一番大きなプレゼント

信仰の経緯
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ハレルヤ(^^)

 

もう10月も終わり…すっかり寒くなりましたね〜(^◇^;)

 

10月というと、こころは毎年少しソワソワします。

というのも、まさに今日10月28日が、こころにとって特別な日だからです。

 

肉の誕生日が特別であるように、神様を知らずに生きていた霊にも誕生日と呼ばれる日があります。

それが礼拝に初めて参加した日。

7年前の今日(7年前はちょうど日曜日でした)、私は初めて礼拝に参加しました。

つまり今日は、私の霊の誕生日✌︎(‘ω’✌︎ )イェーイ

 

毎年この日はソワソワしながら迎えるのですが、とくに今年は例年以上にソワソワしていました。

 

「7」という数字は、天の数と言われています。

メンバーとかよく「7」を見ると「あー神様共になさってるー!」とか言ってきゃっきゃっします。

 

神様は数字の神様なので、結構「7年」という一つの時は大事なのです。

周りのメンバーの中でも、満7年経ってから環境や状況が変わったという話をたくさん聞きます。

 

そんな大事な7年目というか7歳の誕生日。

どんな気持ちで迎えたらいいのか、どんなふうに変わるのか、例年より一層ソワソワしていました。

 

特に前日が主日だったので、これからの私の人生の指針となる御言葉が宣布されるだろうと思って、楽しみと緊張感とを抱きながら礼拝に参列しました。

 

そしたら主題が「求めよ、探せ、門をたたけ」。

 

なんとなく「ガンガン行けー!」みたいな、意外と内面が激しい私っぽい(?)情熱的な御言葉が来るかと思いきや、むしろ耳に嬉しい御言葉だったのでとてもびっくりしました。笑

 

むしろ「え、いいのかな」みたいな感じでした(^◇^;)

 

でもまぁ人間の心理としては、求めなさいって言われると嬉しいですよね。

 

今週は、神様が与えてくださる週。今までもらえなかった物ももらえるだろうと仰ってたのですが、私は今日、早速大きなプレゼントをいただきました。

 

どんなものをもらったかというと、「悔い改めの機会」です。

 

誕生日を迎えるにあたり、神様に誕生日プレゼントをお願いしてました。

「求めよ」という御言葉を聞く前からw

記念すべき7回目の霊の誕生日だから、特別なプレゼントがほしい。

そう思った時、「メシアがほしい」という祈りが自然と口から出てきました。

 

2000年間、全人類が待っていたメシアが再び来るなら、ちゃんと迎えたい。

ペテロやパウロのようにちゃんと仕えて生きたい。

聖書を学び始めた時、そう思っていたことを思い出し、切実にメシアを悟れるように祈りました。

 

メシアを悟るというプレゼント。

私が願い求めていたプレゼント。

思いがけない形でいただいたなぁと感じました。

 

実は1ヶ月ほど前、仕事でミスったことがありました。

具体的に言うと、ある書類を送るべき人に送っていなかったのです。

でも、恥ずかしながら私はそれを上司に言わずにスルーしてしまいました(ー ー;)

忙しかったのと、どちらかというと怖いタイプの上司なので、「この忙しい時にミス告げたらめちゃ機嫌悪くなるし面倒くさい!」と思ってしまったのです。

 

それでもういいやと投げやりになり、ミスに気づいてたけど黙っていました。

 

でも黙ってると、心がとても苦しかったです。

 

ある時、その書類を送るべきだった相手から「書類が送られていない」と電話がかかってきました。

そりゃそうだ、送ってないもの。

 

上司が私に「あの書類送ったよね?」と確認してきたのですが、私はその時咄嗟に「はい」と言ってしまいました。

神様が悔い改める機会をくださったにも関わらず。

 

罪悪感は更に深まり「どうして正直に言わなかったんだろう」と余計苦しみました。

 

神様が嫌いな性格の中に「偽り」があるのですが、まさにこの「偽り」の性格によって痛い目に遭いました。

 

しばらくこの問題は放置されていたのですが、なんと今日、また書類を送るべきだった相手から連絡があり、いよいよ正直に言うしかない状況になりました。

 

「どうして最初から正直に言わなかったんだろう。初めからちゃんと言っていたらこんなことが大きくなることがなかったのに」

後悔と自責の念にかられ、ひどく落ち込みそうになりました。

 

良心の呵責を覚えた時が機会だったのに、とものすごく悔い改めました。

嘘をついた罪を犯した。けれどそんな私に、もう一度悔い改める機会をくださったからと思い、ブチ切れられること覚悟に「すみません、送ったつもりが送っていませんでした」と上司に報告しました。

 

そしたらまさかの特に叱咤激励なく、ほとんどお咎めもなく、あっさり解決し事が済みました。(先輩も上司のあっさり感にとてもびっくりしていました)

 

「悔い改めながら求めなければならない」と昨日の御言葉でおっしゃっていたので、正直に告げる前に切実に悔い改め、もう二度と嘘をつかないと告白しながら、切実に切実に平和に事が済むよう祈ってはいました。

…本当に御言葉通りになるとは。

普段の上司を考えると、本当に聖霊様が治めてくださったとしか思えない奇跡でした。

 

「悔い改めの機会」と「赦し」。

メシアを願い求めたら、この2つのプレゼントが贈られました。

 

あなたを訴える者と一緒に道を行く時には、その途中で早く仲直りをしなさい。そうしないと、その訴える者はあなたを裁判官にわたし、裁判官は下役にわたし、そして、あなたは獄に入れられるであろう。

よくあなたに言っておく。最後の一コドラントを支払ってしまうまでは、決してそこから出てくることはできない。

マタイによる福音書5:25-26

 

聖書にもあるとおり、罪が一コドラントでもあったら天国には行けません。

だから、こんな御言葉が宣布されたこともありました。

 

<罪の問題>は「悔い改め」でのみ解決できます。 しかし悔い改めても、「その罪を贖(あがな)い、許す人」がいなければなりません。つまり「主」です。

自分一人で悔い改めて許されるのでもなく、自分一人でよく頑張ろうと決心して行なうからといって救われるのでもありません。 これは「自分一人でできること」ではありません。

必ず命の御言葉の種を心の畑に蒔いてあげ<罪を贖い、許す人>がいなければなりません。 つまり「主」です。

許してあげなければ、その人は絶対に天国に行けない」とおっしゃいました。

<罪を許してあげたこと>がつまり<天国に行くようにしてあげたこと>です。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

 

メシアを求めた時、「悔い改めの機会」と「赦し」をくださった神様。

それは、天国をくださったことと同じでした。

罪があれば天国には入れないから。

 

罪を悔い改めても、その罪を赦してくださる方がいないといけない

だから神様は、メシアを地上に送ってくださったということを、もう一度深く悟るようになりました。

 

イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。

ヨハネによる福音書14:6

 

罪を赦す権勢をもったメシアは、天国に行く道。

 

どんなに大きな物質のプレゼントよりも、どんなにおいしい食べ物よりも、

何よりも大きい、天国というプレゼント。

 

もちろんまだまだ自分を清く、完全に嘘をつく性格を直す努力は必要だけれど、天国に一歩近づかせてくださった、そんな感じがしました。

 

自分が思っていた以上に大きなプレゼントをくださった神様に感謝し、してくださったことに対してもっと感謝して返していけるように頑張りたいです(⋈◍>◡<◍)。✧