムツラベンのしらべにあわせてうたわせたダビデの歌
詩編9:1-2
わたしは心をつくして主に感謝し、
あなたのくすしきみわざを
ことごとく宣べ伝えます。
いと高き者よ、あなたによって
わたしは喜びかつ楽しみ、
あなたの名をほめ歌います。
主はわが力、わが盾。
詩編28:7
わたしの心は主に寄り頼む。
わたしは助けを得たので、わたしの心は大いに喜び、
歌をもって主をほめたたえる。
挙げたらきりがないのでこの辺にしておきますが、旧約聖書の詩編を読むとダビデが楽器を用いながら讃美しまくっている様子が描かれています。
神様を信じている人たちは、4000年前から神様に感謝と愛を告白する讃美歌をたくさん歌ってきました。
キリスト教福音宣教会でも、礼拝前とか礼拝以外で御言葉を聞く前とか、気分が高まった時とか色々、神様に讃美歌を捧げる機会が多いです。
しかし。
私はこの讃美を捧げる(歌う)というのが苦手で、正直嫌でした。
讃美が苦手な理由
讃美が苦手な理由は2つあります。
①元々歌うのが好きじゃない
致命的。元々歌うのが好きじゃないんです。音痴なので(-_-;)
カラオケは人生で3回くらいしか行ったことない気がします。
うち1回はMTGの部屋として使っただけなので、歌ってないw
合唱コンクールとか音楽の時間マジで大っ嫌いで苦痛でしかなかった人です。
自分の歌声を他の人に聞かれるのが本当に苦痛です。
でも会員は大体みんなこう言うんです。
「讃美はただ神様に捧げるものだから、人を意識しないでいいんだよ~!」
うん、まぁそうなんだけど。
「でも私音痴なので…」って言うと大体こう返って来る。
「神様は心を見られるから上手い下手関係なく、喜んで受け取ってくださるんだよ」
うん、まぁそうでしょうけど。
会員のお姉さんのキラキラ笑顔を見ると、「元々歌うのが好きじゃないし、更に自分の下手な声を聞くのが嫌なんです」とは言えなかったあの頃が懐かしいです。
踊るならいいんです。喜んでやります。でも「歌う」となるとどうしても苦手意識がありました。
続いて2つ目です。
②じっと座っているとムズムズする
①はまだ仲間がいると信じているのですが、これは他にもいるのか?というちょっと変わった理由です。
「ダンスが好き!踊りたい!」というタイプだからか、
じっと座って歌っているだけというのがなんかできないんです。
会員あるあるですが、讃美している時って大体みんな横に体や首を揺らしてノリノリで歌っていて、自分もそのタイプではありますが。要は、どのみちじっとしてはいない(笑)。
でも、じっと座って歌うだけってなんかムズムズする。
動きたくなって心の中で「ああああああ」ってなります。
キリスト教福音宣教会で歌う讃美歌には、創始者の鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師を始め、会員が作詞作曲したオリジナル曲がたくさんあります。
基本そういった曲を礼拝前とかに歌うんですが、中にはヒップホップ系や激し目の曲もあり、そういう系統には大概ダンス(振付)がついています。
そういうのはいいんですよ。踊るの好きなので、楽しくて。
席で可能な限り踊るんで。
でも、振付がない曲の方がはるかに多くて、私は踊れない曲をじっと座って歌うというのがとにかく苦手でした。
じっくり歌うという習慣がないからかもしれない。
子どもの時はじっとしれいられなくて、ずっと走り回っているような子だったので、その名残というか…マグロ的な、動いてなきゃ死んじゃうみたいな体質なのかもしれない。
原因はよく分かりません。
でもじっとしてただ歌うというのがなんかモヤモヤして「うぁぁぁぁぁぁぁ」ってなるんです。
説明下手で申し訳ないですが(;^_^A
伝わるかなこれ(笑)。
そんなこんなで、とにかく讃美を捧げるというのが苦手なんです。
讃美の条件を立てるようになった経緯
そんな私が先月から40日間毎日讃美を捧げる条件を立てるようになりました。
きっかけは、韓国のとある牧師から聞いた証でした。
先月、何人かでその牧師を迎えて証を聞く時間がありました。もちろんオンラインで繋いでです。
その方が面倒見ている子で、教会に来れたり来なかったり、少し信仰がふらふらしてしまっている子がいたみたいで、その子に讃美を1日10曲捧げる条件を40日立てようと言って、一緒に讃美の条件を立てたそうです。
そしたらその子の信仰がどんどん良くなり、驚くほど激変したとか!
