すっかり梅雨が明け、低気圧にやられていたところから徐々に回復しつつあるこころです。
今回は、<言葉遣い>について書こうと思います。
というのも、以下の御言葉を聞いて、ふと悟ったことがあるからです。
<人格の中>でも「言葉の人格」が大きな比重を占めます。<言葉>をみだりに話したら、それこそ「人格のゴミ捨て場」になります。だから「言葉」に気をつけて話さなければなりません。穏やかに話さなければなりません。
また、人を見くびってはいけません。そうしたら「体からにおいがするゴミ扱い」をされます。
特に指導者たちは気をつけてやらなければなりません。
鄭明析牧師の御言葉より抜粋
従ってくる人たちが幼いと言ってみだりに接したら、神様もその人に同じく接します。
幼いからと縛り付けて治めるのではなく、みだりに接するのではなく、<人格>と<尊重>を込めてよく接しなければなりません。
また、成長した人なのに子供に接するように手で心で縛り付けて接したら、ひどく反抗するようになります。
これは愚かな行為です。
最初この御言葉を聞いたときは、「あー本当にそうだなー、人に対して気をつけないと…」と思って、特に子どもたちに接するとき気をつけないとと気を引き締めました。
しかし、1週間くらい経ってから、またこの御言葉が思い出されて、一緒に悟ったこともありました。
どんなことを悟ったかと言うと、
「言葉遣い。人に対してもだけど、<自分に対する言葉遣い>も気をつけないとなぁ…」
ということです。
一人一人の精神と考えは目に見えないが 「言葉」という形態で見ることができる。
「言葉」は 「自分の考えをそのまま入れる器」だ。
愛なく、強く圧迫する言葉、 憎んで言う言葉、 攻撃する言葉を話すな。
あなたたちは三位の新婦だから 愛の言葉だけを話し、 愛の言葉を聞きなさい。
神様は悪評しなさいと口を創造されはしなかった。
よく分別して話しなさい。 誰かを教える強い言葉でも 愛を込めて伝えなさい。
鄭明析牧師の御言葉より抜粋
私は特に教会で子どもと接することが多いので(今は全部オンラインですが)、子どもたちを叱って傷つけたり、嫌な気持ちを与えたりしないように、結構言葉には気を遣っています。
大人に対しても、「傷つけたくない」「嫌われたくない」という気持ちが強いので、気をつけているつもりです。
HSPさんは痛みが分かる分、人に対しても「傷つけないように、痛みを与えないように」と思う人が多いらしいのですが、私はまさにそれです(;´∀`)
<人に対して>は結構意識して気を遣うというか、言葉はかなり選ぶ方です。
ですが、ふと気づきました。
「<自分に対して>は??」
言いたい放題言ってたー(‘ω’)ノ
「こんなこともできないの?」
「これくらいでいいと思ってるの?もっとやれよ」
「ほら、やらなきゃいけないこと後回しにするからダメなんじゃん」
「何度同じミスしてんの?いい加減覚えろよ」
「体力なさすぎ。これくらいで疲れるなんてダメダメじゃん」
「甘えてんじゃねーよ」
「こんなことしてる場合!?さっさとすべきことしろよ」
「本当にダメな奴だね」
…文字にすると恐ろしいけど、無意識のうちにこんなことたくさん考えています:(;゙゚”ω゚”):
これさ、もし部下に対して言ってたら完全にパワハラ上司ですよねwww
絶対こんな上司やだwww
最初に引用した御言葉の趣旨は、「<他人に対する言葉の人格>を身につけなさい」だと思うのですが、私の場合(というか日本人の多くは当てはまるのでは)は、<自分に対する言葉の人格>を身につけなさいという意味として聞こえてきます(;´・ω・)
人に対してだけではなく、自分に対しても、人格的な言葉で接していきたいですね。
自分という1番近くにいる人間に対して優しくできたとき、本当の意味で他の人にも優しく接せられる人になれると思っています。
悟ってから意識してみてるのですが、自分を認めたりほめてあげたりするのって、本当に難しい(;´Д`)
でも、続けていたらちょっとずつでも変わるかな?と信じて、続けて自分を愛でる努力をしていこうと思います☆
目指せ、言葉の人格者!!(^^)!