最近、「神様の絶対予定と人間の責任分担による相対予定」という御言葉が伝えられました。
この御言葉を聞いた私の感想をぶっちゃけます。
一言で言うと、
重い。負担(-_-)
どんな御言葉だったか簡単に説明すると
「神様がする分の仕事、神様がすべきことは何があっても絶対に成される。だから絶対予定だ。
でも人間に関することは、人間が行なうか行なわないかによって結果が変わる、相対予定だ。
神様が良いことを予定しておいても、人間が行なえば成されるし、行なわなければ成されない。
人間の行ないによって変わるよ~だから行なおうね!(^_-)-☆」
という感じの内容でした。ものすごくざっくり説明しています。
もっと知りたい方は「キリスト教福音宣教会(CGM)礼拝の聖書メッセージ」に記載されているのでご覧ください。
御言葉では、人間が行なう分のすべきことを「責任分担」と呼んでいます。
「神様はほとんどは良い方に予定してくださっている!だから行なって祝福を受けよう!」という話があったので、肯定的な考えの人だとその話が頭に残って喜べる御言葉なのではないかと思います。
※予想なので実際のところは分かりません。
「きゃっ神様素敵!なんて愛の深い方なんだ!」という風になる人もいるかもしれません。
しかし私はこうです。
「責任分担を果たせぇ~!!
お前がうまくできなきゃ終わりだぜぇ~(゚Д゚)!!」
いや、負担!!!!
やめてくれ!
何か物事が上手くいかなかったら、全部自分が上手くできなかったらだーって、益々自分を責めちゃうでしょーがっ!!!
いや実際そうなんでしょうけど!
うわぁぁぁぁぁぁぁってなっていました。
その週はめちゃくちゃ気が重く、早く1週間終わらないかなってずっと思っていました。
私はただでさえ「上手くやらなきゃ」と自分にプレッシャーをかけてしまう性格だし、幼少期のトラウマから、「相手の期待に応えられなかったら見捨てられる」という恐怖心も併せ持っているので、トリプルパンチくらいの威力ですよ。
大打撃を受けた私はうわぁぁぁぁぁぁぁってなって、神様に正直に「負担です」と祈りました。
「神様、自分の責任分担があってやらなきゃいけないのは分かりました。
でも私は自分に自信がありません。神様は90%してくださり、人間は10%すればいいだけだとおっしゃるけど、その10%は結局人間にとっては100%だとも聞きました。
どのみち全力でやらなきゃいけないじゃないですか。
『うまくできなかったらどうしよう』と不安で心配なので、正直負担です。
自分がうまくできなくて、神様の望む通りにできないんじゃないかって、それが本当に怖いです」
そうしたらこんな答えが返ってきました。
神様は絶対予定もなさりながら、私たちの責任分担に絶対的に共にし、助け、導いて下さいます。特に、神様の創造目的の道に従って正しく行なう時に、もっと積極的に助け共に、なさいます。
<全知全能なる神様>は「人間に属したこと」を助け、絶対に成就するようにもしてくださいます。
<人間の責任分担>でも<愛する新婦たちの仕事>だから、<神様>は責任を果たせるように感動をくださり、<主>も助け、共にしてくださいます。
鄭明析牧師の御言葉より抜粋
だから、<本人>が「その仕事の主人」になって、勇気を出し、大胆に、意識せずに行なうことを願います。
あれ?なんか責任分担を果たせるように結構助けてくださるみたいだぞ?
あじゃ(=ざ)ーっす!!!!(=゚ω゚)ノ
意外となんとかなるかもしれない。
神様に全部委ねれば神様が満足します。信じますか?
あなたたちの道を神様に委ねてしまいなさい。
委ねたら栄光をお受けになります。それで神様が好きに行うことができます。委ねる、任せるという段階が難しいです。
任せたということは、神様に捧げたということです。
神様にあげちゃいなさい。あなたの人生を委ねる、任せる。
全部捧げたからその時から神様が思い切り使ったのです。もう全部捧げたから、ああやって使おうが、こうやって使おうが神様の好きなとおり。文句は言えません。
鄭明析牧師の御言葉より抜粋
そんな御言葉もあるので、神様に委ねて「行なえるように助けてくださ~い。責任分担果たせるように助けてくださ~い」くらいのゆるさでいいのかもしれません。
あまり負担に思わなくてもよさそうでした。
1人で力みすぎて疲れてしまわないように、ほどよく調整しながらやっていきたいです。