牧師自身も、讃美には限界を超える力があるんだということを悟ったそうで、証をしてくださいました。
その証を聞いて、自分を変化させることに限界を感じていた私は「讃美ってそんなにすごいんだ!」と感銘を受けて、「讃美の条件やってみよう」と考えるようになりました。
そして、その激変したという子の条件を真似て、「1日に10曲を40日間」という条件を立て始めました。
40日後に起こったこと
私が讃美の条件を立てただけでも奇跡ですが、終わった後も色々しるしがありました。
正確には、終わった後というか「40日目」に起こりました。
プレゼントをもらった
まず、別々の友達2人から急にディズニーへのお誘いの連絡が来て、家庭局からも「子どもと一緒に行ってあげてほしい」という連絡が来て、ディズニーに行く予定が急に3回入りました。
コロナが落ち着いてきたというタイミングというのももちろんあると思いますが、私は神様を感じるしかありませんでした(笑)。
こんなこと滅多にないので(;^_^A
ちなみに38日目にも他の友達と電話していて、「ディズニー行きたい」って話になったので、5週間くらいの間に4回行くことになるかも(笑)。
チケット取れないんだけどね!!!!(^^)!
愛が返ってきた
もう一つしるしだなと思ったのは、御言葉でした。
40日目がちょうど水曜日で、夜に礼拝がある日だったのでワクワクはしていたのですが、期待通りに神様との愛の次元を上げるために必要な御言葉を伝えてくださいました。
聖書には「初めの愛」から離れてはいけないという聖句があります。
しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、悔い改めて初めのわざを行いなさい。もし、そうしないで悔い改めなければ、わたしはあなたのところにきて、あなたの燭台をその場所から取りのけよう。
ヨハネの黙示録2:4-5
この聖句を基に、「初めの愛」と「初めの行ない」を取り戻しなさいという御言葉が、40日目に伝えられたのです。
この時代にも神様は「易しい言葉」で「<創造目的を成した人たち>が<初め>は『初めの愛の火』がついて神様と主を喜んで、仕え、愛して熱心に走ったが、<後>では『その愛』が冷めた。あなたの<初めの愛>を忘れるな。どこで忘れたか悟って、悔い改めて<初めの行ない>を取り戻しなさい」と話されました。
鄭明析牧師の御言葉より抜粋
「初めの行ない」という言葉を聞いて、昼間に見た万物啓示を思い出しました。
何を見たかというと、鳥の死体でした。
最初よく分からなくて、フランクフルトが落ちてるのかと思いました。
なんだか無性に気になってよく見たら、鳥が眠ったように死んでいたのです…。
「これどういう意味のメッセージだろう?」と思って、夜に聞いた御言葉を参考にしつつ祈ったら、すぐに答えが来ました。
「私にとっての『初めの行ない』が死んでいたんだ。
それを取り戻したら、神様との愛の次元が上がるんだ」
そう悟って、本当にこの御言葉が、40日間の条件に対する神様からのプレゼントだと感じました。
讃美すると言っても、歩きながらとか何か作業しながら捧げてばかりだったので、「こんなんじゃ条件立てても意味なんじゃないか」ってずーっと葛藤していました。
それでも、苦手な分野の条件を立てたことに対して、神様はその「やろうとする心」や「愛」を受け取ってくださって、お返しに愛をもっと深めるための御言葉をくださったのかなと思っています。
感謝( ;∀;)
神様は寛大で雄大な方であると、心から告白します。
続けてまた40日、条件を立てます!
今回も諦めずに最後まで頑張ります\(^o^)/