「ミッキーの家11時間待ち」
ニュースを見て、一瞬意味がわかりませんでした。
本気で見間違いかと思いました。
こちらの記事で書いたように、
ミッキーの誕生日(=スクリーンデビュー日)90周年×日曜日×クリスマスイベント開催中
3つの要素が重なり起きた奇跡。
オリエンタルランドもミッキーも、さすがに予想外だったでしょうね。
ちなみに「ミッキーの家」というのは
正確には「ミッキーの家とミート・ミッキー」といって
ミッキーのお家の中を見学した後、
映画の撮影中のミッキーに会って、握手したり一緒に写真を撮れるアトラクションです。
つまり並んで待てば確実にミッキーに会える。
そのため殺到したんですね。
でも、さすがに11時間て…
このニュースを見た多くの人は「そこまでして待ちたいか?」と
並ぶ人を怪訝に思うかもしれません。
ええそうです並びますよ。
Kokoroも、もし摂理に出会ってなくて
神様を知らずにミッキーヲタしてたら
99%確実に並びました。
「ミッキーお誕生日おめでとう!」
言いたいですよ。
好きだから。
しかも90周年という記念すべき節目。
ミッキー好きとしては見逃せません。
ミッキー好きなのに何もしないという方が怪訝に思います、正直。
なのでKokoroは並ぶ人の気持ちはとてもよく分かります。理解できます。
今回この記事を書いたのは、
「11時間待ち」という現象だけを見るのではなく
この現象を起こした理由を考えましょうよ
ということをお伝えするためです。
どうして11時間も待つ人が出てくるほど、ミッキー・マウスは人々を魅了するのか?
ここが問題です。
※以下はKokoroなりの見解なので、「へーふーん」と思いながらご覧ください。
元々ディズニーが嫌いだったKokoroがミッキー好きになった経緯を振り返ってみても
(経緯が気になる方はこちら)
根本的なというか大きな理由はたった一つだと思うんです。
それは、愛です。
考えてみてください。
待ちに待った年に一度の自分の誕生日。
「誕生日おめでとう!」とお祝いされたら嬉しいですよね。
でも14時間ぶっ続けで、会う人会う人全員から「誕生日おめでとう!」と言われたらどうですか?
「もういいわ!!( ゚д゚)」
ってなりません?
むしろ
「うるさいわ!!!」
くらいになるかもしれません。
し か も ですよ。
正直、中の人は自分自身の誕生日でもないのに
14時間(開園8~22時)言われ続けるんですよ?
それなのに初めて言われたかのように
「おめでとう」と言われるたびにいちいち喜んで、
「ありがとう」を表現して、嬉しさを表現して、ファンサービスして…。
「やってられっか!!!」
ってなる、Kokoroなら。
精神的な疲労すさまじそう。
でも、そんな姿を見せないのがミッキーです。
人々がミッキーに魅了される理由。
それは、ミッキーの丸っこい感じや
愛らしさや
完璧で何でもできちゃう
と思いきやちょっとドジで抜けているところもあって
かっこよくて、かわいくて
そういう要素ももちろんあると思うのですが
一番の理由はやはり、その寛大さと大きな愛に惹かれてくるんじゃないかと思うのです。
愛は反応だ。
鄭明析牧師の御言葉より抜粋
愛する相手が、自分が何かをしたら
「すごいすごい!かっこいい!」と
喜んでくれて、褒めてくれて、反応を見せてくれたら嬉しいですよね。
また、プレゼントをあげるだとか、抱きしめてあげるだとか、
自分が相手に何かしら愛を表現した時
相手が認めて、受け取って、「ありがとう」と喜んでくれたら
愛がもっと熱く燃えますよね。
逆に、自分が愛を与えたのに
返ってこないだとか、「ふーん」で終わるとか
反応が薄いと、ショックですよね。
愛は、反応することだと
鄭明析牧師はおっしゃいました。
いつ行っても待てば絶対に会えて
変わらず反応してくれて
いつ行っても笑顔で可愛らしく迎えてくれて
ハグしてくれて、勇気をくれる。
ミッキーは、そういう存在。
自分の愛に反応してくれるから嬉しいし
愛を与えてくれて、迎えてくれるから嬉しい。
だから、「ミッキーにまた会いたい」と
人々を魅了するのではないかなぁと
Kokoroは思うのです。
真実な愛はやりとりだ。
鄭明析牧師の御言葉より抜粋
愛を与えてもらえたら嬉しいけど
自分が愛を与えた時、受け取ってもらえない、
わかってもらえない苦痛は
地獄のように苦しいです。
自分も愛を与えてもらうし、自分も愛を与える。
愛のやりとり、愛の交感。
ミッキーマウスのキャラクター性もあると思うのですが
根本的に人々が求めているのは
愛
なのではないでしょうか。
この記事をここまで読んでくださった方は、
どう思われますか?
一度考えてみてください。
自分が本当に、根本的に
一番求めているのは何なのかを。
問題が分かれば、答えが分かる。
答えが分かれば、問題が分かる。
考えるきっかけになれたらいいなと祈りながら
この記事を締めくくります。