年末年始でアメリカに行って、大好きな推したちに会えた喜びでしばらく元気に生きていました。
けど、仕事が忙しくなったり実家でもいろいろあり、1月後半からしばらく心身ともに不調が続きました。
何をしても疲れが取れず、寝ても寝ても眠くて仕事に支障をきたすほどでした。
不調になったときにやると決めたリカバリー方法をあれこれ試しても効果がなく、これ以上どうしたらいいのかと悩んでいました。
カウンセリングに行けば少しは心がスッキリしますが、数日するとやはりまた調子が悪くなり、とても困っていました。
「どうしてこんなにも調子が悪いのだろう」と原因がわからず、あまりにも苦しくて神様にお祈りしました。
そうしたら、肉や精神的な部分が問題ではなく、霊的な部分が原因かもしれないと気づきました。
というのも、仕事だけではなくプライベートでも予定が詰まっていたしやらなければならないことも多くて、ずっと深く祈れていませんでした。
そのことに気づいたのが水曜日だったのですが、その日の水曜礼拝の説教ではっきりと答えを教えてくださいました。
祈れなければ信仰が死ぬだけではなく、その肉も霊も祝福を受けられなくて、貧しい。
祈りは対話だ。祈れなければ神様とも主とも遠くなり、聖霊の交通ができない。祈れなければ信仰をする味がしないし、霊界について無知で肉的な人になる。
祈りは「自分の祈り」がまずできなければならない。自分が罪を犯したことを悔い改めることだ。そのためにはまず罪とは何か、<罪>について学ばなければならない。神様が罪と決めたことが聖書に数千箇所出てくる。
みんな学んで、深く祈りなさい。
鄭明析(チョンミョンソク)牧師の説教より抜粋
この説教を聞いて「祈り」と「悔い改め」が足りていなかった、だから何をやっても調子が戻らなかったのだなと悟って、早速次の日の明け方、悔い改めてしっかりと集中して祈りました。
そうしたら、今まで何だったんだ?というくらい、疲れが取れ心も元気になりました。
やはり霊的な部分が原因だったようです。
信じられないと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、人間には肉だけではなく、魂(心・考え)と霊という存在がいます。
聖書にも書いてあります。
どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。
テサロニケ人への第一の手紙5章23節
これは使途パウロがテサロニケにいる人たちに送った手紙の締めの部分です。
現代の私たちも手紙の最後に「お体ご自愛ください」など相手の健康を願う一言を入れるかと思います。
ここはそれと同じニュアンスですが、「霊と心とからだ」と書かれています。
つまり人間には霊、心(魂)、からだ(肉体)があって、その三つすべてにおいて健康でありますように、とパウロはいっています。
この三つはつながっていて、どこかで不調が生じれば、影響を受けて他のところも不調になります。
例えば、心の元気がないと体は健康で問題なくてもやる気が出なかったり、動けなかったりしますよね。
心は見えなくても、体に影響を及ぼします。霊も同じです。
だからこそ調子が悪いなと感じるときは、自分の霊魂肉どこに不調の原因があるかを正しく知ることが大切です。
例えば、歯が痛いのに心療内科に行っても仕方がありませんよね。
歯医者に行けとしかいえません。
痛いところを正確に把握してこそ、治療も正確にできるし早く治ります。
人間の霊魂肉も同じです。
単純に肉体が疲れているなら肉体が休めばいいし、心が疲れていたらストレスや負の感情を吹き飛ばせることをすれば復活します。
同じように、祈りが足りない!といって霊の元気がなければ祈れば復活するし、讃美をしたら復活します。
原因に対し適切に対処すればいいだけで、そのためにも原因を正しく把握することが重要です。
偉そうに書いてしまいましたが、
私自身がこのことを忘れていました(どーん)。
忘れたら死にます、はい。
もう忘れないようにと願いを込めつつ、備忘録を兼ねて記事にしました。
肉的にも精神的にも何をしても元気になれない!というときは、霊の元気がないのかもしれないと思って探ってみるといいかもしれません。
霊魂肉、いつも健康に過ごしたいですね。