ある意味2度目の休職―またこわれた

闘病の経緯

先月、また心身が壊れました。

「『また』ということは2回目?」という方、そうなんです。

1回目はまだ会社に勤めていた頃、医師から「休職した方がいい」と言われ本当に休職しました。

詳細については「ついにこわれたー適応障害で休職」という記事をご参照ください。

前回は、簡単に言えば業務過多によるストレスで心身共にぶっ壊れたんですが、今回もまったく同じ理由で倒れました。

今は会社に行ってないので「なんで?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、教会の仕事(すべきことをするという意味で、お金は一切発生しません)が多すぎてパンクしました。

やばかった。

今は就労移行支援センターが午前中に終わるから時間がたくさんあるはずなのに、やらなきゃいけないことが多すぎて、毎日午後はそのすべきことをこなすことに追われる日々でした。

土日もずっとあれやってこれやってあっちやってこっちやってやっべあれ忘れてたやらねばという感じで忙しかったです。

特に心が休む間がなくて、休職前とまったく同じ症状が心身に出てしまいました

具体的に言うと、

・やる気(モチベーション)の低下

・慢性的な疲れ

・無気力

・便秘と下痢の繰り返し

・寝ても寝ても果てしなく眠い

・昼間耐えられないほどの眠気

・不眠(寝付けない)

仕事が手につかない(やろうとすると頭真っ白になって働かない)

・思考回路の低下

・食欲不振(過食or食欲なし)

・頭痛

・めまい(何度か倒れそうになった)

・音や光等あらゆるものに過敏に反応

・大人数の集まりへの参加に対する著しい嫌悪感と拒否感

・憂鬱

・自分の趣味や好きなことすらやる気がなくてやらない

・やらなきゃというプレッシャーと焦燥感に常に襲われている

・何もかもすべてが嫌になる

・自責の念が強くなる

・ていうか生きるって大変

「これはまずい。このままだと私がこわれる」と思い、ぶっこわれる前に指導者に連絡して、心身の体調を崩したことと、2月いっぱいは色々仕事を休ませてほしいということを伝えました。

私が抜けた分の穴埋めや調整が大変だと分かっていながらも、快くOKしてくださり、お言葉に甘えて先月はゆっくり休ませていただきました。

いうて、ちょこちょことしたことは2,3個続けてやってましたが(;^_^A

とにかく幸か不幸か、1回ぶっこわれた経験が活きました(笑)

休んでいる間は、買ったもののずっとできていなかったスクラッチアートをやったり、映画『ベイマックス』を見たり、部屋の整理整頓をしたり、家にいるベイマックスのぬいぐるみたちのお手入れをしたり…(あれ?ベイマックスタイム多い?)

基本的に何に対してもやる気がなかったので、その時々「やりたい」と素直に思ったことだけを無理せずやるようにしました。

あとはずっと寝てました。とにかく寝た。めちゃくちゃ寝た。

ちなみにブログは奇跡的に1月に書き溜めていたので、実は先月一回くらいしか書いてないです。

今までやっていたことをガチで全部!一旦置きました。

「うつ病は再発しやすいから、容態が良くなっても要注意」という話は耳が痛くなるほど聞いてはいたけど、今回またこわれるまで(ある意味)働いて、もう痛感するしかありませんでした。

自分よりもっと働いてる人はたくさんいるのに、どうして私はこのくらいの量で倒れてしまうんだろう

比較するものではないかもしれないけど、どうしても考えてしまう。

私よりもすべきことをもっと抱えていて、忙しい人をたくさん知っています。

なのに、どうして自分はこのくらいしかできないんだろう

自分の無力さや非力さ、思うように体が動かないこと、全部が恨ましく感じる。

きっと、自分のやり方や考え方が問題なんだとは思います。

原因はそれしか考えられない。

だからこそ、余計に悔しい。

神様を愛しているから、もっとやりたい。

愛しているから、して差し上げたいこと、アイディアはたくさんある。

なのに、どうして私はできないんだろう。

どうしてして差し上げられないんだろう。

「適応障害」という病気のせいにしたら楽かもしれない。

でも、違うんだよ。

動けない自分が悔しい。

変な考え方や恐怖心が体に染み込んでいるのが腹立たしい。

もっとして差し上げたい。愛しているから。

神様が願われる通りに、神様が自分のことを思いっきり使えるようにして差し上げたい。

でも、熱い心に体がついてこない。

そんな自分が情けなくて、神様に「ごめんなさい」と何度も何度も泣きながら祈りました。

そうしたら、御言葉で答えが返ってきました。

 みなさん、真心を込めて造った。しかし、それがうまくいかなかった。挫折してはいけませんまたやればいいのですまたやれば、やれば、もっと素晴らしくできます。神様が崩したでしょうか?神様は法の神様です。法則に則ってできなかったということです。法則通りにしなければなりません。無限な時間が、技術が、材料が必要です。無限なアイデアが必要です。


最後まで耐えなさい。最後までついて来たら、ありとあらゆる不思議なことを見るようになる」と弟子たちに言いました。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

号泣( ;;)

挫折せずに、またやればいいんだ」と、とても勇気をもらいました。

また、倒れることが問題というよりは、倒れた後どうするかが問題なんだなと思いました。

もちろん倒れずに調整しながらやるのが1番だけど、もし倒れたとしても、また立ち上がってやればいい。

諦めなければいい。

そう言われている感じがして、倒れても倒れてもまた立ち上がる、神様の精神を学びました。

いつもタイムリーな御言葉で、私の心と考えと精神を生かしてくださる神様に感謝します。

今度は倒れない程度に、うまく調整しながらやろうと思います…はい…。

皆さんも無理だけはなさらず。

この記事を書いた人
こころ

2015年8月に適応障害の診断を受け、2019年2月から1年1か月休職し退職。今は障がい者雇用枠で働いています⭐︎
自分の心理を分析しながら、心の傷を癒していっています(^^)
キリスト教福音宣教会会員として神様の愛を学びながら、自分と他人を愛せるように頑張っています☆
ディズニー大好きで、特にベイマックスが大好き!(●ー●)
ディズニーのアトラクションは、ベイマックスのハッピーライドが1番好きです!
(詳細については↑の「”こころ”」をクリック☆)

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