「がんばらなくていいよ」と自分に声をかけられるようになった

闘病の経緯

完璧主義で白黒思考、べき思考、個人化が強いなど、あらゆる認知の歪みを持っている私ですが、最近自分に「もう十分がんばってきたからがんばらなくていいよ」と言えるようになってきました。

「がんばって生きてきた自分を認められた経緯」に書いたトラブルをきっかけに、過去の自分が過酷な環境かつ逃げ場がない中でがんばって生きてきたことを認められました。

この話の続きで、過去の自分が本当に防衛反応もフル活用してがんばって生き抜いてきたからこそ、最近自分に対して「もうがんばらなくていいよ」と声がけをしています。

「がんばって適応しようとせず逃げていいんだよ。」
「今までがんばって耐えてきたから、もうこれ以上耐えなくていいんだよ。」
「今までたくさん我慢してきた分、もうこれからはやりたいことを自由にやろう!もう我慢しなくていいよ。」

今まで自分に言ってあげられなかった言葉を、少しずつ自分にかけられるようになりました。

お世話になっている牧師さんにもよく「こころちゃんはもっと自己中心になろう」と言われるのですが、それが主の心情なのだろうなと思います。

相手の心に合わせることはもちろん大事ですが、他人を優先しすぎて自分が倒れたら元も子もありません。

誰もハッピーになりません。

「断ったら相手が気分を害して、私への評価が下がるかもしれない」など常にびくびくしていましたが、最近は「神様は本当に私にこれをしてほしいと思っているのか?」を確認し、また自分がやりたいかどうかも大切にしています。

共依存なので「他人の評価が下がったら自分の価値も下がる」と無意識のうちに考えてしまいがちですが、「他人の評価」と「自分の価値」を切り離す努力をしています。

具体的には「他人、特に人間の評価=神様からの評価ではない。やらかして怒られたとしても、神様は私の存在を否定したり価値を下げたりはしない」と意識して考えています。

繰り返し刷り込むことは大事ですね。

他者のためにがんばりすぎて倒れることが多い人生でしたが、だんだんと知恵を得てきました…。

「自分がなんとかしなければ」と背負い込むことが多かったですが、私は普通の人間なので背負いきれないですw

HSPを通り越してエンパスかもしれない、と最近思ったのですが、背負わなくていい(拾わなくていい)情報や他者のさまざまな感情などを徐々に切り落とせるようになりたいです。

時には冷酷だと思っても断る勇気も必要なのだな、と何度も痛い目にあってやっと学びました。

今までは、さまざまなものをプラスしてプラスして背負い込んでいた感じでしたが、最近は手離す方を意識しています。

特に大人に対しては「それは自分で処理しろー」と突き返すことが大事だなと学びました。

だから依存されるのだなと反省しました。

「自分さえ我慢すればいい。」
「自分がきつくても、がんばってやれば済む話だ。」

そのように我慢してたくさんのものを背負ってきた自分を認めたら、「え、もう今まで十分やってきたじゃん。もうこれ以上はよくない?」と素直に思えるようになってきました。

すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。
マタイによる福音書11章28-30節

最近、この聖句の本質をじわじわと感じ始めています。

キリスト教福音宣教会では既に散々自由にやりたいことをやらせていただいていますが、神様が願われる次元でより一層重荷をおろして自分のために生きていきたいです。

私と似た性質がある方、もちろん人に迷惑をかけたり傷つけたりすることはNGですが、やりたいことを一つ一つやってみてほしいです。

我慢していた雑貨やデザートを買ってみるなど、小さいことでいいと思います。

そうやって自分に優しくしてあげて、今までがんばってきた自分を労わってあげてください。

少しずつ、主の前で重荷を下ろせるようにお祈りします。

一緒にがんばりましょう~☆彡

考えが整理されていないまま書いたので読みにくい部分もあったかと思いますが、ここまで読んでくださりありがとうございました!(^^)!

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