自分の親が毒親だと認めたくなかった

闘病の経緯

私は「毒親」という単語をSNSで初めて知りました。

最初は「そんな親がいるのか」と他人事のように考えていました。

けど調べれば調べるほど、自分の親にも通じる部分が見つかりました。

「もしかして自分の親も毒親なのか?」と疑問を持ちました。

けど「私の親は毒親とまでは言えないだろう、いい親だもの」と否定し続けていました。

それでも、あるきっかけで毒親に関する本を読んでいたらやはり通じる部分が多くて、だんだん認めざるを得なくなってきました。

今思うと、外的な面と内的な面を裂くことができていなかったのだなと思います。

外的な面というのは、例えば私の両親はDVや虐待はしなかったし、小中高はもちろん、奨学金なしで大学だけではなく大学院まで行かせてくれたし、留学も行かせてくれました。

基本的に自由にやりたいことをやらせてくれました。

母は基本的に専業主婦だった時間が長く、だいだい家にいてくれました。

食べさせてくれたし、養ってくれたし、私がうつ病になって倒れたときもたくさん支えてくれました。

そういう肉体が生きるために必要な諸々の環境は最高によく整えてくれて、親としての役割をとてもよく果たしてくれたと思っています。

私自身、とても感謝しています。特に自分が社会に出て働き始めてから、そして実家を出て一人暮らしを始めてからは、より一層両親のありがたみを感じています( ;∀;)

だから、自分の親は間違いなく「よい親」だと信じて疑わなかったのです。

外的には最高の親だと思います。

けど内的な面、つまり精神的な面ではどうだったかというと、どちらかというと問題がある家庭だったようです。

家庭の善し悪しって他と比較しないと自分1人では気づけなくないですか?(;^_^A

「こういうものだ」と思ってしまうといいますか、「これが普通だ」と思いがちなのかなと思います。

私自身、友達に「うちはこういう感じだった」と話すと驚かれたり、「それやばいよ!」と言われたりして初めて気づくことが多かったです。

特に精神的な面で家庭環境がやばかったということをこの年になって気づき始めました。

最初にいっておくと、決して両親を非難したくて話すわけではありません。

先述した通り育ててくれて生かしてくれたことにはとても感謝しているし、精神的な面に関しては、親自身も両親(つまり私の祖父母)から正常な愛を受けられなかったから仕方ないと思っています。つまり親も被害者ということです。

私は聖書を学ぶ中で、家庭で生じる愛の問題は、根本的には人間が神様の愛を学ばず知らないことが原因だとわかりました。

なので逆に神様の愛を知らない中で、よくここまで育ててくれたなと両親には感謝しています。

だからこそ、なかなか毒親だと認められなかった部分が大きいです。

ただ、外的な面と内的な面を切り離して考えたときにやっと認めることができたので、他の方の参考になるかもしれないと思いこの記事を書くことにしました。

以上の点をご了承ください。

では、具体的にどのような家庭環境だったのかを紹介しようと思います。

まず、うちの家庭は父親中心で、常に子どもよりも父親が優先されていました。

子どもの感情や都合よりも、父親の機嫌を損ねないことが暗黙の最優先事項でした。

いうて姉は父親に反発しまくって自由にやっていたので、結局私が家庭の中でピースメーカーの役割を果たしていました。

穏便に事を荒立てないようにすることが自分に最も求められる役目でした。

私が「いやだ」と言っても無視されます。

むしろ「優しく言ううちにやれ」と脅されるし、母も「早く(父親の言うとおりに)やりなさい」と子どもではなく父親の味方をする環境でした。

最近になって知ったのですが、父親がかなりアスペルガーの特性に当てはまる部分が多く、もしかしたらそういう面での苦労もあったのかもしれません。

診断されていないので何ともいえないですが。

外食に行っても「これ食え」とメニューを指定されることが多く、「いやだ」というと不機嫌になるので嫌々食べたくもないものを食べることも多かったです。

これは未だに実家に帰るとあります。

とにかく子どもを支配しコントロールしたがるし、子どもの気持ちよりも自分最優先の父親でした。

まさにアダルトチルドレンで中身が子どものまま体だけ大人になってしまった人です。

父親の両親(私の祖父母)が激やばな人たちで、あの親に育てられたらそうなるよなと納得できるので、むしろかわいそうな人です。

子どものころ親に甘えられず、友達や学校も指定され、遊ばせてもらえず、未だに文句ばかり言われ責められ…孫の私ですらドン引きですよ。

神様の愛を学んだらいろいろ楽になるだろうになと思うので、いつか御言葉を伝えたいなと思っています…。

母親も父親が不機嫌になると面倒くさいから父親の味方にまわる人でした。

母親は母親で人の気持ちにあまり共感できないタイプかつ傾聴が下手なので、基本的には自分が話したい話をするし、子どもの気持ちをわかってくれるとかあまりありませんでした。

今振り返ると、むしろ否定されることも多かったなと思います。

文句が多いというかなんというか、説教じみた話が多いといいますか。

本来子どもは感情を表したとき、親が「うれしいんだね」「かなしいね」「怒っているんだね」と言語化することで「この感情は○○っていうんだ」と学んでいくらしいですが、うちはそれはなかったですね。

なので未だに自分の感情には鈍い方だと思います。

今自分がどのような感情なのか、自分でわからないことも多いです。

あとは八方美人で世間体をかなり気にする人で、外と家で言うことが変わるので、子どものころはどっちが本当の母なのかわからなくて混乱することもありました。

私はそういうのを全く気にしないので、今思うと意見が合わなくて衝突していたことも多かったかもしれません(それすら気にしていない)。

何より過保護で、未だに実家に帰って料理を手伝おうとしても、やらせてくれないことが多いです。

「危ないよ」といって包丁を握らせてくれないんです、すごいですよね。

一人暮らし生活ももう長いのに…まぁ、ピーラーや包丁を洗うときとかよく自分の手も一緒に切るのでおっしゃる通りなのですが(-_-;)

自己肯定感の低さの原因―過保護な親」という記事でご紹介したとおり、過保護な親は子どもの自信を失わせるそうです。

自信がないことにつながっていそうですが、自分の意見が言えなくなったり、他の人の正解を基準にしたりする癖もつくそうです。自分を見るとその通りだなと認めるしかありません。

書き出すときりがないので今思いつく範囲で書きましたが、精神的な面でいうと確かに「親としての役割」を果たせていない部分が結構多そうです。

今自分が抱えている思考や価値観の問題の多くは、幼少期の家庭環境から来ているので、問題を問題として認められるようになったことが大きいなと感じます。

問題だと認識してこそ、解こうと思って動けますからね。

裂いて考えることが大事ですね。

両親も、そのまた両親も、神様の愛を正しく学んで知っている人だったら、全然違っただろうなと思います。

今は私は神様の愛を学んでわかったから、本当に精神的にも霊的にも救われました。

未だにトラウマや凝り固まった認識にとらわれて、神様の愛を正しく受け取れないことも多いですが、少しずつ直していこうと思います。

愛情欠如から抜け出したいので努力します!!

この記事を書いた人
こころ

2015年8月に適応障害の診断を受け、2019年2月から1年1か月休職し退職。今は障がい者雇用枠で働いています⭐︎
自分の心理を分析しながら、心の傷を癒していっています(^^)
キリスト教福音宣教会会員として神様の愛を学びながら、自分と他人を愛せるように頑張っています☆
ディズニー大好きで、特にベイマックスが大好き!(●ー●)
ディズニーのアトラクションは、ベイマックスのハッピーライドが1番好きです!
(詳細については↑の「”こころ”」をクリック☆)

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